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21通目 山で出会ったおじさんに宛てて

あの時のおじさんへ


おじさんがまだ山の入口で、入山管理をしているかはわかりませんが、

私は数年前、おじさんに助けられた学生です。

あれから月日が過ぎたので、おじさんがいるかはわかりません。

山の名前だけ覚えていて、

肝心のおじさんの名前がわかりません。

ですから、山の入山管理をしている管轄に宛てて、

この手紙を出します。

数年前、おじさんは私を救ってくれました。

そのことについて、お礼を述べたいと思って、

手紙をしたためています。


数年前、私は学生で、学校や家庭でとてもつらい思いをしていました。

学生というものは、とても世界が狭いです。

学校と家庭がつらい環境であると、

世界中がつらいものであると、この世は地獄であると思ってしまうものです。

少なくとも、私はそう感じていました。

死んでこの地獄から逃げられるのてあれば、

そうした方がいいかもしれないと思うくらいには短絡的でした。

ある時、私は、とにかくどこかで死のうと思い立ち、

小遣いで、行けるだけ遠くの切符を買って、

いろいろな路線を乗り継いで、

列車に揺られながらどこで死のうかを考えていました。

海のそばを通った時は、

海に入って死ぬには、海は冷たいだろうなと思いました。

都会のあたりを通った時は、

飛び降り自殺はなんか嫌だなと思いました。

列車はどんどん家から遠くなっていき、

遠い遠い山の中まで来ました。

私は思いました。

この山の中で誰にも見つけられずに死ねたらいいのかもしれないと。

今まで誰と関わってもつらい思いをしてきたから、

死ぬときくらい一人になって、

つらい思いを押し付けられずに死にたいと思いました。

駅から山の方に向かって、私は荷物も持たずに歩きます。

普段運動をしない私です。

山に近づくにつれ、疲れてきました。

それでも歩きつづければ死ねる。

そんな訳の分からない考えで歩きました。

今思えば、おかしな考えでした。


登山の準備など何もしていない、軽装の私は、

登山口までたどり着きました。

この山を登って、適度なところで道をはずれれば一人で死ねる。

私は短絡的にそう考えました。

ここまで歩いてきて疲労困憊でしたが、

あと少し山を歩けば、この世からサヨナラができる。

その時の私には、それが希望に感じていました。

おじさんに声をかけられたのは、その時でした。

多分、明らかに登山をする格好でなかったので、

おじさんから見ておかしいなと思われたのでしょう。

おじさんはおかしいと指摘する前に、

疲れた私を管理小屋へと誘いました。

山を登る前に疲れてるじゃないか、ちょっと休みなさい。

そんなことを言われました。

おじさんは、明らかに山に登る格好でない私をとがめることもなく、

疲れに効くよと言って、あたたかく甘いカフェオレを入れてくれました。

カフェオレの器を持ちながら、

誰かが私に何かしてくれたのは、

これが初めてなんじゃないかと思いました。

家から遠い遠いところにやってきて、

私のためにカフェオレを入れてくれる人がいた。

これは、私のため、疲れた私のため。

そう思ったら、感情があふれ出しました。

私のために何かしてくれる人は存在する。

私につらい思いをさせず、ただただ気遣ってくれる人は存在する。

家と学校だけが全てではない。

遠く遠くに死に場所を求めてやってきたら、

私のためにカフェオレを入れてくれるおじさんがいました。

もしかしたら、家と学校の他にもいろいろな人がいるのかもしれない。

そのいろいろな人の中には、私を気遣ってくれる人がいるのかもしれない。

私を必要としてくれる人がいるかもしれない。

私はカフェオレを口にしながら、泣きました。

カフェオレはとても甘く、身体と心にしみました。

私は泣きながら、今まで閉じ込めていたことをぶちまけました。

これほどの感情が自分の中にあることすら忘れていました。

泣いて、泣いて、生きたいと思いました。

おじさんは私の話を一通り聞くと、

山は逃げないから、元気になったらおいでと言ってくれました。

その時はちゃんと準備をして登るといいよと付け加えてくれました。

やはり、私は登山をするようには見えていなかったのでしょう。


それから、家に連絡が行って、

家出少女として私は帰りました。

死にに行ったということは、結局誰にも言えずじまいでした。

ただ、私はあの山の入口で、

確かに生きようと思いました。

死にたい私は、生きたい私に生まれ変わりました。

おじさんが私の命を救ってくれたのです。

家も学校も、小さな世界であるとわかりました。

遠くにはおじさんがいる山がありますし、

そこに至るまでにはたくさんの人がいるでしょう。

世界はとても広いと感じることができました。

あれから数年、私は身体を鍛えて、登山をしています。

まだ、低い山しか登れませんが、

いずれ、おじさんのいたあの山に挑戦するつもりです。

おじさんがいるかはわかりません。

ただ、生まれなおしたあの山を登ることで、

また、自分の世界が広がる気がします。

あの時はありがとうございました。

おじさんの気遣いで、私は生き延びて、

こうして日々を過ごせています。

生きててよかったと思うことは何度もありました。

おじさんのおかげです。

出来れば、また、あの山で会えることを願っています。


数年前の迷惑な女子高生より

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