後輩のあなたへ
お手紙ありがとう。
私のことを褒めてくれるのは、嬉しいけれど、くすぐったくもありました。
私に憧れているとありましたけれど、
私はそれほど大した先輩ではありません。
あなたより数年先に生まれただけです。
私は、少し先に生まれただけであり、
あなたより何が優れているなどはありません。
そう、私もあなたと同じような存在ですよ。
あなたからの手紙で、
あなたは、私を褒めたたえるけれど、
あなた自身のことはこれでもかと卑下していました。
あなたは、あなた自身が嫌いなのかもしれないと感じて、
私はこの手紙を記しています。
あなたは、手紙で私のことを、
性別を超えた強さを持った女性と記していました。
その書き方で私が感じたのは、
あなたは、あなた自身が女性であることを嫌っているのではないかと。
女性として生まれたことが弱みであると思っているのではないかと。
あなたはおそらく、自身が女性であることが嫌なのでしょう。
手紙の書き方から察するに、
あまたの女性らしい女性も嫌いなのでしょう。
だから、私を褒めるのに、性別を超えたという表現を使われたのでしょう。
私は性別を超えてはいません。
むしろ、性別の役割から脱落を選んだものです。
ただただ、性別の役割が面倒だっただけです。
褒められるようなことをしている訳ではありません。
性別を超えて何かしようと言うことでもありません。
強くなろうというわけでもなく、
美しくなろうというわけでもなく、
性別に求められるものが面倒になっただけです。
私の肉体的性別はありますが、
なんとなく、私の心の性別は虚無に近いものです。
面倒な物を捨てた結果、本当に虚無になりましたので、
私のような生き方は、お勧めはしません。
私から、あなた自身が嫌いなあなたへ、
何かお返事をするとすれば、
周りが変わっていくのを待つのは時間の無駄ということです。
周りがあなたを思いやって、ちやほやしてくれるのを待つのは無駄な時間。
女性であることが弱みであるのを、誰かが変えてくれるのを待つのも無駄な時間です。
あなたには、コンプレックスとともに、強みもあるはずです。
弱さと強さは表裏一体です。
誰かに頼れるというのは、誰かの力を使いこなすことでもあります。
自分で何でもできるというのは、時に暴走もするかもしれません。
身体のどこかの部分がコンプレックスであるのならば、
それが魅力に見えるという可能性も考えましょう。
あなたが嫌いでいる女性という性別も、
使いこなせれば強いものです。
周りが女性を貶めているのならば、
あなたがその強さを示してあげなさい。
あなたがあなた自身をすべて受け入れて、
強さも弱さも使いこなせるようになったら、
あなたの魅力はもっと輝きます。
その時こそ、あなたが女性を超えるということであり、
性別を超えた強さを持つということでもあります。
性別を超えるというのは、虚無を心に持つことではありません。
安易に別の性別の良さばかり見ることではありません。
他人はいいなと憧れるばかりの時間は無駄です。
あなたが、あなた自身を愛して受け入れる。
本当に必要なのは、それだと思うのです。
あなたの中には、いろいろな要素が複雑に絡み合っていて、
そうですね、宝石の原石のようになっていると思います。
いろいろな面がでこぼこになっていて、そのままでは輝きません。
そのあたりに落ちていましても、石ころ扱いでしょう。
徹底して磨きあげましょう。
あなたが一番輝けるように、
あなたが自身を磨かなければいけません。
たくさんの経験をして、たくさんのことを考えて、
女らしいことも、そうでないことも、
思いつく限りやってみて、そうしてあなたは磨かれていきます。
どうか、あなた自身をもっと好きになって、愛してあげてください。
私のように虚無にならずに、
たくさんの輝きを放つ存在になってください。
あなたにならばそれができます。
あなたは私よりはるかに魅力的になれます。
大丈夫。あなたは、できます。
いつでもあなたを応援していますよ。
女装男性の先輩より