先生へ
この手紙は先生に届かないかもしれません。
私が小学生時代、先生はかなりお年を召していました。
もう、先生は、この世界のどこを探してもいないかもしれません。
ただ、私の中のけじめとして、
先生に手紙を書きたいと思います。
この手紙は郵便では出しません。
ただ、もしかしたら、この世界にいない先生が、
どこかの世界から読んでくれるかもしれません。
そう私が思うことは自由です。
先生が消滅したわけでなく、先生はどこかの世界から、
私のことを見守ってくれている。
そう思って、この手紙をしたためます。
小学校の低学年の頃の私は、
空気が読めない問題児でした。
決まりを守ることはできるけれど、
友達を作ったり、周りの空気を読んで行動することが苦手でした。
テストの点はよかったものの、
周りからずっと浮いていて、孤立をしていました。
その頃の担任が、先生でした。
先生はすでにおばあちゃんという年齢でした。
今思えば、ベテランの教師だったのでしょう。
先生はまだ幼い私のクラスを瞬く間にまとめました。
小学生になって間もない、子どもたちの興味を引き、
幼稚園になかった勉強というものの楽しさを教えてくれました。
音楽も道徳も図工も、幼稚園とは違った、勉強科目になりました。
国語の時間に大きな声で音読すると、
先生はよく読めましたと、しっかり褒めてくれました。
私をはじめとした、クラスメイトの皆の勉強の土台は、
あの時先生が作ってくれたものだと思っています。
先生がしっかり土台を作ってくれたことで、
私はその上にいろいろなものを乗せていって、
生きていけるまでにちゃんと成長することができました。
育ててくれた親に感謝は普通にすることかもしれませんが、
学ぶこと、その芽を育ててくれた先生も、また、私の学びの親です。
親とともに、先生にも感謝したいですし、
やっぱり、感謝をどれだけしてもし足りません。
クラスの中で浮いていた私が、
クラスの中に溶け込んだ、ある出来事があります。
私はある日、一人で金魚の泳いでいる水槽を見ていました。
低学年のクラスにある水槽です。
定期的に掃除をする余裕などなく、
ブクブクと水と空気が循環していましたが、
緑色の藻が張り付いた中で、金魚が泳いでいました。
その張り付いた藻の隙間から、金魚が一瞬見えた際、
私は金魚が光ったと見えました。
私はそれを大発見だと思いました。
教室にいた先生に、金魚が光ったんだと報告しました。
先生はニコニコと聞いてくださいました。
そして、それを書き留めたのでしょう。
私は、金魚が光った大発見を聞いてくれたことで、満足しておりました。
先生は、私が言った光る金魚のことを、
市の小学生の文集に応募して、
私が先生に話した、光る金魚のお話は、
市の方で毎年出される文集に載りました。
先生は文集に私の話が載ったことをクラスのみんなに伝えて、
私は一気にクラスの中に溶け込みました。
みんなは金魚が光らないなどといっていましたが、
私と、少なくとも先生は、
金魚が光ったことを信じています。
先生だけでも、光る金魚を認めてくれれば、本当にそれだけでよかったのです。
それから数年後、私は転校をしました。
別の場所で学校に行きつつ、成長をして、
あの頃からは遠くに来ました。
先生はあのころすでにおばあちゃんでしたので、
もう、どこを探してもいないかもしれません。
ただ、少なくとも、私の心の中には、
光る金魚とともに、先生がいます。
あの時と変わらぬ微笑みで、
私を見守っていてくださっています。
光る金魚の話を聞いてくださって、ありがとうございます。
私の学びの基礎を作ってくださり、ありがとうございます。
先生の優しい愛に満ちた教えは、
今でも私の前を照らす明かりとなっています。
苦しい時、つらい時、光る金魚を信じてくれた先生の存在が、
どれほど私を励ましてくれたかわかりません。
私を信じてくれる存在がいる。
その事実が、どれだけ私の力になったかわかりません。
先生には、感謝しかありません。
最高の教師に教えていただいたと思っております。
最後になりましたが、
いつかどこかの世界で会う時に、
先生の教え子だと誇れる私になれるよう、
これからも精進してまいります。
また会いましょう。
それまで、お元気でいてください。
では、また。
とある教え子より