主人公という言葉がどこからできたか思い出そうとする。
物語の主役という以前の意味として、
私の主人は私であるという意味だったと、
そんな意味のことをどこかで読んだ。
私の主人は私。
そのことをかみしめている。
私はとあるゲームの世界に転生した。
転生をつかさどる神様が気まぐれなのか、
私に何か役目があったのかはわからない。
転生はよくあることなのかもわからないし、
このゲームに転生している誰かがいるのかもよくわからない。
とにかくよくわからないなりに、
私はゲームの主人公に転生した。
ゲームは依頼などを達成しながら、
いろいろなキャラクターと交流を深めていって、
いろいろなイベントが起きていって、
良いエンディングを目指すものだ。
キャラクターと恋仲になるルートもあるし、
さまざまの良いエンディング、悪いエンディングがある。
私は転生する前にこのゲームを少しやった。
だいたいの流れは把握している。
ゲームとしての流れならば把握している。
私は、ゲームの主人公として転生した。
ゲームの攻略法を頭に入れた存在としてこの世界にいる。
ゲームの主人公だから、行動を起こせばフラグが立つ。
そのフラグも大体頭に入っている。
良いルートを行くのは問題がないように思われた。
けれど、それは違うと私は思った。
それはゲームの主人公が取る道であって、
私という意識が選ぶとは限らない。
その感覚は、生活をしていたらより強くなった。
ゲームの中に描かれていなかった、
みんなの生活がここにある。
キャラクターとされていた誰かも、
どこかで何かを食べているし、
ゲームには出てこなかった楽しみがあるし、
休む時はお気に入りの場所があるし、
一人になりたいときもある。
その、個人の日常と言うものが、
キャラクターごと、いや、すべての個人ごとにある。
ここはゲームの中かもしれないけれど、
すべての存在がそれぞれ生きている、ひとつの世界だ。
キャラクターとされてきた存在も、
一人の個人として生きている。
誰一人としてデータではない。
フラグをたてればそのようになるのかもしれないけれど、
そのフラグをたてることで起きるイベントには、
その個人がたくさん考えて判断した結果になる。
ここではみんなが生きている。
みんながみんなの人生の主人公だ。
私がゲームの攻略法などを持ち込むものではない。
私はこのゲームの主人公として転生したけれど、
そもそもこの世界では、みんながそれぞれの人生の主人公として精一杯生きている。
その生き様を尊重しなければいけない。
この世界は、この世界としてすでに成立していて、
決してデータではない。
私が主人公だからと荒らすものではない。
私は考えた。
この世界に転生した私は何をすべきだろうか。
主人公として転生してきたけれど、
主人公としては何をすべきか。
そもそも主人公とは何だろうか。
そんな時、ふと、私の主人は私だという言葉を思い出した。
誰に仕えるわけでもない。
私の主人は私。
私が思うことをするのが、私が主人であるということ。
ゲーム設定が私の主人であるわけではない。
ゲームの主人公だからと言って、
その設定が私の主人になるものでもない。
私は、私の人生の主人になる。
この世界でフラグとかルートとか関係なく、
みんなと心地いい世界を作りたい。
みんなそれぞれ物語を持っている。
ゲーム設定には出てこなかった、生きている彼らに触れられる。
この世界にともに生きるものとして、
力を合わせていい世界を作る。
それが私の選んだ道であり、
ゲームの主人公としてでなく、
私の主人として私が選んだ道だ。
私の主人は私。
その言葉をかみしめている。
フラグもルートもイベントもめちゃくちゃになった。
けれど、みんなそれぞれの人生を生きていて、
私もみんなと生きていてとても楽しい。
私はゲームに生かされているのではない。
私はこの世界でみんなと生きる道を選んだ。
私は主人公。
私の人生の主人公。
この世界でみんなと生きる、この人生の主人公だ。
ここはゲームではない。
私がやってきた新しい世界だ。
私はここで、私の人生の主人公として生きる。
それぞれの人生の主人公たちとともに。
この世界のみんなが主人公。
攻略法なんてないけれど、
本来人生とはこんなもの。
毎日が楽しい主人公の日常を生きている。
ゲームに転生した主人公も、生き方次第ではとても楽しいと感じている、
そんな今日この頃だ。