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第180話 吟遊詩人は英雄を歌う

私は旅の吟遊詩人。

あちこち旅して物語を聞いて、

それを歌にして各地の酒場で歌っている。

今はこの街に落ち着いている。

とにかく食べ物の美味い街だ。

この街の酒場で物語を聞きつつ、歌を作って披露する。

歌を聞きに客が増えると、

酒場の方から美味いものがついでにもらえたりもする。

覚えやすい歌を歌うと、

酒場で大合唱になって、

盛り上がると酒場の酒がどんどん出て、

売り上げにも貢献するらしい。

ここは、人も街も活気に満ちたいい街だ。


客からの歌の注文に応じて、

私はいろいろな歌を歌う。

物語形式の歌が多い。

歴史に残る戦いを歌った歌などは、

激しい曲調で盛り上がる。

また、悲恋などを歌った歌などは、

涙を浮かべる女性客もいる。

一番歌ってほしいと頼まれるのは、

歴史に残る英雄の歌だ。

この歌物語は年齢性別を問わず人気がある。

みんな英雄の物語を聞きたいのだ。

私は英雄の歌を歌う。

とある英雄の長い長い物語の中から、

いろいろな場面を選んで歌う。

昔、英雄がいた。

その語り出しで始まる歌物語は、

酒場の皆を虜にする。

私の歌の力ではない。

歴史に残る英雄が、今でも皆に愛されている証拠だ。


私はその英雄の歌をたくさん持っている。

その英雄の歌に関しては、歌物語の数は無数だ。

ある時英雄は知略をもって化け物を退治したし、

またある時は、令嬢との恋を諦めた。

仲間と出会ったこと、仲間と別れたこと、

精霊との交流もあった。

戦いにおいては先頭を切って身を投じた。

この世界を股にかけた英雄物語だ。

誰もが知る英雄。

この世界を平和に導いた英雄。

歴史に残った英雄。

今でも皆に愛されている英雄。

英雄は死んでもなお、皆の心に残り続け、

私は英雄の歌を求められる。

いろいろな歌を歌っても、

やはり英雄の歌になる。

それだけ皆の中に英雄が存在し続けている。


夜も遅くなり、酒場は閑散としてきた。

私もそろそろ部屋に戻ろうかと思う。

酒場の上の階に私の滞在している部屋がある。

私は階段を上って部屋に戻る。

部屋の中はほとんど何もない。

私は荷物をあまり持たない。

荷物は思い出になってしまう。

思い出は歌だけでいい。

あまりにも長い年月生きてきたから、

思い入れのあるものを持つと、

それだけで荷物が膨大になってしまう。

結局私は荷物を極力減らした。

思い出は、歌だけでいい。


英雄とされた彼のことを思い出す。

今でこそ皆の心に輝く英雄だけど、

駆け出しのころは失敗をよくした。

種族の違う私とともに、

若い英雄は何かとよく笑った。

あの頃は心底楽しかった。

英雄という肩書が遠かった頃。

それでも私たちはがむしゃらに生きつづけた。

彼は英雄になった。

私は影のように彼のそばに居続けた。

英雄の彼が老衰で亡くなって、

種族の違う私は、姿が変わらないまま、彼のことを歌い続けている。

一番近くで英雄のことを見続けてきた私は、

今でも英雄の歌を歌い続ける。

英雄の彼を覚えていてほしい。

英雄の彼を愛してほしい。

彼のことを忘れないで欲しい。

彼のことを語り継いでほしい。

英雄は歴史に残っているかもしれないけれど、

私は、英雄の彼を、

永遠に残したいと思っている。

全ての人の中に英雄の彼がいて、

親から子へ、子から孫へ、

また、生き続ける私の歌から英雄を知り、

知った英雄のことを語り継いでいってほしい。

どうか、彼のことをみんなで覚えていてほしい。

それが、私が歌い続ける理由だ。


この街で、私が老いないとわかってきたら、

この街をあとにしようかと考える。

それまでは、街の皆に英雄の歌を歌おう。

いろいろな歌を求められるけれど、

やはり英雄の歌は人気であり、私も歌いたい。

吟遊詩人の私は英雄の歌を歌う。

あの時世界を駆け回った彼の歌を歌う。

私の思い出は歌だけ。

それから、彼が言っていた、

おまえは歌が上手いよなという言葉だけ。

私は英雄の思い出を歌にし続ける。

遠い未来に残るように、

全ての人から愛され続けられるように。

私は彼の歌を歌い続ける。

みんなの中に彼がいれば、

彼はいつまでも生き続ける。

私はそれを信じて、歌い続ける。

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