私は旅の吟遊詩人。
あちこち旅して物語を聞いて、
それを歌にして各地の酒場で歌っている。
今はこの街に落ち着いている。
とにかく食べ物の美味い街だ。
この街の酒場で物語を聞きつつ、歌を作って披露する。
歌を聞きに客が増えると、
酒場の方から美味いものがついでにもらえたりもする。
覚えやすい歌を歌うと、
酒場で大合唱になって、
盛り上がると酒場の酒がどんどん出て、
売り上げにも貢献するらしい。
ここは、人も街も活気に満ちたいい街だ。
客からの歌の注文に応じて、
私はいろいろな歌を歌う。
物語形式の歌が多い。
歴史に残る戦いを歌った歌などは、
激しい曲調で盛り上がる。
また、悲恋などを歌った歌などは、
涙を浮かべる女性客もいる。
一番歌ってほしいと頼まれるのは、
歴史に残る英雄の歌だ。
この歌物語は年齢性別を問わず人気がある。
みんな英雄の物語を聞きたいのだ。
私は英雄の歌を歌う。
とある英雄の長い長い物語の中から、
いろいろな場面を選んで歌う。
昔、英雄がいた。
その語り出しで始まる歌物語は、
酒場の皆を虜にする。
私の歌の力ではない。
歴史に残る英雄が、今でも皆に愛されている証拠だ。
私はその英雄の歌をたくさん持っている。
その英雄の歌に関しては、歌物語の数は無数だ。
ある時英雄は知略をもって化け物を退治したし、
またある時は、令嬢との恋を諦めた。
仲間と出会ったこと、仲間と別れたこと、
精霊との交流もあった。
戦いにおいては先頭を切って身を投じた。
この世界を股にかけた英雄物語だ。
誰もが知る英雄。
この世界を平和に導いた英雄。
歴史に残った英雄。
今でも皆に愛されている英雄。
英雄は死んでもなお、皆の心に残り続け、
私は英雄の歌を求められる。
いろいろな歌を歌っても、
やはり英雄の歌になる。
それだけ皆の中に英雄が存在し続けている。
夜も遅くなり、酒場は閑散としてきた。
私もそろそろ部屋に戻ろうかと思う。
酒場の上の階に私の滞在している部屋がある。
私は階段を上って部屋に戻る。
部屋の中はほとんど何もない。
私は荷物をあまり持たない。
荷物は思い出になってしまう。
思い出は歌だけでいい。
あまりにも長い年月生きてきたから、
思い入れのあるものを持つと、
それだけで荷物が膨大になってしまう。
結局私は荷物を極力減らした。
思い出は、歌だけでいい。
英雄とされた彼のことを思い出す。
今でこそ皆の心に輝く英雄だけど、
駆け出しのころは失敗をよくした。
種族の違う私とともに、
若い英雄は何かとよく笑った。
あの頃は心底楽しかった。
英雄という肩書が遠かった頃。
それでも私たちはがむしゃらに生きつづけた。
彼は英雄になった。
私は影のように彼のそばに居続けた。
英雄の彼が老衰で亡くなって、
種族の違う私は、姿が変わらないまま、彼のことを歌い続けている。
一番近くで英雄のことを見続けてきた私は、
今でも英雄の歌を歌い続ける。
英雄の彼を覚えていてほしい。
英雄の彼を愛してほしい。
彼のことを忘れないで欲しい。
彼のことを語り継いでほしい。
英雄は歴史に残っているかもしれないけれど、
私は、英雄の彼を、
永遠に残したいと思っている。
全ての人の中に英雄の彼がいて、
親から子へ、子から孫へ、
また、生き続ける私の歌から英雄を知り、
知った英雄のことを語り継いでいってほしい。
どうか、彼のことをみんなで覚えていてほしい。
それが、私が歌い続ける理由だ。
この街で、私が老いないとわかってきたら、
この街をあとにしようかと考える。
それまでは、街の皆に英雄の歌を歌おう。
いろいろな歌を求められるけれど、
やはり英雄の歌は人気であり、私も歌いたい。
吟遊詩人の私は英雄の歌を歌う。
あの時世界を駆け回った彼の歌を歌う。
私の思い出は歌だけ。
それから、彼が言っていた、
おまえは歌が上手いよなという言葉だけ。
私は英雄の思い出を歌にし続ける。
遠い未来に残るように、
全ての人から愛され続けられるように。
私は彼の歌を歌い続ける。
みんなの中に彼がいれば、
彼はいつまでも生き続ける。
私はそれを信じて、歌い続ける。