目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第176話 虚像もまた姿

私には、作られた私の虚像がある。

それは私から、かけ離れたものだ。

かけ離れているけれど、

その虚像も私の姿のひとつなのだろうなと思う。


私は鏡を見る。

鏡に映るのは私だけど、

鏡の向こうに私がいるわけではない。

私を映している像に過ぎない。

虚像と言えばそうなのかもしれないけれど、

私を映しているという事実はある。

真の私ではないかもしれないけれど、

私という要素のうちのひとつを映し出しているのだと思う。

全てが偽りというわけではない。

鏡に映るものが全部真実というわけでもない。

ただ、鏡は私の要素のうちのひとつの側面を映す。

その像もまた私ではある。


私は必要以上に持ち上げられている。

祭り上げられているという状態に近いかもしれない。

私は何かの象徴や偶像やシンボルになっていて、

そのシンボルの私が、いろいろなことを言われていたりする。

私は、シンボルや象徴や偶像の私から、

かけ離れていると思う。

私はそんなことをしていないし、言っていないということもあるし、

そんなにすごいことをしていないのに、しているとされている。

私はそんなにすごくない。

すごい私は虚像の私であると思う。

私の姿をしているけれど、

ここにいる私とはなんだか違うものだ。

けれど、私はすごい私のもとになった考え方は持っている。

最初はその考え方を話しただけだった。

困りごとの相談を受けただけだった。

最初は本当にそれだけだった。

それが、あれよあれよという間に祭り上げられてしまった。

私は奇跡なんて起こしていない。

予言なんてしていない。

そこは私のしたことではない。

でも、みんなが困りごとなく幸せであればいいなとは思う。

私はそのくらいのことしか考えていない。

虚像の私はもっと大きなことを言っているらしい。

世界を平和にするとか何とか。

あまりに大きなことで私からはかけ離れているけれど、

世界が本当に平和になるのならば、

虚像の私という存在も悪くないのかなと思う。


今ここにいる私は、

あまり力のないただの私だ。

ただの私は、みんなが幸せであればいいなと思う。

何の力もないただの私の願いだ。

祭り上げられた虚像の私は、

世界を平和にしてみんなが幸せになるようにするらしい。

私からはかけ離れているけれど、

虚像の私と、この私は、根っこが一緒であると思う。

みんなの幸せを願っている。

その点だけは一緒だ。

だから、虚像の私も、私の一部であるし、

私を映し出しているものである。

あまりに大きく映し出されているので、

私でないと思える時もあるけれど、

虚像の私も私の一部。

全てが偽りというわけでなく、

私の一部を大きく映し出しているものだ。


何の力もないただの私だけど、

虚像の姿も私の姿だ。

虚像に必要以上に取り込まれることなく、

私は私と地に足をつけつつ、

私は虚像の私と力を合わせて、

みんなを幸せにできないかと考える。

奇跡なんて起こせない。

予言なんてできない。

でも、悩みを聞くことはできる。

困りごとを何とかしようと一緒に考えることはできる。

そばにいることもできる。

抱きしめることもできる。

虚像の私がそれをすることによって、

神秘体験が起きるとすればそれは思い込みだけど、

私はみんなへの愛をもって、

心を楽にしてあげたいと思う。

ただの私ができるのはそんなことだ。

虚像の私が大きなものにしてしまうけれど、

私ができることなんて、その程度なんだ。


虚像の私は祭り上げられている。

大した力のない私はその虚像を大きなものに感じつつ、

その根っこの愛を伝えようとする。

虚像の私も私。この私も私。

みんなを幸せにできるのであれば、

私は使えるものをすべて使おう。

鏡に映る私は私の一部。

大きく見える虚像も私の一部。

上手く共存してみんなを幸せにできればそれでいい。

その願いだけは、真実だ。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?