南天という植物があるらしいと聞いた。
そういえば南天のど飴なんてあったっけと思う。
喉に聞くのかなぁと薄ぼんやり思う。
南天は難を転じるらしい。
だから縁起物だと聞いたことがある。
どの時期の縁起物かはよくわからないけれど、
南天のど飴も縁起物なのかなぁとぼんやりと思う。
私は何者かになりたい若者だ。
まぁ、とにかく何者かになって、有名になってお金を得たい、
そんな俗っぽい若者だ。
誰かの助けになろうなどということは、あんまり考えないし、
恋愛にすべてをかけることもできないし、
いわゆるその他大勢の若者のうちの一人ではあるけれど、
何かで一発当てて人生逆転してやろうと思っている。
しかも、楽な手段がいいと思っている。
まぁ、人生甘く見ている節があるのは、否定しない。
一発逆転してお金が転がってくるのならば、
みんなその手段をとるだろうってのはすぐにわかる。
一発逆転に夢を見ているのはよくわかっているけれど、
その夢をかなえたいとも思っている、
甘ったれた若者だ。
まぁ、年上の皆様から見たら、
説教の一つや二つしたくなるような危なっかしい若者だ。
自覚はあるけど、その生き方を変えることは今のところできない。
さて、私は動画配信などということで一発逆転を狙っている。
最近の流行りなのかどうかはわからないけれど、
顔を見せなくても歌が上手ければバズるという風潮がある。
いわゆる、歌ってみた、などである。
歌だけで動画の再生回数が伸びるのであれば、
そこから収入が得られるかもしれない。
私の歌がどんどん有名になって、
顔を出さない謎の歌い手として、
私は何者かになれるかもしれない。
私の歌が聞かれることによって、
私に収入が入ってくるかもしれない。
音源としてリリースされればもっと収入が見込める。
私は何者かになれると同時に収入がどんどん入る。
これが私の描いた一発逆転の筋道だ。
とにかく歌を歌えばいい。
その動画を投稿すればいい。
私は何者かになる最初の一歩を踏み出した。
投稿したはいいけれど、再生はほとんどない。
批判コメントすらつかない過疎動画だ。
動画投稿のために機材を揃えてみたけれど、
今のところそれらの分は赤字だ。
あーあと思う。
気持ちを切り替えて、歌の練習をしまくってから、
歌ってみた動画を投稿する。
多分練習が足りなかったのだなと思う。
技術がないから聞かれなかったんだと思う。
あとは、知名度もない。
技術を磨きつつ、つながりをもっと作るようにする。
私の歌は聞かれれば刺さるはずと思い始めていた。
練習のし過ぎで、喉がガラガラになった。
ガラガラになった喉を南天のど飴で癒しつつ、
しばらく歌ってみた動画が投稿できない旨を、
ライブ配信をしてみた。
顔は隠していて、声もガラガラだ。
そんなライブ配信に結構な人数が来てくれた。
気が付いたら私にはこんなにファンがいた。
いつの何か私は歌い手になっていた。
一発逆転ほどではないけれど、
私は何者かになれていた。
ガラガラの声を心配してくれる友人がいた。
また歌ってくださいと言ってくれるファンがいた。
難が転じた。
人生は甘いものではなかったけれど、
努力して歌の練習をして技術を磨き、
機材をそろえて聞かせるように編集し、
いろいろな人とのつながりをちゃんと作っていき、
私が逆転しようとコツコツ積み重ねてきたことが、
ゆるりといい方向に転じている。
どんな人生であっても、
完璧に人生イージーモードじゃない。
歌ってみれば楽に逆転できるかと思っていたけれど、
歌うこと、その他のことにも、たくさんの努力を重ねて初めて、
人生はゆるりと難を転じていく。
ガラガラの声でライブ配信をしながら、
のど飴をなめる。
視聴者に、喉にいいものがあったら教えてくださいと語り掛ける。
チャットにメッセージがたくさん流れていく。
また、歌おう。
一発逆転でなく歌を待つみんなのために。
南天は難を転じるらしい。
南天のど飴もきっと難を転じてくれている。
喉がよくなったらどんな歌を歌おう。
歌はきっと年を重ねても歌っていける。
若者でなくなって、
私もそのうちどこかに就職するのかもしれない。
それでも歌うことは続けられる。
南天のど飴をおともにして、
ゆるっと難を転じて歌っていこう。
結局、最初から何者かではあったんだ。
逆転しなくても私の人生は充実していたんだ。
やってみなくちゃわからないこともある。
これもまた、転じ続ける人生ってやつかもしれないね。