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第162話 林檎が転がっている

その路地裏には林檎が転がっている。


いきさつは忘れたが、私はとある街に来ていた。

その街はあちこちに汚い水路があり、

汚い水路に面してまともとは言えない職業の店があった。

澱んだ水路が象徴するように、

街自体も澱んでいた。

街の住人の目も澱んでいた。

よそ者の私は、どんよりとした目で睨みつけられた。

言葉にこそされなかったけれど、

歓迎されていないことはありありとわかった。


私は街をさまよった。

そうだ、この街を再開発しようという話ではなかっただろうか。

澱んだ水路の走っている街でなく、

明るく清潔な街にするべきという話ではなかっただろうか。

なぜこんな大事なことを忘れていたのだろうか。

私のどこかも澱んでいる。

水路の張り巡らされた街をさまよっていると、

私の常識が澱んでいく。

記憶が濁っていって思い出せないことが増える。

水路の水のように濁っていく。


水路に面した店の前に、

林檎が転がっている。

ここは、そういう店なのだと私は思う。

店に入ると、林檎のような頬をした少女たちが出迎えてくれる。

ここは、林檎を買う店。

林檎のような頬をした少女を買う店。

少女たちは笑っている。

林檎のような無垢な笑顔だ。

この街のような澱みは一切ない。

林檎のような少女たちは笑う。


私は、少女たちを助けようと思った。

こんな澱んだ街で売られるのはかわいそうだと思った。

とにかく少女を買って、安全な場所に保護するべきだと思った。

私は林檎の頬を持つ少女を買った。

少女は街を出て行ったらしい。

少女は保護されて幸せになるだろう。

私はそのときはいいことをしたと思ったけれど、

林檎の店にはまだまだ少女がいる。

私は次々に林檎の頬を持つ少女を買い続け、

街の外に出して保護を求めていった。

林檎の頬を持った少女がいなくなるまで、

私は買い続けなければならないと思った。


しかし、何度少女を買い続けても、

林檎の頬を持った少女たちはいなくならない。

私は少女たちの見分けがつかない。

全てが林檎の頬の少女としかわからない。

少女たちが笑っている。

林檎が笑っている。

澱んだ水路の街で、

林檎が明るく笑っている。

林檎が転がっている店で、

林檎は笑い続けている。


私の記憶はどんどん澱んでいく。

どれほど林檎を買い続けたかわからない。

澱んだ水路の街に、どれほど長いこといたかわからない。

再開発は取りやめになったという連絡があったけれど、

何のことかさっぱりわからない。

私は林檎を買わなければならない。

林檎がなくなるまで買わなければならない。

水路の街で林檎が転がっている。

その店は林檎を売る店。

林檎を買い続けなければいけない店。


私はこの街にとらわれた。

私の記憶は澱んで、

おそらくこの街の住人と同じ澱んだ目をしている。

林檎を、林檎を買い続けなければならない。

林檎がなくなるまで買い続けなければならない。


この街は多分そんな住民が住んでいる街。

まともな感覚が澱んでしまう街。

妄想にとりつかれてしまう街。

この街の妄想にとりつかれたら最後、

永久に出ることはできない。


林檎が転がっている。

林檎は笑っている。

私は林檎を買い続ける。

林檎を救わなければならないからだ。

なぜ林檎を買うと救われるのか、もうわからない。

ただ、林檎を買うと林檎は笑ってくれる。

幸せそうに笑ってくれる。

それはきっと救われたと思ってくれている笑顔だ。

私はそう信じている。

林檎を救うために、

私は林檎を買い続ける。

救われる林檎がなくなるまで、

この行為に終わりはない。


今日も林檎が転がっている。

店にはまだ林檎がある。

買わなくては。

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