その路地裏には林檎が転がっている。
いきさつは忘れたが、私はとある街に来ていた。
その街はあちこちに汚い水路があり、
汚い水路に面してまともとは言えない職業の店があった。
澱んだ水路が象徴するように、
街自体も澱んでいた。
街の住人の目も澱んでいた。
よそ者の私は、どんよりとした目で睨みつけられた。
言葉にこそされなかったけれど、
歓迎されていないことはありありとわかった。
私は街をさまよった。
そうだ、この街を再開発しようという話ではなかっただろうか。
澱んだ水路の走っている街でなく、
明るく清潔な街にするべきという話ではなかっただろうか。
なぜこんな大事なことを忘れていたのだろうか。
私のどこかも澱んでいる。
水路の張り巡らされた街をさまよっていると、
私の常識が澱んでいく。
記憶が濁っていって思い出せないことが増える。
水路の水のように濁っていく。
水路に面した店の前に、
林檎が転がっている。
ここは、そういう店なのだと私は思う。
店に入ると、林檎のような頬をした少女たちが出迎えてくれる。
ここは、林檎を買う店。
林檎のような頬をした少女を買う店。
少女たちは笑っている。
林檎のような無垢な笑顔だ。
この街のような澱みは一切ない。
林檎のような少女たちは笑う。
私は、少女たちを助けようと思った。
こんな澱んだ街で売られるのはかわいそうだと思った。
とにかく少女を買って、安全な場所に保護するべきだと思った。
私は林檎の頬を持つ少女を買った。
少女は街を出て行ったらしい。
少女は保護されて幸せになるだろう。
私はそのときはいいことをしたと思ったけれど、
林檎の店にはまだまだ少女がいる。
私は次々に林檎の頬を持つ少女を買い続け、
街の外に出して保護を求めていった。
林檎の頬を持った少女がいなくなるまで、
私は買い続けなければならないと思った。
しかし、何度少女を買い続けても、
林檎の頬を持った少女たちはいなくならない。
私は少女たちの見分けがつかない。
全てが林檎の頬の少女としかわからない。
少女たちが笑っている。
林檎が笑っている。
澱んだ水路の街で、
林檎が明るく笑っている。
林檎が転がっている店で、
林檎は笑い続けている。
私の記憶はどんどん澱んでいく。
どれほど林檎を買い続けたかわからない。
澱んだ水路の街に、どれほど長いこといたかわからない。
再開発は取りやめになったという連絡があったけれど、
何のことかさっぱりわからない。
私は林檎を買わなければならない。
林檎がなくなるまで買わなければならない。
水路の街で林檎が転がっている。
その店は林檎を売る店。
林檎を買い続けなければいけない店。
私はこの街にとらわれた。
私の記憶は澱んで、
おそらくこの街の住人と同じ澱んだ目をしている。
林檎を、林檎を買い続けなければならない。
林檎がなくなるまで買い続けなければならない。
この街は多分そんな住民が住んでいる街。
まともな感覚が澱んでしまう街。
妄想にとりつかれてしまう街。
この街の妄想にとりつかれたら最後、
永久に出ることはできない。
林檎が転がっている。
林檎は笑っている。
私は林檎を買い続ける。
林檎を救わなければならないからだ。
なぜ林檎を買うと救われるのか、もうわからない。
ただ、林檎を買うと林檎は笑ってくれる。
幸せそうに笑ってくれる。
それはきっと救われたと思ってくれている笑顔だ。
私はそう信じている。
林檎を救うために、
私は林檎を買い続ける。
救われる林檎がなくなるまで、
この行為に終わりはない。
今日も林檎が転がっている。
店にはまだ林檎がある。
買わなくては。