目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第161話 夢の亡骸を抱きしめて

ここにあるのは夢の亡骸。

あれほど光り輝いていた、夢の、亡骸だ。


私は夢を見ていた。

将来に希望を持っていた。

私は何でもできるような気がしていた。

夢はかなえられると信じていた。

努力をすれば必ず夢はかなうと信じていた。

夢がかなわないのは努力が足りないからだと思っていた。

私は特別なのだと思っていた。

私は必ず夢をかなえると信じていた。

夢は少し遠くで光り輝いていた。

私は夢に手が届くと信じていた。

あの輝く夢に手が届いて、

私は夢と一体化できると信じていた。

夢と一体化して、素晴らしい私になれると信じていた。

全ては、過去の話だ。


幼い頃から、夢を見てきた。

たくさんの希望を持っていた。

成長するに従い、かなえられないことがあることを知る。

世の中は善悪だけでないことを知る。

夢をかなえるには障害がつきものと思っていたけれど、

その障害には理由があることを知る。

障害を弾き飛ばしてしまうことが、

誰かにとって良くないことだと知る。

私だけが生きているわけでないことを知る。

私という人生の主人公は私だけど、

みんな、それぞれの人生を主人公として生きていることを知る。

希望がかなえられないことがたくさんあることを知る。

夢を見続けることの難しさを知る。

夢を見続けることの難しさを知った頃から、

急速に夢は輝きを失い、弱っていった。

あんなに輝いていたのに、

その光が失われて、

夢は力を失っていく。


大人になってから、

夢を見続けることができなくなった。

あの頃なりたい自分にはなれなかった。

あれほど希望を持っていた未来はやってこなかった。

夢見ていた自分にはなれなかった。

輝く夢と一体化して、素晴らしい私にはなれなかった。

夢はいつしか見えなくなっていた。

私は日々の暮らしに忙殺されて、

夢のことを忘れてしまった。

将来なんていつもの日常の繰り返し。

そしてやがて老いていく。

いつか何かで死ぬ。

それが私の人生なんだろうなと思う。


ある日、家の中を片付けしていたら、

夢見ていた頃の落書きを見つけた。

こんな自分になりたいということがたくさん書かれていた。

ああ、こんな夢を見ていた。

私は夢を思い出そうとする。

思い出そうとするけれど、

あの頃のように輝く夢が思い出せない。

なんであの頃はすぐに輝く夢を思い描けたのに、

今はまったく思い出せないんだろうか。

年をとったからだろうか。

単調な日常を繰り返していたからだろうか。

私は夢を思い出そうとする。

夢は、気が付いたら干からびた亡骸になっていた。

幼い頃に描いた未熟な夢の姿は、

輝きを失って亡骸になっていた。

私は夢を描いた落書きを抱きしめる。

それは夢の亡骸だ。

あれほど輝いていた夢の、

忘れられてしまった夢の、

悲しい亡骸だ。


私は落書きを抱いて泣いた。

夢はもう戻ってこない。

あの頃の未来に夢は連れてくることができなかった。

努力だけではどうしようもなかった。

自分の力だけでかなえられるものでもなかった。

私は夢と一体化する素質がなかった。

夢は私を照らしていたけれど、

私が夢を諦め始めたときから、

夢は死に向かっていった。

そして、気が付いたときには、

夢はすでに亡骸になっていた。

私が夢を殺した。

あれほど大事にしていた夢を殺した。

私は罪悪感と、永遠に失われた夢のために泣いた。


夢の亡骸を抱きしめて、

私はかなえられなかった夢を弔う。

輝く夢の在りし日の姿を思う。

今まで忘れていた夢を、

もうかなえられないとわかっている夢を、

亡骸とともにしっかり弔うことにしよう。

これは夢を弔う葬儀。

私が忘れて殺してしまった夢を弔う葬儀。

夢を諦め切る儀式。

そして、過去の私に別れを告げる儀式。


私はもう夢を見ることができない。

もう、悲しい思いはしたくない。

夢の亡骸は丁重に葬ろう。

あの時の私を照らしてくれてありがとう。

かなえられなくてごめん。

忘れてしまってごめん。

殺してしまってごめん。

夢の亡骸は何も言わない。

死んでしまった夢は、もう、私を照らすことはない。

その事実に私は絶望して慟哭した。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?