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第158話 今日も茶柱が立つ

ここは小さなお茶どころ。

お客のためにお茶を選んで入れてくれるお茶どころ。

今日も最高の一杯に茶柱が立つ。


私は今日も癒しを求めてお茶どころにやってきた。

この社会は、いや、世界自体が、

ストレスにあふれていて、毎日生きるのもしんどい。

生きるということだけで、かなり苦労する時代のように思う。

肉体的ストレス、精神的ストレス。

内から外からストレスでおかしくなってしまう。

そんな時にはお茶どころの一杯が効く。

お茶どころでゆったりお茶を楽しんでいると、

店の外のストレスを忘れることができる。

これを癒しと言わないでなんと言おうか。


お茶どころの店の中は、

和をモチーフにしたカフェだ。

和のモチーフは古いと言われそうだが、

ストレスフルのこの時代において、

一周回って癒しに特化したモチーフが新しいらしい。

細部にまでこだわっているのだけど、

それを感じさせない空間の使い方などが、

ストレスが詰め込まれた世の中に生きてきた私たちに、

ストレスの抜けた隙間に余裕を作ってくれる。

和のモチーフは詰め込み過ぎない、引き算のようだと私は感じる。

限りなく引き算されたところに、

私たちは余白を見る。

余白には何を感じてもいい。

何かを感じなくてはいけない、

生きることにいっぱいいっぱいの私たちには、

この余白もまた癒しであるのだろうなと思う。


私はいつもの席に座り、

今日のお勧めのお茶を注文する。

店主自らお茶を入れてくれる。

お茶も高価になって久しい。

いろいろなものの値段が高くなる。

ただ、命の値段は安くなったなと感じる。

みんな生きるために必死なのに、

その命の価値をちゃんとわかっているものが少なくなったなと感じる。

悲しいことだけど、

ストレスにさらされていると、そうなるのかもしれない。

これも時代だろうか。

店主は美しい所作でお茶を入れる。

お茶は嗜好品といえばそうだ。

生きるのに必要な栄養が入っている訳ではない。

でも、この時代を生きるにあたって、

最高の一杯を飲んでいないと、

ストレスで心が死んでしまうような気がする。

このお茶どころのお茶は、私の命をつないでいる。

私をまともにしてくれている、癒しだ。


店主がお茶を出してくれた。

あたたかいお茶には茶柱が立っている。

茶柱が立たないようなお茶の葉を使っていても、

店主はわざと茶柱を立たせていると聞いたことがある。

茶柱はいいことが起きる予兆であると。

お茶を飲んだらいいことがあると。

店主はそんな願いを込めて、

わざと茶柱を立たせているという。

ありがたいなといつも思う。

私にいいことが起きることを願っている存在がいる。

それだけで私は救われるような気がする。


今日のお勧めのお茶を口に運ぶ。

鼻から入る香りがまずとてもいい。

今日は重い香りでなく、すがすがしい香りのお茶のようだ。

重い香りが悪いわけではない。

重く強い香りは、強い力で抱きしめるようなお茶だ。

すがすがしい香りのお茶は、私の手を取ってダンスするようなお茶だ。

どちらにも心を楽にする力がある。

一概に優劣をつけるものではない。

ひとくちお茶を流し込むと、

あたたかいお茶が軽く口の中で踊るようだ。

くるりとターンするように口を楽しませると、喉を降りていって、お腹をあたためる。

お腹まで入ったお茶は、ストレスで冷えたであろう私の身体の芯をあたため、

私の身体に活力の火を灯す。

ああ、まだ生きていける。

お茶どころでお茶を飲むたびに、

私はまだ生きていけると感じる。


時間をかけてお茶を楽しみ、

代金を払ってお茶どころを出る。

外は荒廃した世界。

戦争があった、パンデミックがあった、

気候が荒れまくった、人々の心もすさんだ。

そんな時代を越えてきた、

みんな壊れてしまったあとの世界だ。

みんな生きることに必死で、

壊れた世界でストレスを感じながら、

なんとか日々を生きようとしている。

物価は上がり、命の価値は安くなったけれど、

それでも私は生きようと思う。

お茶どころの店主が、希少価値のお茶でいつも茶柱を立ててくれるように、

私にいいことが起きるように願ってくれるのならば、

私はこの世界で生きようと思う。


ここは小さなお茶どころ。

お客のためにお茶を選んで入れてくれるお茶どころ。

今日も最高の一杯に茶柱が立つ。

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