ここはあの世とこの世の狭間。
いろいろな描かれ方をしている場所ではある。
川があるとか、天国があるとか地獄があるとか、
輪廻があるとか、どうしたこうした。
そのあたりは宗教も絡んでくるし、
あの世とこの世の間を経験したことがないと、
その独特の感覚や、感じ方などはできないものだと思う。
生きている間にいろいろなイメージがついてきて、
それが元になって感じるものでもある。
まだこの世を引っ張っていて、
また、あの世にも向かっている。
その狭間はいろいろな感覚を持つものだと思う。
どの描かれ方も正解なんだと思う。
この世から持ち込んだイメージが元になっているから、
まぁ、どの感じ方も正解だ。
ここには宗教戦争はない。
ただ、あの世とこの世の狭間である場所だ。
さてと、僕はあの世とこの世の間の、
うーん。なんと言うかなぁ。
お手伝い役とでもしておこうかな。
僕は特定の宗教やイメージを持っていないから、
あの世とこの世の狭間のこの場所が、
この世からのイメージのフィルターを通していない。
その僕が見ているこの場所の風景は、
あなたにわかるように言うと、
開封したボトルのソーダ水の泡が上へと上がっていくようなんだ。
下がこの世。命が終わった魂は、肉体がなくなって魂だけの存在になって、
ソーダの泡のように上へと上がっていく。
開封したボトルのソーダの泡は、
最後にはシュワシュワといって、
ボトルの口のあたりから空気に消えちゃうよね。
魂はソーダの泡のように上へといって、
無事にあの世にたどり着くと、あの世の中に溶けてしまう。
意識がなくなるわけではないと聞くけれど、
あの世でケンカしているとは聞かないから、
まぁ、ゆるっと平穏なんだろうなと思う。
さて、僕はお手伝い役なんだけど、
ボトルのソーダ水を想像してみて、
ボトルに張り付いた泡があるのがわかるかな。
なかなか上に行かないソーダの泡。
あの世とこの世の中でも、魂がたまにそうなることがあって、
あの世に行きたくない、この世に未練があると、
魂が張り付いちゃうんだよね。
僕はそんな張り付いている魂を説得して、
傷つかないように剥がして、
また、上へと上げてあげるのがお仕事だ。
だから一応お手伝い役。
上へと上げるためのお手伝い役。
僕をはじめとしてお手伝い役は何人かいるけれど、
この世で持ったイメージなんかを引きずっていると、
僕らは天使に見えるらしい。
宗教が違ったらまた別のありがたいものに見えるのかな。
まぁ、とにかくなんだかありがたいものと呼ばれている。
ただのお手伝い役なんだけど、
この世のイメージを引きずっていると、
僕らの存在もまた、フィルター通していろんなものに見えるらしいね。
今日もソーダの泡のように魂があの世へと向かう。
上へ上へと上がっていく。
僕はソーダのボトルの中にいるような感じで、
シュワシュワと上がっていく泡のような魂を見る。
多分人だけではないんだろうなと思う。
いろんな生き物の魂が上がっていく。
魂が未練で張り付くのは、決まって人だけど、
やっぱり人は未練を持ちやすいんだろうなと思う。
なんというかなぁ。
あの世に対するイメージを持っている生き物なのかもしれないね。
死の向こうをイメージしているのかもしれない。
死の向こうがあるのならば、
そこまで至らなければ戻ることもできるのかもしれないと、
思っているのかもしれない。
だから時々魂が未練で張り付くのかもしれない。
僕はお手伝い役ではあるけれど、
張り付いた魂を説得するのも悪くないと思うよ。
未練が残るくらい、精一杯生きてきた魂だから、
よくやったねと褒めてあげたいと思うんだ。
残してきたものも大丈夫だよと。
魂が築いてきたものは決して無駄じゃないと。
生き様は残り続けると。
いろいろな言葉で説得する。
魂はしばらくすると剥がれて上へと上がっていく。
安心してくれると、僕も嬉しいね。
僕はあの世とこの世の狭間でお手伝い役をしている。
イメージのフィルターがなければ、
もしかしたら僕に会えるかもしれない。
いろんなイメージのフィルターを持ってここに来たら、
まぁ、いろんな姿になると思うよ。
それでも僕は魂を上に上げることがお仕事だよ。
どんな姿でも多分僕だから、
もしもの時は、びっくりしないで僕だと思ってほしいな。
とにかく、こんなところに来るのはずっと後になって欲しいから、
もう少し長いこと生きてから来てね。
ここに来るようなことがあったら、
あの世まで上がっていくのをお手伝いするから安心しててね。
君の魂もいずれはソーダの泡。
シュワシュワきらめく、きれいなソーダの泡だよ。
それじゃ、泡になる前に人生楽しんできてね。
精一杯生きて楽しんだ方がいいからね。
生き抜いたらここにおいで。
またね。