科学者になりたかった。
毎日実験して暮らせたら楽しいだろうなと思った。
それは当時小学生だった、私の夢だった。
私の性別は女で、
女は理系に進むものではないと、
高校進学のあたりで捻じ曲げられた。
女はこうあるものというのが、
なんだか知らないけれど漠然とあって、
とにかく理系は女のするものではない。
いろいろな訳の分からない声に押しつぶされて、
私の理系への道は閉ざされた。
それから私の心根は捻じ曲がった気がする。
とにかく女がそうあるようにとされていたものに対して、
斜めから見るように育っていった。
素直になれなかったし、愛想もよくなかった。
媚びることもできなければ、おしゃれも下手くそになった。
理系に進めないことから始まって、
私自身が捻じ曲がった。
とにかくかわいくない女になった。
女ということを呪い続けて、
かといって男になりたいわけでなく。
私はかわいくないまま社会人になって、
性格は捻じ曲がっているけれど、
女同士でつるむようなことは出来なくて、
とにかく地味で、一人ぼっちで仕事をした。
女がするような事務職について、
私は毎日不完全燃焼を起こしていた。
幼い頃の、実験を毎日するような科学者になりたかった夢は、
捻じ曲がった私の奥底で燐光のようにちらちら光っている。
女同士で陰口をたたかない私を、
職場の地味な男性が見初めた。
真面目に仕事をしているのがいいのと、
過剰に女でないのがよかったらしい。
どういうことかと尋ねたら、
女がこうあるべきというのを、てんこ盛りした女というものは、
この男性にとっては異質すぎて近づきたくないらしい。
物好きだなとも思ったけれど、
女であることを求められないのもいいかと思って、
その男性とお付き合いをし、
なんだかんだで居心地がよくて結婚した。
私は事務職を続けつつ、
妻としても毎日家事をしている。
地味な旦那様は、食にこだわりがない。
それでも食の体裁は整えようと思って、
私はいろいろなレシピを見た。
レシピを見ていて気が付いた。
これはもしかしたら化学反応をもとにした実験ではないだろうか。
たんぱく質が熱で反応することや、
糖や食塩による反応、
アミノ酸のことも説明がつく。
レシピをもとにして、キッチンに立ってみたら、
私の中で調理が実験になった。
これは科学者の実験だ。
料理を作ることは、実験をすることだ。
レシピとして一つの形ができているけれど、
それを証明する手段として実験する。
また、レシピを展開させて更なるレシピを考えて実験する。
料理は科学で説明がつく。
愛をこめろとは聞いた気がするけれど、
とにかく科学で説明がつく。
愛はあっても無くても、
科学的に説明がつくレシピ通りに作りさえすれば、
間違いなく味を再現させることができる。
再現性があることも、また、科学だ。
私の目の前が急に開けた。
毎日実験できる場所がある。
このキッチンは私の実験室だ。
誰にも邪魔されない、私だけの実験室だ。
好きなだけ実験ができる。
実験したものは食べることによって、
実験の成果を毎日確認することができる。
研究すればもっといろいろなことができるし、
実験する幅も広がっていく。
女だからと捻じ曲げられて今まで来たけれど、
こんなところに私だけの実験室があった。
私はキッチンの科学者。
毎日実験ができる科学者だ。
私は私なりの夢を手に入れた。
地味な旦那様は、料理を食べると、
少ない言葉で美味しいと述べてくれる。
その料理の裏に、
私の膨大な実験記録があることは知られていない。
料理研究家になるわけじゃないけれど、
料理実験研究の論文でも書けたら面白いなと思う。
ひとまずは、地味な旦那様の美味しいを引き出せれば、
キッチンの科学者の実験は成功というわけだ。
明日はどんな実験をしようか。
それを考えると毎日がとても楽しい。
キッチンの科学者の毎日は、とても充実している。