目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第148話 キッチンの科学者

科学者になりたかった。

毎日実験して暮らせたら楽しいだろうなと思った。

それは当時小学生だった、私の夢だった。


私の性別は女で、

女は理系に進むものではないと、

高校進学のあたりで捻じ曲げられた。

女はこうあるものというのが、

なんだか知らないけれど漠然とあって、

とにかく理系は女のするものではない。

いろいろな訳の分からない声に押しつぶされて、

私の理系への道は閉ざされた。

それから私の心根は捻じ曲がった気がする。

とにかく女がそうあるようにとされていたものに対して、

斜めから見るように育っていった。

素直になれなかったし、愛想もよくなかった。

媚びることもできなければ、おしゃれも下手くそになった。

理系に進めないことから始まって、

私自身が捻じ曲がった。

とにかくかわいくない女になった。


女ということを呪い続けて、

かといって男になりたいわけでなく。

私はかわいくないまま社会人になって、

性格は捻じ曲がっているけれど、

女同士でつるむようなことは出来なくて、

とにかく地味で、一人ぼっちで仕事をした。

女がするような事務職について、

私は毎日不完全燃焼を起こしていた。

幼い頃の、実験を毎日するような科学者になりたかった夢は、

捻じ曲がった私の奥底で燐光のようにちらちら光っている。


女同士で陰口をたたかない私を、

職場の地味な男性が見初めた。

真面目に仕事をしているのがいいのと、

過剰に女でないのがよかったらしい。

どういうことかと尋ねたら、

女がこうあるべきというのを、てんこ盛りした女というものは、

この男性にとっては異質すぎて近づきたくないらしい。

物好きだなとも思ったけれど、

女であることを求められないのもいいかと思って、

その男性とお付き合いをし、

なんだかんだで居心地がよくて結婚した。


私は事務職を続けつつ、

妻としても毎日家事をしている。

地味な旦那様は、食にこだわりがない。

それでも食の体裁は整えようと思って、

私はいろいろなレシピを見た。

レシピを見ていて気が付いた。

これはもしかしたら化学反応をもとにした実験ではないだろうか。

たんぱく質が熱で反応することや、

糖や食塩による反応、

アミノ酸のことも説明がつく。

レシピをもとにして、キッチンに立ってみたら、

私の中で調理が実験になった。

これは科学者の実験だ。

料理を作ることは、実験をすることだ。

レシピとして一つの形ができているけれど、

それを証明する手段として実験する。

また、レシピを展開させて更なるレシピを考えて実験する。

料理は科学で説明がつく。

愛をこめろとは聞いた気がするけれど、

とにかく科学で説明がつく。

愛はあっても無くても、

科学的に説明がつくレシピ通りに作りさえすれば、

間違いなく味を再現させることができる。

再現性があることも、また、科学だ。


私の目の前が急に開けた。

毎日実験できる場所がある。

このキッチンは私の実験室だ。

誰にも邪魔されない、私だけの実験室だ。

好きなだけ実験ができる。

実験したものは食べることによって、

実験の成果を毎日確認することができる。

研究すればもっといろいろなことができるし、

実験する幅も広がっていく。

女だからと捻じ曲げられて今まで来たけれど、

こんなところに私だけの実験室があった。

私はキッチンの科学者。

毎日実験ができる科学者だ。

私は私なりの夢を手に入れた。


地味な旦那様は、料理を食べると、

少ない言葉で美味しいと述べてくれる。

その料理の裏に、

私の膨大な実験記録があることは知られていない。

料理研究家になるわけじゃないけれど、

料理実験研究の論文でも書けたら面白いなと思う。

ひとまずは、地味な旦那様の美味しいを引き出せれば、

キッチンの科学者の実験は成功というわけだ。

明日はどんな実験をしようか。

それを考えると毎日がとても楽しい。

キッチンの科学者の毎日は、とても充実している。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?