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第144話 まだ夢を見ている

私はまだ夢を見ている。


あいかわらず私の意識は脈絡がない。

まだ夢を見ているんだろうなと、うっすら思う。

寝て見る夢もそうなのだろうし、

起きていて将来こんな風になりたいと願うのも夢と言う。

夢と言うものの定義は結構広い。

英語でドリームなどと言うけれど、

それもかなり広い夢を定義しているようだし、

一言単語で夢と言っても、

たくさんの意味が含まれていて、

また、夢の世界はとても広いのかもしれない。

私の意識は脈絡ないまま、

夢の中をフワフワと漂っている。

多分だけど、私にとっては、人生そのものが夢なのかもしれない。

夢の中のように生きているのかもしれない。

現実というものがないままで、

フワフワと生きているのかもしれない。

私はまだ夢を見ている。

夢の中がそうであるように生きている。


私は夢の中でたくさんの人生を生きてきた。

老人になるまで生きて、たくさんの家族に看取られる人生も生きた。

若い時に希望にあふれていたら、事故で亡くなった人生も生きた。

顔の整った姿に生まれて、俳優になった人生も生きた。

猫に囲まれた人生も生きた。

孤独な人生も生きた。

たくさんの人生を渡り歩いて、

人生が終わると、私はまた夢のように別の人生を始める。

ああ、この人生も夢なのだなと思いながら、

夢見るように人生を味わう。

たくさんの人生たちは、夢の中がそうであるように脈絡がない。

その中で生きている限りは、人生とはそんなものだと思っているけれど、

よくよく考えるとおかしいことがたくさんある。

夢の中で生きているときに気が付くけれど、

やっぱりこれも夢だからこんなものだなと思って、

私はたくさんの人生を楽しむ。

これも夢、あれも夢。

夢の中でなりたいものも夢。

私はなんにでもなりたいと望むことができた。

どんな夢を持つこともできた。

夢の中の人生で、それは脈絡なく叶った。

夢だからなぁと私は思う。

フワフワと漂うように、

私は夢の人生をいくつも渡る。


夢を見ている私は何者なのだろうかと思う。

いくつかの夢のどこかで、

脳だけが取り出されて電気信号で夢を見ているという、

そんなものを読んだような気がする。

これは脳が見ている夢なのだろうか。

私というものは、脳だけが存在しているのだろうか。

だとしても、脳だけが夢を見ているにしては、

あまりにも意味がないなと私は思う。

よくわからないけれど、

脳だけを夢見させていることに対して、

技術が無駄遣いじゃないかなぁと思う。

いくつかの夢の人生でそんな研究があるとは聞いたような気がするけれど、

ひとつの脳に対して、夢だけ見せる技術を入れるには、

無駄遣いじゃないかなぁと思う。


それでは私は何なのだろうか。

何度も夢の中で人生を渡る私は何者なのだろうか。

夢の人生が終わると、次の夢の人生が始まる。

脈絡なくなんとなくつながっているようなそうでもないような人生。

フワフワと地に足のついていないような人生。

そういえば歩いたという記憶がない。

いくつもの夢を見たけれど、

どれも地に足がついていない。

歩くとはどんなものだっけ。

足には裏があるけれど、そこにどんな感覚があるんだっけ。

いつも夢の中では滑るように進んでいる。

地に足がつかないまま、地の少し上を滑って進んでいる。

そんなものだと今まで思っていたけれど、

いろいろな人生を渡ってきたけれど、

どれもこれも感覚がない。

足の裏の感覚だけでなく、

つかんだ感覚も触れた感覚もない。

もしかしたら私は、感覚というものを会得する前の存在なのかもしれない。


多分私が感覚というものをしっかり会得する時、

長い長い私の夢が終わる。

たくさん渡り歩いた私の夢の人生たちが、

ひとつの人生になって、それが現実というものになる。

おそらくそこでは足で歩くのだろうし、

足の裏には感覚があるのだろうと思う。

未知の感覚が現実にはあるのだろうと思う。

どれもこれも夢にはないものなのだろうと思う。


そんなことを考えるということは、

私の夢の終わりが近づいているのかもしれない。

多分私は長い長い夢のすべてを忘れるだろう。

私はまだ夢の中にいるけれど、

現実というものの気配が近いのだろうと思う。

いろいろな夢が消えてしまう時が近づいてきている。


長い夢が終わる時、

私は生まれる。

何ひとつ持たずに、生まれる。

そして私は現実を感じる。

身体一杯にすべてを感じる。

これが、長い夢の終わりだ。


産声があがる。

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