噂を本気にしたわけではなかったけれど、
なんでも消してくれる店があると聞いて、
僕は噂の店を探して歩いていた。
この町のこの通りの路地を行った先のはずなんだけど。
常連しかわからないような、
小さな飲み屋や小料理屋が並んでいる路地を入って、
くねくね曲がる路地を先へ先へと歩く。
こんなところまで飲食する誰かがいるのだろうかと思っていたけれど、
路地を先に進んでいたら、なんだか様子が違ってきた。
飲み屋や小料理屋が並んでいたはずの路地は、
見たことのない店の並ぶ路地になっていた。
いつからこんな店が並んでいたのだろう。
そして、これらの店は一体何なのだろうか。
ひとつ看板を見たら、秘密銀行とあった。
看板の下には、あなたの秘密を増やしませんかとある。
他の看板を見たら、星屑屋とある。
何がなんだかさっぱりわからない。
けれど多分、こんな訳の分からない店の中に、
なんでも消してくれる店があるのだと思う。
確かに、なんでも消してくれるなんて店があるとしたら、
こんな訳の分からない店の中にあるのが当然のように思われた。
いつの間にか路地の上には赤い提灯がぶら下げられて並んでいる。
なんだかお祭りのようだとも思うし、
世界のどこにもないような異国のような気もした。
知らない国のような、どこか懐かしい路地を僕は歩く。
僕はなんだか導かれるように、
路地のある場所の前で立ち止まった。
なんでも消します消しゴム屋。ここだ。
看板こそ消しゴム屋などと訳の分からないものではあるけれど、
店構えは突飛なものでなく、
古い雑貨屋のような店構えだ。
僕は消しゴム屋のガラスの扉を横にガラガラとスライドさせる。
中には箱が並んでいた。
箱には、型番らしいものが書かれている。
これがもしかしたら消しゴムなのかもしれない。
型番によって、消すものが違う消しゴムなのかもしれない。
僕はしばらく店をながめる。
静かな店で、生活音すらない。
必要ないものが消えたような店だ。
「あんたも何か消しに来たのかい」
店の奥から声がした。
足音がしたのでそちらを見ると、
眠そうな目をしたおじさんがいた。
おじさんはあくびをひとつ。
「最近、何かを消したい奴が多くてね。休んでいる暇がないんだよ」
眠そうなおじさんは肩を上げ下げした。
肩こりもあるようだ。
伸びをすると身体中がバキバキ言っているのが聞こえた。
どうやら相当お疲れらしい。
「あの、疲れているところすみません」
「わかってるって、消す仕事だろ」
眠そうなおじさんは、首をぐるりと回してバキバキと鳴らす。
元気は出ないようだけど、一通り動けるようになったようだ。
「それで、何を消したいんだ」
「それは」
と、僕は言おうとして、思い出せないことに気が付く。
僕は何を消しに来たんだっけ。
僕はなんでも消す店の噂を聞いて、
噂の路地を入っていって、
消しゴム屋を見つけて、消してもらうものを消してもらおうと思って、
そもそも僕は何を消してもらいたかったんだっけ。
僕が消したかったものはどんなものだっけ。
思い出せない。
本当に存在したのかもわからない。
混乱している僕を、眠そうなおじさんはながめて、
「なんだ、消すものないのか」
「あの、思い出せなくなってて。確かにあったんです。消してもらいたいものが」
「消すものないんだったら帰った方がいい。この町にいすぎると帰れなくなるぞ」
僕は訳が分からないなりに感じた。
この町はずっといていいところじゃない。
この町に取り込まれたら僕は帰れなくなる。
消したいものは思い出せないけれど、
それ以上に長居できる場所でないことは感じた。
「あの、お疲れのところすみませんでした。消すもの思い出したらまた来ます」
「あー、来なくていいよ。多分思い出せないからさ」
「でも」
「帰り道覚えている間に帰りな。あんたを待ってる誰かがいるよ」
僕は訳が分からないなりに納得して、消しゴム屋を出ようとした。
だから、眠そうなおじさんの言葉はよく聞き取れなかったけれど、
「気が付かないほど消してしまうのも職人ってもの。これも仕事だな」
などと言っているような気がした。
何を意味しているかはわからなかった。
僕はなんとなく帰ってきた。
何かを忘れているような気がしたけれど、
忘れる程度だからその程度なのだと思う。
消しゴムを見ると何かを思い出しかけるけれど、
記憶に消しゴムがかけられたように、
消しゴムに関することが思い出せない。
消しゴムに関して何があったのか、何かあった気がするのに、
僕の周りで何かが消えているような気がするのに、
それが何だったのか、僕はまったく思い出せない。
眠そうなおじさんを見ると、何かか反応するけれど、
それが何なのか、僕はわからない。