目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報
第139話 命をいただく

結局、命をいただかない道はなくて、

私は生きるために命をいただく。


食事の前にいただきますと言うのは、

命をいただくから、それに感謝をするのだと聞いた。

肉は命だった。魚も命だった。

植物を命ではないとする一派もいるようだけど、

植物も命だった。

食事というものは、命だったものをいただく行為だ。

生きていたものが命でなくなり、

食材に変わる。

生きていたものが見るはずだった明日を見るため、

私たちは命だった食材を食べて生きる。

そこまで考え込まなくても、

食べるものはもともとは命だった。

そのくらいの感覚でいいのかもしれない。


私は一般的なレストランで食事をする。

レストランであっても、食材はもともと命だったものだ。

調理時間短縮のために加工はされているだろうけれど、

元をただせば何かしらの命だった。

私は命をいただくべく、

いただきますと言ってから食事を始める。

家であろうがレストランであろうが、

ファストフードの店であろうが、麺類が早く出てくる店であろうが、

いただきますは欠かしたことがない。

命に対する礼儀、

命を刈り取った誰かに対する礼儀、

命だったものを食べられるように加工した誰かに対する礼儀、

いろいろな思いを込めてのいただきますだ。

今日もひとりで黙々と食事をする。


突然、店内がうるさくなった。

ああ、強盗かと私は思った。

このあたりも治安が悪くなったとは聞いていた。

こんなに美味しい食事を出してくれる店ならば、

売り上げがあるだろうと思って強盗に入ったのだろう。

銃を持った者が、複数いるようだ。

金を出せと騒いでいる。


命をいただかない道はないものだろうか。

食事以外で命をいただかない道はないのだろうか。

毎日の食事でたくさんの命をいただく。

それだけでもたくさんの命を背負っているのに、

食事にならないこの強盗のようなものの命まで、

背負わない道はないだろうか。

この町で散々命をいただいてきた。

どれもこれも、命をもてあそぶような奴の命だ。

私が裁くことではないのかもしれない。

私が善悪や命の良し悪しを決めることではないかもしれない。

それでも、命をもてあそぶ存在を私は許せない。

命だった食材を粗末にするのも許せないし、

命だった食材を食べて、懸命に生きているみんなの命をもてあそぶ奴を許せない。


私は、私の中に語り掛ける。

いつも腹を空かせている存在が私の中にいる。

命をいただき、空腹を満たす異形のものがいる。

私と異形のものは、

命をもてあそんで粗末にする奴を許せない。

そこが一致していて、今までバランスを取ってやってきた。

異形のものが目を覚ます。

私は視線を強盗に向ける。

私の中で異形が了解したようだ。

『あんたが美味い飯食べている間に終わる』

異形が私の影から出て行く。

私はレストランの食事を黙々と食べる。

悲鳴が上がる。

バキバキという異形の咀嚼音。

お客からも悲鳴が上がる。

逃げる足音が聞こえる。

食べないでくれという泣き声も聞こえる。


「ごちそうさま」

私と異形が同時に言うと、

私たちの食事が終わる。

私はレストランで会計をして、店を出ようとする。

また、騒ぎになってしまったなと思う。

このレストランの食事は美味しかったんだが、

もう来ない方がいいだろうかと、ため息をつく。

そんな私に声をかけてきた誰かがいる。

見ると、レストランの店員が、少し泣きそうになりながら、

「ありがとうございました。またいらしてください」

と、言って、深々とお辞儀をしていた。

私は少し微笑んで、

美味しく命をいただけるこの店にまた来ようと思った。


命をいただくことで、命をつなぐことができたり、

命を守ることができるのならば、

命をいただくこの身も悪くないなと思う。

私は治安の悪い町に出る。

私の中の異形はまだ腹を空かせている。

命をもてあそぶ奴らはまだいるだろう。

その命をいただこう。

この町の食事が安心安全なものになるまで。

みんな笑顔でいただきますが言えるまで。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?