結局、命をいただかない道はなくて、
私は生きるために命をいただく。
食事の前にいただきますと言うのは、
命をいただくから、それに感謝をするのだと聞いた。
肉は命だった。魚も命だった。
植物を命ではないとする一派もいるようだけど、
植物も命だった。
食事というものは、命だったものをいただく行為だ。
生きていたものが命でなくなり、
食材に変わる。
生きていたものが見るはずだった明日を見るため、
私たちは命だった食材を食べて生きる。
そこまで考え込まなくても、
食べるものはもともとは命だった。
そのくらいの感覚でいいのかもしれない。
私は一般的なレストランで食事をする。
レストランであっても、食材はもともと命だったものだ。
調理時間短縮のために加工はされているだろうけれど、
元をただせば何かしらの命だった。
私は命をいただくべく、
いただきますと言ってから食事を始める。
家であろうがレストランであろうが、
ファストフードの店であろうが、麺類が早く出てくる店であろうが、
いただきますは欠かしたことがない。
命に対する礼儀、
命を刈り取った誰かに対する礼儀、
命だったものを食べられるように加工した誰かに対する礼儀、
いろいろな思いを込めてのいただきますだ。
今日もひとりで黙々と食事をする。
突然、店内がうるさくなった。
ああ、強盗かと私は思った。
このあたりも治安が悪くなったとは聞いていた。
こんなに美味しい食事を出してくれる店ならば、
売り上げがあるだろうと思って強盗に入ったのだろう。
銃を持った者が、複数いるようだ。
金を出せと騒いでいる。
命をいただかない道はないものだろうか。
食事以外で命をいただかない道はないのだろうか。
毎日の食事でたくさんの命をいただく。
それだけでもたくさんの命を背負っているのに、
食事にならないこの強盗のようなものの命まで、
背負わない道はないだろうか。
この町で散々命をいただいてきた。
どれもこれも、命をもてあそぶような奴の命だ。
私が裁くことではないのかもしれない。
私が善悪や命の良し悪しを決めることではないかもしれない。
それでも、命をもてあそぶ存在を私は許せない。
命だった食材を粗末にするのも許せないし、
命だった食材を食べて、懸命に生きているみんなの命をもてあそぶ奴を許せない。
私は、私の中に語り掛ける。
いつも腹を空かせている存在が私の中にいる。
命をいただき、空腹を満たす異形のものがいる。
私と異形のものは、
命をもてあそんで粗末にする奴を許せない。
そこが一致していて、今までバランスを取ってやってきた。
異形のものが目を覚ます。
私は視線を強盗に向ける。
私の中で異形が了解したようだ。
『あんたが美味い飯食べている間に終わる』
異形が私の影から出て行く。
私はレストランの食事を黙々と食べる。
悲鳴が上がる。
バキバキという異形の咀嚼音。
お客からも悲鳴が上がる。
逃げる足音が聞こえる。
食べないでくれという泣き声も聞こえる。
「ごちそうさま」
私と異形が同時に言うと、
私たちの食事が終わる。
私はレストランで会計をして、店を出ようとする。
また、騒ぎになってしまったなと思う。
このレストランの食事は美味しかったんだが、
もう来ない方がいいだろうかと、ため息をつく。
そんな私に声をかけてきた誰かがいる。
見ると、レストランの店員が、少し泣きそうになりながら、
「ありがとうございました。またいらしてください」
と、言って、深々とお辞儀をしていた。
私は少し微笑んで、
美味しく命をいただけるこの店にまた来ようと思った。
命をいただくことで、命をつなぐことができたり、
命を守ることができるのならば、
命をいただくこの身も悪くないなと思う。
私は治安の悪い町に出る。
私の中の異形はまだ腹を空かせている。
命をもてあそぶ奴らはまだいるだろう。
その命をいただこう。
この町の食事が安心安全なものになるまで。
みんな笑顔でいただきますが言えるまで。