洗濯物をたたむ母の姿をよく覚えている。
母の記憶は、いつも洗濯物とともにあったように思う。
典型的な主婦だったか、
あるいは、世間一般がどうなのか、
そのあたりはよくわからないけれど、
母はよく洗濯をしていたように思う。
洗濯こそ洗濯機で回すものだけど、
丁寧にしわを伸ばして洗濯物を干したり、
晴れた日は早くに起きて洗濯物をしっかり乾かしたり、
雨の日も洗濯は欠かさずに、
コインランドリーでしっかり乾かしてきたり、
毎日しっかりと洗濯をして、乾かして、
そして洗濯物をしっかりたたんでしまう。
夕方になる前に洗濯物を取り込んで、
まだ明るい部屋で洗濯物をたたむ母の姿を覚えている。
どの衣類も丁寧にたたんでいて、
衣類が誇らしげに見えたものだった。
幼い私は母の背中に抱き着く。
母はお日様の匂いがした。
母には、私をはじめとした娘が三人いた。
基本、女の子は身だしなみを気にする。
昨日と同じ衣類など着ない。
だから洗濯は毎日だったと思う。
父親もよく着替える人だった。
いろいろと汚れる仕事をする人で、
なおかつ、仕事を終えたらスポーツをするようなパワフルな人だった。
仕事の衣類とスポーツの汗の衣類、
とにかくそれが毎日出るのだから、
なおさら洗濯が毎日になった。
洗濯機がいくら自動だとはいえ、
母は大変だっただろうなと今になって思う。
パワフルだった父は、ある程度の年齢になってから、
母を置いて亡くなった。
スポーツの後に結構な量の晩酌をする人だったけれど、
肝臓でなく、別の病気で亡くなった。
私たち三姉妹は、それぞれ伴侶を見つけて、
実家を出て行った。
母とはよく連絡を取り合って、
三姉妹して近況をよく話す。
嫁ぎ先で、私は洗濯をしている。
夫の分と自分の分だけど、
それよりもっと大量の洗濯物を毎日干していた母の偉大さを思う。
洗濯物を干していた母の背中に抱き着いたとき、
お日様の匂いがしたけれど、
背中がとても大きかったことも思い出す。
親の背中はとても大きい。
その背中を目指して歩んでいくけれど、
追いつけないと思うほど大きい。
お日様の匂いのする背中は、
底抜けに優しくて、すべてを許すようだ。
母は今でも実家で毎日洗濯をしているらしい。
洗濯物が少なくなったと笑っていた。
母は少し小さくなったように見えるけれど、
その背中はあいかわらず大きく見える。
抱き着くことはなくなったけれど、
多分今でもお日様の匂いがするものだと思う。
母はお日様そのものなのかもしれない。
家族の中心で笑っていたのは母だった。
陽だまりの中で洗濯物をたたむ母の記憶。
あたたかな母の記憶。
記憶の母の近くには、たたまれた私たちの衣類があって、
衣類は誇らしげに見える。
どの衣類もしわがなく、
どこに出しても恥ずかしくないほど整えられている。
私たちもそんな風に育てられたのかなと思う。
母が私を誇りに思うかはわからないけれど、
少なくとも、衣類はしっかりと整えたものを準備してくれていた。
毎日洗濯して、しっかりきれいにしてくれていた。
その衣類を着て、誰にも恥じないようにと送り出してくれた。
記憶の母はひだまりで洗濯物をたたむ。
その背中はいつでもあたたかく、お日様の匂いがして、大きい。
あの頃の母を越えることは、
しばらくできそうにない。