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第134話 悲しみを癒すコーヒー

悲しみに寄り添ってくれるもの。

それはコーヒーかと私は思う。


私は町の喫茶店によく行く。

最初はかっこつけのつもりだった。

喫茶店で苦いコーヒーを飲んでいると、

なんだかかっこいい大人になれたような気がした。

今思えば背伸びだったのだけど、

背伸びでしか見えない風景があった。

未熟な私は喫茶店のコーヒーを飲んで、

さながら、思いっきり爪先立ちをするようなフラフラの背伸びをして、

大人の仲間入りをするべくかっこつけていた。

喫茶店のマスターは、いつも無口だった。

私の背伸びしたコーヒーに、

砂糖多めにしますかなどとは聞いてこなかった。

今思えば、私の背伸びを見守っていてくれたのだと思う。

かっこばかり気にしていた未熟者だった。

背伸びしたコーヒーは限りなく苦かった。

苦いけれど、香りはとても甘く優しく、

大人とはこんなものだとなんとなく感じていた。


次第に、背伸びしなくても大人扱いされる年頃になった。

それでも私は喫茶店に通った。

コーヒーは頭の切り替えに使った。

苦みが集中をあげるのにいい感じがした。

また、香りはピリピリした神経を落ち着かせるような気がした。

集中して、興奮を抑えて、

私は仕事の失敗などから頭を切り替える。

その頃には後輩もできていた。

私ができないと言ってはいけない。

大人とは、できないことがあってはいけない。

後輩の前ならばなおさらだ。

山のように構えて、後輩が失敗したならばフォローをする。

未熟な頃に憧れていた大人というものは、

こんなにも裏でいろんなことを考えているものかと思った。

喫茶店でコーヒーを一杯嗜む。

正々堂々頭を下げる算段をする。

大人とは、どれだけ頭を下げられるかだと思う。

大人とは大きなものでなく、

何かを守るために頭を下げて小さくなれるのが大人だ。

無口なマスターの入れたコーヒーは苦いけれど、

その苦さが覚悟をくれる。

私は覚悟を決めて、喫茶店をあとにする。

泣き言の前にすることがある。


あれからまた月日が過ぎた。

私は結婚を考えていた恋人に振られた。

親の具合も最近よくない。

会社での扱いもよくない。

かろうじて給料はあるけれど節約では追いつかなくなってきた。

四方八方ふさがっている。

それでも私は喫茶店にやってきた。

大人というのは万能でなく、

ちょっとしたことで高い壁が立ちふさがることもある。

その高い壁は、前ばかりでなく、

私の周りすべてを囲んで、

私はその場から動けない。

何から手を付ければいいかわからない。

どうすればいいかわからない。

どこまでも無力で、何ひとつ解決できない。

うつむく私の前に、マスターのコーヒーが置かれた。

心地よい香りがする。

いつもそばにいてくれたコーヒーの香りだ。

私はコーヒーを口にする。

心地いい苦みが口の中に広がり、

あたたかいまま喉を落ちていく。

喉を落ちながら、香りは鼻にも抜けていき、

香りは脳を落ち着かせていく。

あたたかい苦みは胃に落ちていき、

緊張していた腹をあたためる。

内側があたたまっていくと、何かができそうな気がした。

それと同時に、今までの無力感からの悲しみが押し寄せてきた。

やっと泣ける。

今までずっと悲しかったんだ。

大人は泣くものじゃないと気を張っていたんだ。

それが解れていくのを確かに感じた。

コーヒーは悲しみに寄り添ってくれた。

コーヒーはいつでもそばにいてくれた。

本当に悲しい時に、

悲しいと感じてもいいのだと。

もつれた感情を解して癒してくれた。

私はコーヒーを飲み干す。

人生の苦みを飲み干すように。


「また、いらしてください」

無口なマスターは私にそう声をかけた。

私は会釈して喫茶店を出た。

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