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第132話 霧の朝に見えない太陽

朝が来たけれど太陽は見えない。

あたりは霧に覆われていて、

何もかもが輪郭を失っている。

建物も、車も、すべての生き物も、

何もかもが溶けているような、

薄ぼんやりとした朝、霧の朝。


数メートル先も見えない霧の朝。

乳白色が見えるから、

光はあるのだとはわかる。

夜でないことはわかる。

ただ、太陽は見えない。

見上げてもどこに太陽があるのやら。


近くの道路を、ゆっくり車が走っていく音がする。

この視界の悪さでは、スピードを出しては危ない。

何が飛び出してくるかわからない。

人かもしれない。

動物かもしれない。

また、化け物みたいなものかもしれない。

そんな、普段ならば考えつかないようなものが、

飛び出してくるかもしれないと、

思わせるのが霧の朝だ。

霧の向こうは何も見えない。

いつもあるものが無いかもしれないし、

また、いつもならば存在しないものが存在しているかもしれない。


私は庭に出て、霧の中で深呼吸する。

視界からすべてを溶かした霧を吸って、吐く。

なんだか、世界を溶かしたミルクを飲んだような気分だ。

この世界はミルクに溶けてしまった。

そのミルクが霧として漂っている。

見えない太陽すら溶かし込んでいるかもしれない。

太陽が溶けたような朝。

私は世界のミルクを深呼吸する。


霧はいずれ晴れるとはわかっている。

朝の霧はそのうち晴れてしまう。

霧が晴れれば、当たり前の風景が姿を現す。

それはとてもつまらないものだ。

霧の向こうがどうなっているかわからない、

あの不思議な感覚もすべて晴れてしまう。

霧の向こうにいたかもしれない化け物も、

世界が全て溶けてしまったような感覚も、

すべての輪郭がなくなってしまったような感覚も、

私という存在が霧の中で取り残されたような感覚も、

全部が白日の下にさらされて、

当たり前の日常がやってくる。

その時太陽は当たり前のようにこの世界を照らす。

霧で見えなかったことなど最初からなかったかのように。

霧がかかっていた時に感じたことが、

すべて妄想に過ぎないというように、

太陽は正しく世界を照らすのだろうと思う。

太陽はあまりにも正しい。

正しすぎて、少しまぶしすぎる。

正しい世界は、必ずやってくる。

当たり前のように、必ず。


今は、霧の中でポツンと立ち尽くしている。

先の見えない霧の中、

私という存在だけが取り残されていて、

私は私だけを確実なものとして感じる。

世界は全て溶けてしまっているようで、

私は私しか感じられない。

ここで私は呼吸をしている。

心臓は動いているし、

内臓も止まってはいないし、

血液も流れているだろう。

足の下には地面がある。

足の裏は靴越しに地面を確かに感じている。

世界が霧でおおわれてしまっていても、

私が私を感じることは確実なもの。

世界がどれだけ不確かであろうとも、

私は私を感じられる。


その上で不確かな霧の向こうに思いをはせよう。

朝の濃い霧の向こう。

どんな世界を思い描いても自由だ。

すべてが正しい形に戻る前に、

私は霧の朝に不確かな世界を思い描く。


すべてが輪郭をなくした世界に、

私だけが確かにいる。

その私はどんな世界を作ることもできる。

霧の晴れるまでの間、

私は霧の向こうの世界を創造し続ける。

それは妄想に過ぎないかもしれない。

ただの霧だと言われるかもしれない。

しかし、この霧がかかっている間は、

妄想を妄想だと証明する術はない。

私が霧の向こうの世界を作ってもいいんだ。

ぼやけた世界の向こうには、

何があってもいいんだ。


霧の朝ははじまりの朝。

さぁ、どんな世界を作ろうか。

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