朝が来たけれど太陽は見えない。
あたりは霧に覆われていて、
何もかもが輪郭を失っている。
建物も、車も、すべての生き物も、
何もかもが溶けているような、
薄ぼんやりとした朝、霧の朝。
数メートル先も見えない霧の朝。
乳白色が見えるから、
光はあるのだとはわかる。
夜でないことはわかる。
ただ、太陽は見えない。
見上げてもどこに太陽があるのやら。
近くの道路を、ゆっくり車が走っていく音がする。
この視界の悪さでは、スピードを出しては危ない。
何が飛び出してくるかわからない。
人かもしれない。
動物かもしれない。
また、化け物みたいなものかもしれない。
そんな、普段ならば考えつかないようなものが、
飛び出してくるかもしれないと、
思わせるのが霧の朝だ。
霧の向こうは何も見えない。
いつもあるものが無いかもしれないし、
また、いつもならば存在しないものが存在しているかもしれない。
私は庭に出て、霧の中で深呼吸する。
視界からすべてを溶かした霧を吸って、吐く。
なんだか、世界を溶かしたミルクを飲んだような気分だ。
この世界はミルクに溶けてしまった。
そのミルクが霧として漂っている。
見えない太陽すら溶かし込んでいるかもしれない。
太陽が溶けたような朝。
私は世界のミルクを深呼吸する。
霧はいずれ晴れるとはわかっている。
朝の霧はそのうち晴れてしまう。
霧が晴れれば、当たり前の風景が姿を現す。
それはとてもつまらないものだ。
霧の向こうがどうなっているかわからない、
あの不思議な感覚もすべて晴れてしまう。
霧の向こうにいたかもしれない化け物も、
世界が全て溶けてしまったような感覚も、
すべての輪郭がなくなってしまったような感覚も、
私という存在が霧の中で取り残されたような感覚も、
全部が白日の下にさらされて、
当たり前の日常がやってくる。
その時太陽は当たり前のようにこの世界を照らす。
霧で見えなかったことなど最初からなかったかのように。
霧がかかっていた時に感じたことが、
すべて妄想に過ぎないというように、
太陽は正しく世界を照らすのだろうと思う。
太陽はあまりにも正しい。
正しすぎて、少しまぶしすぎる。
正しい世界は、必ずやってくる。
当たり前のように、必ず。
今は、霧の中でポツンと立ち尽くしている。
先の見えない霧の中、
私という存在だけが取り残されていて、
私は私だけを確実なものとして感じる。
世界は全て溶けてしまっているようで、
私は私しか感じられない。
ここで私は呼吸をしている。
心臓は動いているし、
内臓も止まってはいないし、
血液も流れているだろう。
足の下には地面がある。
足の裏は靴越しに地面を確かに感じている。
世界が霧でおおわれてしまっていても、
私が私を感じることは確実なもの。
世界がどれだけ不確かであろうとも、
私は私を感じられる。
その上で不確かな霧の向こうに思いをはせよう。
朝の濃い霧の向こう。
どんな世界を思い描いても自由だ。
すべてが正しい形に戻る前に、
私は霧の朝に不確かな世界を思い描く。
すべてが輪郭をなくした世界に、
私だけが確かにいる。
その私はどんな世界を作ることもできる。
霧の晴れるまでの間、
私は霧の向こうの世界を創造し続ける。
それは妄想に過ぎないかもしれない。
ただの霧だと言われるかもしれない。
しかし、この霧がかかっている間は、
妄想を妄想だと証明する術はない。
私が霧の向こうの世界を作ってもいいんだ。
ぼやけた世界の向こうには、
何があってもいいんだ。
霧の朝ははじまりの朝。
さぁ、どんな世界を作ろうか。