ネットワークは雑音に満ちている。
この世の中と、大きなくくりにするのも、よくないとは思うけれど、
この世の中は、特にネットワークは、
雑音に満ちている。
いわゆるインターネット、いわゆるSNS。
気軽に目にできるところには、
いつも雑音が付きまとう。
知りたいことが雑音にかき消されて、
めちゃくちゃな情報が飛び交っている。
視覚にも聴覚にもうるさい。
あまりにも雑音が多すぎて、
私の方がおかしいんじゃないかと思うほどだ。
みんなはこの雑音の海を乗りこなせているのだろうか。
私には到底無理だ。
雑音のネットの海は乗りこなすものじゃない。
ただただうるさくて、飲みこまれそうになる。
ネットワークの海で溺れながら、
私は雑音の少ない場所を探す。
視覚にも聴覚にもうるさくない、静かな場所。
欲しい情報が雑音無しで手に入り、
落ち着ける場所。
私はそんな場所を求めた。
検索などではなかなか見つからなかった。
口コミもあてにならなかった。
私はネットワークの海をさまよった。
どこかに静かな場所がないか。
そんな場所を一人探し続けた。
ある時、どこにも情報が載っていない場所に行きついた。
どこをどうクリックしたのか、
リンクをどうたどったのか、
どうやって行きついたか思い出せない。
ただ、そこは私の求めていた場所だった。
雑音がなく、情報は必要なものがあり、
どこもかしこも静かで、落ち着く。
そこは、静かの海という名前らしかった。
常連と思われるユーザーともすぐに打ち解けた。
みんな、ネットワークの雑音に嫌気がさしていた。
みんな、ある時ふと、この静かの海にやってきたらしい。
誰が運営しているのかも謎で、
ただただ落ち着く場所だ。
私は静かの海に入り浸った。
誰も私の素性などを聞き出そうとしなかった。
互いのことは基本干渉せず、
助けを求められたら手を差し伸べる。
必要な情報はすぐに調べられて、
関連する雑音のような情報は流れてこない。
これに興味があるかもしれないなどと、
よくわからないものも流れてこない。
知り合いかもしれないユーザーなども紹介されてこない。
必要なものはあるけれど、必要な分だけある。
過剰なものはない。
また、不足しているものもない。
静かの海は穏やかに包み込むようにそこにあり続ける。
私はどうやってこの静かの海にたどり着いたのだろうか。
あるいはこの静かの海は、
ネットワークの彼岸なのだろうか。
ネットワークの海で溺れて、ネットワーク上で死んでしまったものが集まる、
ネットワークのあの世というものなのかもしれない。
それならば大体のことは説明がつく。
私がふいに静かの海にたどり着いたことも、
どのような道筋でたどり着いたかわからないことも。
私はネットワークに乗り切れなくて、溺れて死んだような存在なのかもしれない。
静かの海は今日も静かに。
現実の私はそれなりに現実を生きて、
空いた時間にネットワークの彼岸にやってくる。
楽園が騒がしいものとは思わないから、
ある意味静かの海は、私にとって楽園のような場所なのかもしれない。
ネットワークの雑音で溺れて死んだ私は、
静かな天国で悠々自適に過ごしている。
別に静かの海に来ることを強制はしないよ。
ただ、雑音に疲れたら、きっと静かの海が呼んでいる。
君も落ち着ける場所だと思うよ。
疲れ果てたらおいで。
静かの海で穏やかにゆっくり過ごそう。