どこから明日はやって来る。
時間はどこからやってくる。
過去はどこへと過ぎ去っていく。
未来を怖いと思ったこともあった。
明日が怖いと思ったこともあった。
ナンセンスかもしれない。
繋がる時間の上を怖がるというのは、
見る人が見ればナンセンスかもしれない。
未来は確実にやってくる。
泣いても笑っても死んでも、
あるいは朽ち果てた自分の上に、未来はやってくる。
生きるも死ぬも一本の時間軸の上で、
その上でころころ喜怒哀楽。
忙しいね。
そして、わからないものに恐怖して、
恐怖しながら一歩一歩歩いていく。
それは生きることなのかもしれない。
自分はどこから来て、どこへ行く。
軸の上を一歩一歩歩くだけ。
仕組みのわからない仕掛けのように、
歩みを止めることはできない。
やってくる未来は瞬く間に現在となり、
ふりかえる間もなく過去になる。
忙しいそれを、何度繰り返しただろう。
君はどこからやってきた?
未来というものは怖くないかい?
歩いていっても大丈夫かな?
不安はないかい?
生きる死ぬとは一体なんだい?
疑問を投げかけても答えるものはいない。
誰もが悩んで迷ったまま、
一本の時間軸の上を同じように歩いている。
歴史は語るかもしれない。
未来よこうあれと、語るかもしれない。
でも、誰もわからない。
未来がどうしてやってくるのか、
過去がどこに行ってしまうのか。
時間とは何なのか、
我々は何者なのか。
どこから、どうして。
仕組みのわからない仕掛け。
わからなくても歩く。
時間軸の上を、どこまでも未来に向かって歩く。