「大きな音は苦手なのよ」
彼女はそう言った。
都会の喧騒から少しだけ離れた、
夜の路地裏。
髪の長い彼女が、
大柄な男にそう言った。
「じゃあ、音なんて聞こえなくさせてやるよ」
男はそう言った。
彼女は答える。
「あなたは鼓動からやかましい」
彼女は顔を上げた。
「うるさくて嫌なの」
彼女は、男の横を通り過ぎようとした。
男は抱きとめようとする。
するりとかわされた。
「どこに行くんだ?」
問いに、彼女は答える。
「うるさくないところ」
路地にも喧騒が少し聞こえる。
「この街を出て行くのか?」
「そう聞こえた?」
「ああ」
男は振り返らない。
彼女も振り返らない。
背を向けたまま、会話がされる。
「大きな音は苦手なの」
遠くで、やかましくサイレンが鳴る。
救急車だろうか。
「海の底に行きたい」
彼女はつぶやく。
「太陽から遠く離れた、うるさくないところ」
彼女は視線を上げる。
月が明るい。
ネオンにかすむ月さえ、
路地の底では明るく見える。
「死ぬのか?」
男が問いかける。
「死なない」
彼女はきっぱりと答える。
「俺も連れて行ってくれないか?」
「どうして?」
「俺一人じゃ、だめなんだ」
彼女は振り向いた。
「こわくない?」
「お前と一緒なら、どこにでも」
男が振り返る。
彼女はそこにいて、笑っている。
彼女は、手を差し伸べた。
「俺も、大きな音は苦手なんだ」
「奇遇ね」
男は彼女の手を取った。
ある月の明るい夜。
ひっそりと姿を消した男女がいた。