自分で言うのもなんだが、俺は冴えないアラサー男だ。
会社でもパッとしない係長どまりであるし、家に帰っても温かい家庭があるわけでもない。両親は早世してしまい兄弟もいない。どこにでもいる独身男性、いわゆるおじさん予備軍というやつだ。
ただ、そんな俺でも輝ける場所がある。それは動画配信だ。
「みんなー、こんばんはー!宗方しい子こと『むなしぃ』の配信へようこそー。今日もご視聴していただきありがとでーす!」
そう、俺は冴えないアラサー男だが、動画配信の時だけは違う。ボイスチェンジャーを使い、美少女風のモデルを使いこなし、リスナーとの距離も遠からず近からず、しつこく絡んでくるリスナーに対しても柳に風の態度を崩さない。そして配信には応援コメントとスパチャが舞い散る……。
言ってしまえばそこそこ人気のあるVTuberなのだ。
「今日は新作FPS『サドンファイト』やってみる配信でいくよー!最後までご視聴お願いしますねー」
というわけで、今日は新作ゲームやってみた配信である。ゲームの実況が終わったら、リスナーとの交流タイムをもち、誕生日のリスナーがいれば「ハッピーバースデー」をサービスで歌い、最後は「むなしぃ占い」で〆る。大手の事務所に所属しているわけではないので、登録者数が6桁を超えることはないが、ギリギリ5桁の登録者数と800名くらいの同時接続を持つ、中堅どころといえばいいだろうか。
実生活の22時間より配信中の2時間の方が、はるかに充実している生活ではあった。
昼間は冴えない会社員。夜は週2日程「VTuberむなしぃ」としての生活を送っていた。しかし、配信を始めてから1年ほど経って、だんだん体調の不良が起きてくるようになった。
月に一度程ではあるが1週間程度、片頭痛に悩まされたり、朝の起床に支障が出たりして会社に遅刻したりするようになったのだ。健康診断や内科に行ってみたものの、特に変わった所見は見られないということだった。そして、1週間の辛い日々が過ぎると、徐々にではあるが体調は回復するが、次の月にはまた悩まされるといった感じである。
「これは、ちょっと原因がわかりませんね……どうでしょう、内科ではなくてメンタルのクリニックで見てもらうのは?」
かかりつけの内科医は、原因不明の自分の症状について精神面の不調を疑ってきた。仕事でも私生活でも特に悩みがあるとは思わなかったが、症状が出ているときの不調は耐え難いものであったため、俺はメンタルクリニックの門をたたくことにした。
「……というわけなんです」
「ははー、あなたが「VTuberむなしぃ」でしたか……いやー、ファンなんですよねぇ」
メンタルクリニックでの一室、かくかくしかじかと話をして、休日の過ごし方まで話をしたら、ついつい口が滑って自分のVTuber名を明かすことになってしまった。幸いというか不幸というべきか、担当医師は自分の存在を知っていた。少し恥ずかしい。
「「VTuberむなしぃ」での活動は何年くらいになりますか?」
「もう、かれこれ2年位になります」
「いやー、「VTuberむなしい」が男性だったとはねぇ……気が付かなかったなぁ」
「それほどでも……ただ、自然体でマイクの前にいるだけでして……」
「そうか……なるほどなるほど、で、体に異変が出てきたのは?」
「ここ1年位ですかね」
「そうですねぇ……」
担当医師はちょっと真顔で俺のほうに向きなおった。
「精神的な痛みといいますか……これ、生理痛の可能性があります」
「はぁ?」
俺は大きくのけぞった。しかし、担当医師は真面目な顔で続けていった。
「精神的に週数回、あなたは女性として活動している。しかも、実生活よりはるかに充実した時間をその間過ごしている」
「はぁ、確かにその通りではありますが……」
俺は口ごもった。
「つまり、あなたの精神は女性になりたがっているんです、深層心理的にはね」
「ええっ、この通り俺は冴えないアラサーおっさんですよ。それに女性になりたいなんて思ったことは……」
「ないわけじゃないでしょう。はるかに充実している仮想空間。そこでチヤホヤされる快感は架空の肉体である「VTuberむなしぃ」の体を借りたものにすぎない」
「はぁ……」
「そこに実生活とのギャップが生じてくる。だんだん、どちらが本当の自分かわからなくなってくる。そのうちに肉体性別と精神性別が入れ替わるようになってくる。危険な兆候です」
「どうすればいいんですか」
「残念ですが、VTuberむなしぃの活動を一時休止するか……」
「そうですか……」
担当医師の指摘は尤もらしく聞こえたが、なんだか胡散臭いような気がしなくもない。ただ、生理痛用の痛み止めを処方されたので、薬局での説明に難儀をした。
しかも、困ったことにその生理痛の薬は「ドンピシャ」で俺の頭痛に効いたのだ。
医師からの勧めもあったが、俺は「VTuberむなしぃ」としての生活を改めなかった。
週2回程度ならなんとかこなして行けたし、頭痛も薬を飲めば何とかなった。しかし、だんだん困ったことが起きてきた。
会社の会議で資料を読んでいる時だ。
「今回のプロジェクトの肝になるのは、この案件の成否にかかってくるのですわよね」
「その質問は、ちょっとあとにしてくださいませね」
「それはとてもいいアイディアだと思いますわ」
語尾が上がり調子の声でしゃべっている自分に気が付いたのだ。会議室の空気も微妙に白けた感じが漂い、俺は慌てて自分の資料を強引に読み終えて着席した。
「先生、だんだん「VTuberむなしぃ」としてのしゃべり方が実生活に出てくるようになってきたのですわ」
俺はメンタルクリニックに駆け込んで、ことの顛末を話した。
「うーん、これは俗にいう『役に食われる』というやつですね」
「どういうことですの?」
「役者さんが役にのめりこみすぎて、役柄と同じことをしようとしたりと、自我が保てなくなったりすることを『役に食われる』というんです」
「あら大変」
「あなたはだいぶ「VTuberむなしぃ」に食われかけています」
「それは困りますわ。役柄として食われるのも悪くはないですが、見た目はやっぱり男ではないですか。この姿で生きて行くには言葉も態度も「VTuberむなしぃ」から切り離さないといけませんのに」
「一度血液検査をしてみましょう」
「なんてことだ……血液中の「エストロゲンやプロゲステロン」の値が異常に高い。そして「テストステロン」の値が異常に低い……」
「どういうことですの?」
「女性ホルモンの分泌は男性にもありますし、逆もまたしかりなんですが……この数値は異常です。女性ホルモンが多すぎる。つまりあなたの体は「女性」になりつつあるのです」
「ええっ、それは困りますわ。何とかなりませんの?」
俺はさめざめと泣きながら担当医師に尋ねた。
「性同一性障害の一種なんでしょうが……これは……大変珍しい症例です」
担当医師は首を振った。
「内臓からの異常分泌を止め、強制的に男性ホルモンの注射をする必要があります。しかし、現在の値をクリアにし、正常値に戻すためには、相当量の注射が必要ですし、急激なホルモンバランスの変化は、それこそ心身ともに重大な影響をもたらします。はっきり言って危険なのです」
俺はその言葉を聞いて気を失いそうになった。
「今すぐ「VTuberむなしぃ」を引退しないと、それこそ、あなたの体は女性化してしまいますよ」
精神が体を引っ張るのか、体が精神を引っ張るのか。俺という自我が「VTuberむなしぃ」に食われていくのか。しかし「VTuberむなしぃ」としての活動は、もはや俺のライフワークに近くなりつつあり、その活動をやめるという決断はできなかった。
医師の言葉を裏付けるように、どんどん俺の体は女性になりつつあった。ひげや体毛は薄くなっているし、ちょっと胸も大きくなってきている気がする。女性ホルモンの影響でおしりもふっくらしてきた。喉仏もひっこみ、2回目の声変りも迎えることとなった。会社に行く際には胸にさらしを巻き、タイトな服装は避けるようにし、言葉尻には十分に気を付けた。
しかしそれだけしても、社会生活を送るうえでは体や精神の変化が女性的になりすぎていた。俺はもはや男性として生活すること自体が困難になってきたのだ。今までは「ネットだけ女性」で済んでいたものが、現実を侵食し始めているのだと改めて実感した。
俺は会社を辞めた。社会生活が難しく息苦しい以上「VTuberむなしぃ」での収入で生きていくしかないと悟ったのだ。
「身体検査の結果どうでしたか」
最初の受診から半年、毎月一回のメンタルクリニックでの受診。女性化する俺の状態を知っている担当医師でも、これほど急激な身体の変化は例がないという。
「身長は半年前から6cm縮んで158cm。体重は12kg減って49kg。スリーサイズは上から83cm、65cm、89cmになりましたの」
「立派なモデル体型ですね。血液検査の結果はさらに悪化……というべきか、ホルモンバランスはもう立派な女性といって差支えない状況です」
「そうですか……もう、元に戻る見込みはありませんの?」
「なさそうですね、あなたはもう9割近く「VTuberむなしぃ」に食われているといって間違いないでしょう。性別志向テストの結果もそう出ています。残りの1割もそのうちなくなって消えてしまうでしょうね」
俺は…いや、私は泣かなかった。
「それでは、完全な女性になれますかしら」
「身体的特徴のうち、体形などはもうほぼ女性といって差し支えありません。ただ……」
「ただ?」
担当医師は言いづらそうに、私の下腹部を見た。
そうだ、これがまだ残っていた。
私は一連の過程で、ありのままの自分で充実した生活を送りたいと考えるようになっていた。もう、私に迷いはない。
私は配信を3か月休み、タイへと飛んだ。
「みんな、配信を3か月お休みしてごめんねー。ちょっとした手術だったんだけど、今日から復帰したからみんなよろしくね!ご視聴やスパチャもありがとう……!」
古い体を脱ぎ捨て心身ともに女性になった私は、パソコンの前でマイクに向かってしゃべっていた。
「声が違う?ごめんね……今まで声ばれが怖くてちょっとチェンジャー使ってたんだけど、今日からは地声で行くからね!ちょっとハスキー?えへへ、嬉しいなぁ」
ここまで開き直れば、役に食われることも悪くはない。役に食われかけていた私は最後の力をふり絞って、役を丸ごと食い返したのかもしれない。
私は、今とても充実している。
ただ……理解してもらうのには、まだまだ時間が必要かもしれない。でもきっとやり遂げてみせる。中の人までセルフ受肉してしまった、稀有な経歴と肉体を持つ女性VTuberとして、生きていかねばならないのだから。
「それじゃー、宗方しい子こと『むなしぃ』のむなしぃチャンネル、今日も張り切って行ってみるようー!」