夜空に無数の星が瞬き、輪郭の明らかな月が蒼く輝く宵。
めでたき大祭の期間である。
宮中でも街中でも、あらゆる階層の人々が特別な祝宴に表情を明るく輝かせていた。
皆が、自分たちが戴く皇族が立派であることを誇っている。
「めでたい! めでたい!」
「夏国の皇帝陛下には、天女皇妃様が寄り添っておられる。ゆえに、慈悲深き仁道によりこの国は治められるであろう」
「めでたい! めでたい!」
「
「めでたい! めでたい!」
「我が国の未来は明るいわね!」
「さっきから同じことばかり。うちの息子は本当に頭がめでたい」
「いい息子さんじゃないですか」
商家の若主人が扇を広げて「めでたい」を繰り返し、苦労性の父に心配されていた。
そんな光景を微笑ましく鑑賞しながら大きな門をくぐり抜けた先の大通りでは、賑やかな音楽が奏でられ、歌や踊りが披露されている。
赤や金色の豪華な飾りつけが町全体を彩り、花や鳥、獅子や龍をかたどった大きな飾り物が、街角ごとに飾られている。
大通りには屋台が立ち並び、蒸した饅頭や焼き鳥、香ばしい麺類が振る舞われ、香りが食欲を刺激してくる。銅鑼の音が賑やかだ――そんな祭りの都を、師父に先駆けて様子見に訪れた道士見習いが二人、歩いていた。
片方は長身で生真面目そうな中年男性。もう片方は、青年だ。
「そこな道士様、足を止めて見てってくださいな!」
「わあ、
師兄というのは、同じ師匠に教えを受ける兄弟子のことである。
客引きに弟弟子が引っ掛かっているのを見て、兄弟子はため息をついた。
「都は誘惑が多い。自制心を鍛える鍛錬だと思いなさい」
「はーい。そういえば、魔教の輩が潜んでいる恐れがあるのでしたっけ」
「その可能性を覚えているなら、声を潜めなさい。どこに敵がいるか、わからないのだから」
彼らは正派と呼ばれる派閥の武俠者で、普段は山奥で修業している道士見習いだ。
修行の果てに仙人になることを目指していて、清く正しい行いを日々心掛けている。
悪は絶対、許さない。彼らは正義の士であり、国家であろうとも『悪である!』と判定すれば、派閥まるごと敵対するのだ。
「こんやはね! さわいでも、いいんだよー!」
「よふかししても、いいんだぞー!」
子供たちが手に提灯を持ち、走り回りながら笑い声を上げている。
赤や青の絹をまとった若者たちが、目当ての娘とささやかな恋の駆け引きを楽しみながら、夜のひとときを満喫していた。
町中に響く笑い声と音楽、そして、そこかしこで交わされる杯と祝辞の声が、この夜の喜びを一層深めていた。
「ここは、良い国のようだな」
「そのようですね、師兄」
二人の道士は、師父への報告内容を心に決めた。
すなわち、『夏国では善政が敷かれており、統治者は民に慕われている』――と。
「師兄、さきほど耳に挟んだのですが、天女が若き皇帝陛下を支え導いているという噂もあるようですよ!」
「ほう。天女が」
それが事実であれば、素晴らしいことだ。二人の道士は、天を仰いだ。
夜風は、香炉から立ち上るかぐわしい煙を運び、都全体に優雅で神秘的な香りを漂わせている。
酒に酔いしれた民衆もまた、月を仰ぎ見た。
美しい月景色だ。天が祝福してくれている――皆が、人生の多様なしがらみや日々の労苦を忘れ、希望と期待に身を委ねていた。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
孫家の中庭では、夏国の有力者たちが
特に、「猛き青年皇帝の苛烈な正義の刃を、孫家の『天女皇妃』が軟化させ、平穏に宴を収めたことが大変喜ばしい」と評判であった。
皇帝という存在は、ひとつ間違えば国を勘気で焼き払う暴君と化す。絶対君主を戴く臣下の悩みの種だ。
それを、夏国では天が見事に制御してくださるのである。実に頼もしく、喜ばしい!
「我が娘、
「静風殿は天女の父役として、天に選ばれたのですな」
「いやはや、選ばれた割りに娘を大切にできなかったのです。もうひとりの娘は、ああなってしまいましたし……言い訳のしようもない体たらくで、まことに申し訳ない限り。どれだけ反省し、謝罪しても足りませぬ」
大きな
席には、果物や精緻に調理された珍味が並び、銀の器に盛られた山海の幸――焼きたての肉や新鮮な魚の蒸し物が、次々と運ばれてくる。
「逆境が玉を磨いたという申しますか、
「ほう。それはそれは」
父親であり舅である
しかし、暗がりにふと亡くなった娘の影を見た気がして、はっと酒を置いて反省の色を深く浮かべた。
「……こほん。不肖の身なのに、奢り昂ってはいけませんな。もっと殊勝にならなければ。申し訳ない……」
有力者たちは、孫静風の人柄を好評し、「このような人物だから、天は彼に天女を託した。つまり、
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
さて、自らの知らないところで『天女』の信ぴょう性を高められていく
夏国は、国を挙げて神事を行った夜に、天の神々に「あなた方の代わりに国を治める皇族は、仲が良く、団結しています。今後も我々にお任せください」と行動で示す習わしがある。
具体的に言うと、共寝するのだ。
普段は夫と妻と子は別々の寝所を持っていて、基本は別々に夜を過ごすので、共寝は珍しいことである。
「ぼきゅ、おかあさまと寝ゆの!」
夏国の皇子、三歳の
そんな気持ちが全員に伝わり、みんなが笑顔になっていた。
「あのね、あのね。かじょくなんだって」
知ったばかりの言葉を得意げに繰り返す幼子は、愛らしい。
銀色の月光が、花彫りの施された格子窓から柔らかく洩れ、部屋全体に淡い光の影を落としている。
「……くくっ……、こやつめ、『お前はいらないのになあ』という顔をしている」
それが愉快でたまらない、というように息子の顔を見つめて微笑む皇帝に、妃、
「そ、そ、そんなことは……ありません、……わね?
「おれおれは、いあない」
「ふっ、……」
喉を鳴らしてくっくっと笑う父皇帝は、皇子の反応が気に入ったようだった。
そんな父皇帝に皇子は「わらうなー、きもちわるいのー!」と顔を背け、母妃に抱っこをおねだりする。この皇子はとてもわかりやすく、父は嫌っていて、母は大好きなのだ。
とくん、とくんと心臓の音が伝わり、呼吸の気配がして、生を感じる。
幼子は、すぐに眠りの海へと沈んでいく。
寝つきがよくて、可愛い寝顔だ。
柔らかな絹の掛布と母の体温に包まれた
父は、口元にかすかな微笑を浮かべて、その手を握る。
「こうして過ごす夜も、悪くない」
そう呟く彼の瞳には、優しさが滲んでいた。