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13、ちらい、ちらい、ちらーいっちゅき!

 夏国かこくの有力氏族が集まり宴の日、華凛かりんは息子である陽奏ようそうと一緒に輿こしに乗り、会場入りした。


 母子でこのような宴に参加するのは、初めてだ。

 皇帝不在の間は、祝い事があっても派手に騒いだりはできなかった。

 季節の節目の祭り事も、天上の神々に感謝する儀礼的な催し方で、粛々と行われるのみ。


 華凛かりんには政治のことはよくわからないが、聞こえてきた噂話によると、この国は実は恐ろしい魔教とかいう勢力のために一時は存亡の危機に瀕したのだとか。

 英雄皇帝の活躍により悪しき勢力は滅び、危機は去ったので、大変めでたいのだとか。

 情勢が悪化する恐れがあるため、有事に備えて切り詰め、蓄えていた食糧庫が開かれ、民に大盤振る舞いされている。そのため、ここ数日は国の隅々まで朝も夜も民衆の浮かれ踊り飲み食いして歌う喜びの声が響いているのだとか。


 どこまで本当かはわからないが、国が滅びる心配がなく、宴で飲み食いして「めでたい」と楽しむ余裕があるのは、良いことだ。


「よ……陽奏ようそう、ご、ご、ごらんなさい。人が……臣下が、たくさんいますわね……」


 気弱な華凛かりんには人が集まる会場風景は恐ろしいが、我が子は興味津々だ。

 目をきらきらさせ、頬を林檎のように赤くして、興奮している。  

 後宮で育てられてきた皇子の初披露を兼ねた宴の会場はとにかく広く、豪華絢爛だった。見下ろす会場は整然と座席が整えられていて、正装した人々が隙間なく座っている。

 大人でもこのような人の群れを見下ろす機会など滅多になく、三歳の皇子にとっては初めての体験だ。


「しゅごい!」

「しゅごい……ですわね……」

「ひとがいっぱいいう」


 我が子、陽奏ようそうが好奇心と興奮のままに飛び出していきそうなので、華凛かりんはしっかりと息子を抱きしめた。

 宴の場では同席していない教育係の宦官かんがん瑞軒ずいけんは、「警備は厳重ですが、絶対におそばから逃がさないでください」と口を酸っぱくしていた。

 彼が同席せずに何をしているかというと、皇帝の侍従として働いているらしい。


「こ、この宴は……主上のご帰還を、祝っているのです。よ、陽奏ようそうの、……お父様、ですのよ」

「いああなくていーのに。ぼく、あいちゅ、ちらい」

「そ、そんなことを言っては、だめ……」  


 我が子は、父親が「ちらい」だ。

 どうして。あなたとわたくしの強力すぎる味方ですのよ。

 思えば、父子って、ふしぎ。

 赤子の頃から胸に抱いて成長を見守ったならともかく、ある程度育ってから初対面を交わした場合は、どのようにして「相手が家族だ」という身内意識や親愛感情を抱くのかしら。


「ちらい。ちらい、ちらい、ちらーいっ」


 ああ、我が子が「ちらい」しか言わなくなってしまった。「ちらい」から考えを逸らしたい――華凛かりんは話題変更を試みた。


「わ……わたくしのことは? 陽奏ようそう? お母様のことは、おちらい?」

「しゅき」

「まあ。うれしいこと……お、お母様は、『ちらい』という言葉よりも、『しゅき』という言葉が、しゅきですわ」

「ちゅき!」


 我が子が両手をばたばたさせて一生懸命言うのが、実に可愛らしい。

 華凛かりんは息子をあやしながら席に着いた。


 座す位置は高く、高貴な姿を隠す珠簾みすが用意されている。息子用の馬桶おまると、万一粗相をした時の着替えもしっかり用意されている。


陽奏ようそう珠簾みすのお外には、出てはいけませんよ」

「でたぁい」


 まだ、こういう公の場には早いのではないかしら。

 心配になる華凛かりんであったが、侍女たちは豪華な料理と茶を運んでくれて、息子は料理に夢中になった。


 眼下では銅羅どらが鳴り、皇帝、滄月そうげつが皇帝の仕事として、大舞台で剣舞を天上の神々に奉納を始めている。

 現実に兵を率いて前線で戦ったという青年の剣舞は、心得のない者が見ても鮮やかで、美しかった。


 華凛かりんは夫の剣が妹の命を奪うさまを悪夢で観ている。

 そのため、夫が剣を舞わせる姿は恐怖を感じてもおかしくないはずなのだが……神への奉納の剣舞だからだろうか、優雅で、神聖で、高貴な芸術を鑑賞している気分になって、ぼうっと見惚れてしまった。


「お母様、なにを見てゆの」


 息子、陽奏ようそうは桃を美味しそうに食べていたが、母が何かに目を奪われていることに気付いた様子で首をかしげた。そして、母の視線を追いかけるように珠簾の外を見た。


「おれおれだ」


 そうね。あの方はおれおれ様――と返事をしかけて、華凛かりんは慌てて首を横に振った。


「お、お父様ですわ、陽奏ようそう。皇帝陛下です。主上です」

「むう」


 息子はじーっと剣舞を見て、小さく唇を動かした。

 声は発せられなかったが、華凛かりんの目には「かっこいい」と呟いたように思われた。


「ぼくも、あえをすゆ」


 やがて、息子は対抗するような眼をして剣舞を披露する父皇帝を指さした。


「まあ。剣舞に興味がありますのね。あれは、国を治める皇帝陛下の大切なお仕事ですから、あなたが将来……」

「いま、すゆの~~!」


 ああ、息子がとっても元気。

 珠簾をじゃらじゃら揺らして、料理を食べるためのお箸をつかんで、剣みたいに振り回している。


「し、し、しずかに、ですわ。今ね、お父様は……神様に、感謝の儀式をしているのですのよ。いつも、わたくしたちの国を守ってくださって、ありがとうございますって、お礼をしていますの」

「ぼくも、おれいしてゆのー!」


 ああ、そうよね。そうよね。剣舞でお礼を一緒にしているのね。


 華凛かりんは「声は出さないで、あまり音を立てないように、できるかしら!」と必死にお願いして、息子に「うん」と言わせることに成功した。

 息子は元気いっぱいで、可愛い。

 しかし、やる気満々で剣舞をしていたかと思えば。


「あのね、ぼくね、おちっこ」

「あら、あら。馬桶おまるを……」

「でちゃ」

「えっ」


 おしっこ宣言をした時には、もう遅い。

 息子はお漏らしをしてしまい、「うああああん」と泣きじゃくった。


「殿下が泣いておられるぞ」

「本当だ」


 珠簾の外側の臣下たちが注目してくるので、華凛かりんは大慌てだった。



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