天上天下、皇帝と言ってもただの人間。臆するな。
父や家に自分が利用されるのではない。私が父や家を利用するのだ。
私は他のすべてを踏み台にして、国で最も高い地位の女になろうぞ。
――そんな
「ひっ、……ひぃ――……」
自分は特異な存在で、知恵を凝らして行動すれば、狙い通りにできる。例え皇帝が相手でも、手玉に取ってみせる……という考えが、心のどこかにあった。
だって、世界は自分が目を閉じると真っ暗で、目を開けると舞台の幕が開けたようにその形と色を見せる。
自分が眠っている間は、世界も眠っているよう。
自分が目を覚まして意識を覚醒させると、そこで再開するみたい。
世界は私がいないと回らない。私がいるから存在する。
だから、私は危機に瀕することはあっても死なない。
……そんな風に、『自分が世界の主役であり、中心だ』と思いこめば、強気な気分になれた。
なのに。
「いや……」
絶対権力者たる皇帝の殺意が自分に向く。
その圧倒的な現実感に、思い知らされてしまう。
自分という存在は、世界の主役ではない。
世界に無数にひしめく生命の中の一つに過ぎない。
自分の運命はもう引き返せないところまで到着していて、この後はなすすべもなく、死ぬしかない。
行動を誤った。考えが甘かった。計算違いだった。
……どうしようもなく失敗した結果、自分は死ぬのだ。
「許して……」
愚かだった。見誤っていた。
陥れ放題だと侮っていた姉も、騙して味方にできると見くびっていた皇帝も――自分にどうにかできる人物ではなく、無礼を働き、怒りを買ってはいけない存在だったのだ。
――失敗した。失敗した。失敗した。
「――死にたくない……!」
死ぬ。死ぬ。殺される。
後悔しても、もう遅い。
大上段から振り下ろされた凶刃が――
「――――はっ……!」
恐怖。後悔。絶望。
深夜、独り寝の
(今のは、
瑶華が殺されるところを、その心の声を生々しく聞きながら見ている――そんな悪夢だった。
心臓が恐怖で騒いでいる。
自分が死ぬ夢ならわかるが、他人が死ぬところをその心を聴きながら観るなんて。
そのまま寝付けず朝を迎えると、妹の訃報がもたらされた。
「華凛様に嫉妬なさり、
「私は、見苦しく逃げようとして罪も認めず、反省の色もなかったのでばっさりと斬られた、と聞きましたわ」
さまざまな説が駆け巡る中、華凛は呆然と深夜の記憶を思い起こしていた。
(わたくしが観た悪夢は……まさか、本当の……?)
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
「明日にはご実家からお父君がいらっしゃるご予定。数日後に有力氏族を集めた宴会を予定しており、皇子殿下のご学友選定もございます。来月は戦地にて主上が親交を築いたらしき賓客がお越しです」
「……わかりましたわ」
予定を話す侍女に頷き、息子、
「おかあさまーっ、今日は、おげんき?」
「とっても元気よ」
「ほんとう? よかった。げんきがいいよ、おかあさま。げんきでいてね……いつもだよ」
大きな目でひたむきに母を見つめる幼子は、色付きの羽がきれいな
「こえね、ジャオだよ」
「これが、
「こっちーのは、めぇって鳴く……ユィニャオ」
「こっちのは、
どうやら愛息子は、怪鳥ごっこをしていたらしい。
三歳にして神話に精通する我が子、なんて利発な――
「
我が子の空想の中で、三羽は仲良く大空のお散歩でもしているのかしら。
ほんわかと心を和ませていると、陽奏は恐ろしいことを言い出した。
「こえは、おれおれ」
「えっ……」
なんと残りの一羽(
「
「あれのこと。あのねー!」
息子はさらりと父皇帝を「あれ」呼ばわりした。
とても無邪気であった。
「お、お父様は、あれではありませんわ。
「じゃあくなおれおれが、おかあさまを食べにくるんだよ。でもね、ぼくのジャオとユィニャオ、つおいの」
ころころ、と母に向かって転がってくるおれおれ
それを。
「じゃお~!」
幼子が右手で持ったジャオ
「めぇ~」
左手で持ったユィニャオ
「ずいけん」
幼いのに命令するのに慣れている様子の声が、「ぼくが言ったら、お前はしてくれるでしょう?」という期待たっぷりに教育係の名を呼ぶ。
すると、教育係の宦官、
「や、ら、れ、た~」
と、おれおれ
楽しそうに遊ぶ息子は可愛い。
しかし、父皇帝を「あれ」とか「おれおれ」と呼び、彼に見たてた
それに、本人に知られたら、大変怖い。
「よ、陽奏……、
まだ幼い子だから、という気持ちもある。
おれおれな父皇帝を悪役にするのはまずいが、悪役を用意して正義の怪鳥(?)が悪役をやっつける、程度なら平凡な遊びだ。子供がよくやることではないか。
けれど、幼いからこそ、という気持ちも湧く。
「おかあさまがおっしゃることは、すべて正しい」と全てを受け止めて丸のみにしてしまいそうな我が子の表情が、何かを言うことへの責任感を感じさせる。
この純真な子は、母が間違ったことを言ってもそれを絶対の正義として信じてしまうのだ。
母は夫に抱かれて子を産んだにすぎぬ、世間知らずで気弱な娘だというのに――すこし怖い。
乳母や教育係に任せるのは、大切な子をしっかりと教育するのに安全で合理的なことだ、と、思ってしまった。
……けれど。
何もせず他人任せにして放置するよりも、迷いながら、試行錯誤しながら、我が子に接しつづけたい。自分の価値観を伝えたい。
「おかあさまは、ぼくのあそび、おちらい?」
おちらいとは、「お
ああ、わたくしの子、利発――華凛は親ばかな気分を昂らせるとともに、息子の表情を曇らせた自分に罪悪感を抱いた。
「
「おかあさま、やばんなぼうりょく、こわいこわいなの。ぼく、やめゆ」
小さな手でおれおれ
「じゃあね、ぼく。ぼうりょくなし、するね」
今度は何をするのか、と見守っていると。
「こえより、ダンアンをはじめゆ!」
幼いながらも威厳を漂わせた声で、何かを始めた。ダンアン……断案? 裁判?
小さな手は、ジャオ
「このおれおれは、なんの罪か?」
ジャオ
次に持ち上げられたのは、ユィニャオ
「ゆうじゃい!」
具体的な罪は不明だが、おれおれ
「
華凛は困り顔で言いかけて、
「お、おれおれ様……」
思わず呼んでしまった。呼んでからパッと口を抑えたが、もう遅い。
「いかにも、おれおれ様のおなりである」
おれおれ様――妹、瑶華を悪夢の中で殺した男、絶対君主である皇帝、
昼寝中で全身を弛緩させて寝入っている獣のごとく、「ちょっとだけ」「現在限定で」「いつもより怖くない……かもしれない」と思わせる雰囲気だ。
「ゆうじゃいの
それに、ちょっと面白がっているような口ぶりにも感じられる……。