「皇帝が帰還して早々に妃の寝所で一夜を過ごした」という事実は、後宮中で話題になった。
無口な
そんな中の皇帝の寵愛だったので、「かの妃は軽んじてはいけない御方なのだ」という見方をする者が、一夜にして爆増した。
「なんて喜ばしいのでしょう。四年ぶりの閨だなんて、想像しただけで胸が熱くなりますわ」
十九歳の侍女、
夏国の名家の三女である雲英は、皇室への敬愛の念を叩きこまれて育った娘だ。
両親は「あわよくば
現皇帝の
しかし、その結果、雲英は両親の思惑とは微妙に違う成長を遂げた。
「滄月様、格好いい……。憧れます、敬愛しております!」
と、そこまでは両親の期待通りだったのだが。
「滄月様にふさわしいのはどの姫君かしら。私では釣り合わないから、だめ。理想の皇室夫婦にお仕えしたいので、侍女になります!」
この娘は、「自分が憧れの殿方の伴侶になりたい」ではなく、「憧れの殿方は理想の妃と幸せになっていただきたい! 私は理想のご夫婦を見守り、応援したい!」という方向に育ったのである。
雲英は縁故採用で
そして、見た。
美しき皇帝が執着心と独占欲をあらわにして寵妃の肩を掴み、「子の話や夕餉より妃を抱きたい」と言って押し倒すまでを。とても興奮した。
「今朝のお妃様のお世話役に、私も入れてください。お願いします」
雲英は実家から持ってきた宝石を袖の下として配り、後朝の妃を見に行った。
臥牀にて眠る妃は、艶めかしい寝姿であった。
豊かな髪は色っぽく乱れ、無防備な首筋には情愛の痕が刻まれている。
昨夜、この妖艶な妃が
「ああ……なんてお似合いなのでしょう。あなたこそ、理想のお妃様です……!」
雲英は理想のご主君にお仕えできる喜びでいっぱいになった。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
「あなたこそ、理想のお妃様です……!」
「……っ?」
侍女の声で目を覚ました
(あぁっ、朝なのですね。さ、昨夜は、こ、殺されるかと思いました……っ)
「ふぅっ……」
「はっ! お、お目覚めになられたのですね、お妃様。さ、さ、騒がしくしてしまい、申し訳ございませんっ!」
吐息を漏らせば、侍女たちが慌てて頭を下げてくる。
「あっ。い、いえ……」
「
「お体の具合はいかがでしょうか? 華凛様」
「あ……ありがとう。体は……少し、力が入らないかもしれません……」
「めでたいことですわ華凛様! 主上からのご寵愛に臣下一同、喜んでおります」
侍女たちは祝福してくれた。
妃が皇帝に愛されるのは、喜ばしいことである――常識的な反応だ。
なので、「夫のせいで体が辛い」と文句を言うことはできないが、華凛の心の中では不満と危機感がくすぶっていた。
昨夜の夫、
四年振りの閨での寵愛は深く執拗で、明け方まで及ぶ絶倫ぶりであった。
……体力のない
(あのお方のお相手をわたくしひとりで務めるのは、無理ですわ。あんなに激しい閨事が続けば、わたくしが壊れてしまいます……っ)
夫と夜を過ごすのは二度目になる。
四年前の初夜は儀礼的で淡泊だったのに、昨夜の激しさは何に由来したのだろうか。
「かかかか
「――――はっ……」
思考の海に溺れかけた華凛に、侍女の声がかけられる。
確か、宮仕えを始めたばかりの娘だ。声が上ずっているところが、親近感が持てる。
「は、……はい。お、……おはようございます。華凛、と呼んでくださって、け……結構よ」
自分も緊張しているが、相手も緊張している。
そんな親近感が、華凛の胸に勇気をくれた。
「
「で、では……わたくし、本日は、愛息子と過ごします」
「あ……、殿下の養育に関しては、乳母に任せて華凛様は距離を置かれるようにと仰せつかっており……」
ここで「わかりました」と引き下がるのが、以前の華凛だ。
けれど。
――『これから、おかあさま、毎日おはなしできるの?』と、
約束が守られないとなれば、
「そ……そなた、……
「名前をご存じでしたか。光栄でございます!」
雲英はポッと頬を染めて、宝石のように目を輝かせた。声をかけられて喜んでいる。
「雲英。他の者も、お……お聞きなさい。主上は……こ、ここだけの話、ですが。昨夜は、なにぶん四年ぶりでしたので……わたくしに、ご、ご自分だけを見るようにと、仰せだったのです」
そっと反応を確認すると、侍女たちは貴重な閨の打ち明け話に目を輝かせた。
「華凛様……! そ、それは惚気ですね……! いやん、素敵です……っ」
「同感でございますわ! 華凛様は愛されておいでなのですね」
――侍女たちは、全然怖くない。
華凛はその思いを強めて自信を持った。
「そ、そ、そうです。わ、……わたくしは、愛されているのですわ。ゆるりと過ごせとの仰せは、わたくしの、の、望みのままにせよという意味なのです」
ですから、望みのままに我が子に会います――と主張すると、侍女たちは「なるほど」と納得してくれた。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
息子、
「あっ……おかあさま!」
そして、母の体調が芳しくないことに気付いてか、首をかしげた。
「また、だれかに、いじめられちゃの?」
大きな瞳が心配そうに潤むのが愛しくて、
(なんて可愛らしいのでしょう。この可愛らしい子を守るためなら、わたくし、いくらでも勇気を絞り出せる気がしますわ)
皇帝との夜は大変だったし、これからのことが思いやられるが、本日も我が子は無事で、元気で、可愛らしい。
「西王母様、本日も奇跡に感謝いたします」
感謝を唱えると、腕の中の我が子が母の真似をして「せーおうぼさま、きせき、いたちます!」と真剣に唱えている。
……幸せとはこのような温もりなのだ。
華凛はしみじみと我が子の温もりを慈しんだ。