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4、四年ぶりの閨だなんて

 「皇帝が帰還して早々に妃の寝所で一夜を過ごした」という事実は、後宮中で話題になった。 


 無口な華凛かりん妃に関しては、この数日間で「何事にも興味がないと見せかけ、油断させて奸臣が尻尾を出すのを誘った」とも「佞臣を炙り出そうとご夫婦で計略を巡らせた」とも噂されている。


 そんな中の皇帝の寵愛だったので、「かの妃は軽んじてはいけない御方なのだ」という見方をする者が、一夜にして爆増した。


「なんて喜ばしいのでしょう。四年ぶりの閨だなんて、想像しただけで胸が熱くなりますわ」


 十九歳の侍女、雲英うんえいは興奮していた。


 夏国の名家の三女である雲英は、皇室への敬愛の念を叩きこまれて育った娘だ。

 両親は「あわよくば滄月そうげつ様の妃に」と野心を抱き、娘に恋噺や閨噺の書簡を惜しみなく買い与えて男女の駆け引きや閨事の教育に力を入れた。

 現皇帝の滄月そうげつが皇子である頃から、姿絵を見せたり公式行事に連れていったりして「あの貴き方を愛すのだぞ」と言い聞かせていたものだ。


 しかし、その結果、雲英は両親の思惑とは微妙に違う成長を遂げた。


「滄月様、格好いい……。憧れます、敬愛しております!」

 と、そこまでは両親の期待通りだったのだが。

「滄月様にふさわしいのはどの姫君かしら。私では釣り合わないから、だめ。理想の皇室夫婦にお仕えしたいので、侍女になります!」


 この娘は、「自分が憧れの殿方の伴侶になりたい」ではなく、「憧れの殿方は理想の妃と幸せになっていただきたい! 私は理想のご夫婦を見守り、応援したい!」という方向に育ったのである。


 雲英は縁故採用で華凛かりん妃にお仕えする侍女の役職を手に入れた。

 そして、見た。

 美しき皇帝が執着心と独占欲をあらわにして寵妃の肩を掴み、「子の話や夕餉より妃を抱きたい」と言って押し倒すまでを。とても興奮した。


「今朝のお妃様のお世話役に、私も入れてください。お願いします」


 雲英は実家から持ってきた宝石を袖の下として配り、後朝の妃を見に行った。


 臥牀にて眠る妃は、艶めかしい寝姿であった。

 豊かな髪は色っぽく乱れ、無防備な首筋には情愛の痕が刻まれている。


 昨夜、この妖艶な妃が滄月そうげつ様に深く愛されたのだ――房事を想像して、雲英は真っ赤になって口元を袖でおさえた。


「ああ……なんてお似合いなのでしょう。あなたこそ、理想のお妃様です……!」


 雲英は理想のご主君にお仕えできる喜びでいっぱいになった。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


「あなたこそ、理想のお妃様です……!」

「……っ?」


 侍女の声で目を覚ました華凛かりんは、最初に体の怠さと筋肉痛を自覚した。


(あぁっ、朝なのですね。さ、昨夜は、こ、殺されるかと思いました……っ)


「ふぅっ……」

「はっ! お、お目覚めになられたのですね、お妃様。さ、さ、騒がしくしてしまい、申し訳ございませんっ!」


 吐息を漏らせば、侍女たちが慌てて頭を下げてくる。


「あっ。い、いえ……」


 華凛かりんは侍女たちに首を振りつつ、身を起こした。


白湯さゆをお持ちいたします、華凛様」

「お体の具合はいかがでしょうか? 華凛様」


「あ……ありがとう。体は……少し、力が入らないかもしれません……」

「めでたいことですわ華凛様! 主上からのご寵愛に臣下一同、喜んでおります」


 侍女たちは祝福してくれた。

 妃が皇帝に愛されるのは、喜ばしいことである――常識的な反応だ。


 なので、「夫のせいで体が辛い」と文句を言うことはできないが、華凛の心の中では不満と危機感がくすぶっていた。


 昨夜の夫、滄月そうげつは、我が子への関心を露ほども感じさせなかった。

 四年振りの閨での寵愛は深く執拗で、明け方まで及ぶ絶倫ぶりであった。

 ……体力のない華凛かりんは、臣下が言う「側妃の必要性」の一部が理解できる気がした。


(あのお方のお相手をわたくしひとりで務めるのは、無理ですわ。あんなに激しい閨事が続けば、わたくしが壊れてしまいます……っ)


 夫と夜を過ごすのは二度目になる。

 四年前の初夜は儀礼的で淡泊だったのに、昨夜の激しさは何に由来したのだろうか。


「かかかか華凛かりん様とお呼びしてもよろしゅうございますか!」

「――――はっ……」


 思考の海に溺れかけた華凛に、侍女の声がかけられる。

 確か、宮仕えを始めたばかりの娘だ。声が上ずっているところが、親近感が持てる。


「は、……はい。お、……おはようございます。華凛、と呼んでくださって、け……結構よ」


 自分も緊張しているが、相手も緊張している。

 そんな親近感が、華凛の胸に勇気をくれた。


華凛かりん様、おはようございます。お世話をさせていただきます。本日は何もなさらず、ゆるりと過ごされるようにと主上からお言葉を賜っております」

「で、では……わたくし、本日は、愛息子と過ごします」

「あ……、殿下の養育に関しては、乳母に任せて華凛様は距離を置かれるようにと仰せつかっており……」


 ここで「わかりました」と引き下がるのが、以前の華凛だ。

 けれど。


 ――『これから、おかあさま、毎日おはなしできるの?』と、陽奏ようそうは目を輝かせていたのだ。


 約束が守られないとなれば、陽奏ようそうは傷つくだろう。


「そ……そなた、……雲英うんえい、でしたね」

「名前をご存じでしたか。光栄でございます!」


 雲英はポッと頬を染めて、宝石のように目を輝かせた。声をかけられて喜んでいる。


「雲英。他の者も、お……お聞きなさい。主上は……こ、ここだけの話、ですが。昨夜は、なにぶん四年ぶりでしたので……わたくしに、ご、ご自分だけを見るようにと、仰せだったのです」


 そっと反応を確認すると、侍女たちは貴重な閨の打ち明け話に目を輝かせた。


「華凛様……! そ、それは惚気ですね……! いやん、素敵です……っ」

「同感でございますわ! 華凛様は愛されておいでなのですね」


 ――侍女たちは、全然怖くない。

 華凛はその思いを強めて自信を持った。


「そ、そ、そうです。わ、……わたくしは、愛されているのですわ。ゆるりと過ごせとの仰せは、わたくしの、の、望みのままにせよという意味なのです」


 ですから、望みのままに我が子に会います――と主張すると、侍女たちは「なるほど」と納得してくれた。



   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆



 息子、陽奏ようそうの元を訪ねると、宦官の教育係である瑞軒ずいけんと何かを話しているところだった。新しく任命された乳母らしき女性も傍にいる。


 「あっ……おかあさま!」


 陽奏ようそうは母に気付くと、パァッと無邪気な笑顔を満開に咲かせて駆け寄ってくる。

 そして、母の体調が芳しくないことに気付いてか、首をかしげた。


「また、だれかに、いじめられちゃの?」


 大きな瞳が心配そうに潤むのが愛しくて、華凛かりんはぎゅうっと我が子を抱擁した。


(なんて可愛らしいのでしょう。この可愛らしい子を守るためなら、わたくし、いくらでも勇気を絞り出せる気がしますわ)


 皇帝との夜は大変だったし、これからのことが思いやられるが、本日も我が子は無事で、元気で、可愛らしい。


「西王母様、本日も奇跡に感謝いたします」


 感謝を唱えると、腕の中の我が子が母の真似をして「せーおうぼさま、きせき、いたちます!」と真剣に唱えている。


 ……幸せとはこのような温もりなのだ。


 華凛はしみじみと我が子の温もりを慈しんだ。

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