三歳児が、母親に殺された。
子どもの父親は、大陸に栄華を誇る『
殺した犯人は、皇帝の妃、ニ十歳の
我が子殺しの冤罪を着せられた
彼女は人と話すのが苦手な小心者の気質があり、孤立していた。
冷淡な皇帝との関係も、初夜の一度きり。
ろくに会話もせず、儀式のように淡々と関係を持った夜だった。
その一夜で
「華凛妃は前から何をお考えかわからないと思っていたが、正気ではないな。我が子を殺すとは」
「妹君にも毒を盛ったというのだから、恐ろしい」
処刑台にのぼる
だが、今は別人のように痩せ細り、長く豊かだった漆黒の艶髪は乱雑に切られている。
処刑台に引き倒されて何かを叫ぶ姿には、「悪女め」「見苦しい」「醜悪だ」という非難が集まった。
「罪状を告げる。華凛妃は、我が国の世継ぎである皇子を殺害した。余罪として、側妃候補である
眉を寄せ、ざわざわと
「ああっ……お姉様……なんということでしょう」
加害者に近付く被害者の構図に、誰もが心配し……目を奪われた。
「みなさま、なにとぞ、お聞きくださいませ……私が悪いのです」
声は高く、か細く、聞いているだけで胸が痛むような哀れっぽさがあった。
「私が主上から恋文を
淡い紅色の化粧に彩られた
可憐な姫君がすすり泣く姿は、見る者に「優しい心を痛めている」という感想を抱かせた。
……けれど、
「やっと目障りなお姉様を消せますね。ああっ、……胸が
姉にだけ見せる表情は、
小さく歓喜を伝える声には、肉食の猛獣が獲物をいたぶり、舌なめずりする気配があった。
「卑しい出自の養子ごときが見染められて、私を差し置いて妃になって。子どもまで授かって……身のほどを知ってくださいな」
「……っ」
姉、
舌を抜かれているのだ。
『わたくしは、無実です』
『愛しい我が子を暗殺したのは、目の前にいる妹です』
『妹は、倒れたふりをしただけなのです』
そう訴えたくて仕方ないが、ひとことも発することができないのである。
(ああ、天よ。お助け下さい……)
我が子の命が失われようとした時からずっと、
けれど、天は祈りを聞き届けてくれる気配がない。
「皇帝の妃ともあろう方がこんなに簡単に処刑できてしまうのは、お姉様が悪いんですよ。皇帝が不在なので唯一の妃に気に入られて権勢を高めたい臣下は多いのに、お姉様ったら社交性の欠片もない。ですから、皇子を産んでいても……もっと簡単に仲良くできる妃の方がいいって思われちゃったんですよ」
壮絶な痛みと苦しみの中、想うのは我が子のことだった。
(……あの子を守ってあげたかった)
死に際の心には未練があった。
我が子を守れなかった悔しさと哀しみと、恨みもあった。
苦しい。辛い。
恨めしい。 悔しい。
悲しい。助けて。助けて。助けて。
そんな心に、異質な何かが眩く閃き、波紋を立てた。
――『天は、人は自ら助けよと言うものなり』……
「――この事態は何事か!」
皇帝が帰還したのは、彼女が首を斬られた直後だった。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
「……い、いやっ――――……」
悲鳴をあげて、
「…………?」
生きている。呼吸が出来る。拘束されていない。
今いる場所も、処刑台ではない。非難の声を渦巻かせる観衆のいない、静寂を友とする清潔な寝室だ。
侍女に確認すると、今日は我が子が死ぬ前日だった。
可愛い我が子が、まだ生きている。
「
「おかあ、さま?」
我が子を抱きしめると、温かい。
あどけない声で母を呼ぶ。
(ああ――生きている……!)
呼吸にあわせて体が動いていて、小さくて柔らかな手が心配そうに母の頬をぺちぺちと触るのが、
「どおしたの。おかあさま。どこか、いちゃいの? こわいゆめ、みたの?」
母を心配する声に笑顔を返そうとして、
「っ、……あぁ、よう、そう……っ、よかった……よかった……っ」
「なかないで」
我が子は心配してくれて、きれいな布で頬をぬぐってくれる。
それが愛しくて、ますます涙が止まらなくなってしまう。
怖い夢だった。
あってはならない未来だった。
けれど、自分の中に「あれは単なる夢ではない」という生々しくて深刻な感覚がある。
『天は、人は自ら助けよと言うものなり』
引き寄せられるように壁を見ると、『
『西王母』は、古くから信仰されている、天界を統べる母なる最上位の女神だ。
(あれは実際に起きた未来の現実で、わたくしの願いを西王母様が聞き届けてくれたのではないかしら)
「あ、あ、愛しているわ。お、お母様、あなたが大好きよ」
「どうちたの、おかあさま。……ぼくも、おかあさま、だいすきよ」
「――……っ、ありが、とう――、ありがとう……っ」
生きていてくれるのが、嬉しい。
我が子をこうして抱きしめられるのが、ありがたい。
そして、心から誓った。
「お母様、あなたを守るわ。ぜったい、守るわ。もう苦しい思いはさせないわ……っ」
今度こそ、今度こそ――この命は、奪わせない。