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第57話 新たな戦場に向かう前に


 歌い切った。これが今出せる私とカノン様の全力。

 ラストのピアノとヴァイオリンの演奏も終わった。

 静寂。

 衣擦れ一つしない静寂に、熱が一気に冷める。


(どうしよう。歌うのに集中するあまり、周りを見ていなかったわ。私、何か失敗──)


 ドッ、と舞台が揺らぐほどの大歓声に包まれた。


(あ……)

『どう、良い眺めでしょう』


 カノン様は私に視線を向けた後、観客席に視線を促す。

 スポットライトが煌めく舞台。拍手喝采とすさまじい熱気。


(これを私が──私たちが巻き起こした)


 カノン様が見てきた光景。

 やりきった疲労感、鼓動がうるさい。でもそれ以上に達成感と高揚が心を満たしていく。足は立っているのがやっとだ。それでも天幕が下りきるまで、王女として、主催者として耐える。


(大丈夫……)


 にこやかに微笑み、幕が下りきったところで、視界が天井のシャンデリアに変わっていることに気づいた。体に力が入らなくて倒れ──。


「レイチェル様、素晴らしかったです」

「ダレン……」


 倒れかけた私を抱きかかえたのは、ダレンだった。あっという間に横抱きにしてサクサクと歩き出す。向かう先は控え室だろう。


「さすがは私のレイチェル様です。貴女の全力はいつだって美しくて、力強くて、いつだって私を夢中にさせる」

(私に魅了なんて力はないのだけれど……)

「ず、ずばらしがったですっ……」

「感動しました!」

「レイチェル様、一生ついて行きます」


 舞台傍に居たスタッフたちは、みんな号泣していた。私の汗を拭くために持って来たタオルは、みんなが使ったほうが良いほど涙を浮かべている。


「みんなが手を貸してくれたおかげよ」

「レイチェル様ぁあああ」

「最高でした」

「感動しましたぁああ」

「──っ」


 私とカノン様の歌で、こんな風に喜んでくれるなんて思ってもみなかった。予想以上の嬉しい反響だった。


『後はマーサと私に任せて、レイチェルは少し休んでおきなさい』

「はい」


 シリルの手を掴んでいるので、今のカノン様は他の人にも見えている。いつもと変わらず美しい。その圧倒的存在感の前に私の存在など霞む。


『そんなわけないでしょう』

「うう、心を読まないでください」


 ウインクをしつつ、私の心を読むカノン様はいつも通り可憐で素敵だ。本当にカノン様には勝てない。


「レイチェル様、王家の会食は挨拶のみにして少し休んでください」

「……ダレン。でも」


 そう否定しつつも、ダレンの胸元に寄りかかって甘えてしまう。ダレンの傍は落ち着く。ほんの少しだけ瞼を閉じて、身を委ねた。

 遠のく拍手喝采。

 冷め止まぬ歓喜の声が心地よかった。



 ***



 歌の披露会が終わり、その後は昼食を挟んでロイヤルフェアが開催される。もっとも私は王族や上流貴族との会食が待っていた。

 披露会終了の挨拶はマーサとカノン様が取り仕切ることになり、私は一時退出。

 本来なら一緒に会食なのだが、思いのほか歌を歌った事への披露と着替えでデザートまでには参加すると伝えて貰った。元々招待状にもその旨を記載していたので、大丈夫だろう。


(気持ちいい……)


 シャワーだけでもと思っていたが、湯船の準備までしてあったのだ。しっかり浸かって汗を流していた。着替えもかねて気分転換に、とモニカたちに進められたのだ。

 私にとって十分にも満たない時間だったけれど、思い返すと体が震える。


(まだ歌ったときの感覚が残っている。凄い体験だったわ)


 様々ハーブの香りが、鼻腔をくすぐる。お風呂まで用意して貰って至れり尽くせりだ。でもまだ終わっていない。戦いは始まったばかりだと気持ちを引き締める。

 ここからは王族と貴族を相手に戦いのテーブルに着くのだから。


(招待状に応じたのは、第二王子ローレンツ兄様、第二王女レジーナ姉様、第三王子ランドルフ兄様、帝国のオーギュスト公爵家に嫁いだ第三王女カルメラ姉様、オグレーン侯爵家に嫁いだ第四王女ジルベルタ姉様……。会食の場にはセイレン枢機卿、婚約者のエドウィン様、音楽の参神衆、カノン様、その他大貴族もいる)


 会食の場も戦場には違いない。けれど味方はちゃんといる。

 そう自分を奮い立たせて、ドレスとヘアメイクで武装して挑む。昔は死ぬほど嫌いだった王族の食事会。いつだったか、私が古代文字を読んだことで嫌がらせが更に酷くなった。

 そのトラウマはまだ癒えていないけれど、ここで乗り越えなければならない。


 清楚かつ体のラインが際立つ白と水色のドレス。生花を使い、髪をまとめてもらった。メイクアップもカエルム領地特産にする化粧水やファンデーションなどを駆使する。


「レイチェル様、お美しいですわ」

「ええ、他の王女に負けません!」

「みんな、ありがとう」


 鏡に映る私は確かに美しく着飾ったこの国の王女らしい姿だ。昔のように前髪が長く、肌や髪もボサボサで姿勢が悪かった姿ではない。


「私たちはレイチェル様の味方ですから、頑張ってきてください」


 そう言って《レディシュガー》のオーナー、エイミー様は背中を押してくれた。彼女は元々カエルム領地で商人をしている娘で、貴族との交流もある。だからこそ王侯貴族の流儀を知っているのだろう。


「ええ。昔とは違うというのを見せてくるわ」


 一緒のその場に向かうわけではないけれど、一人ではない。たったその事実が今の私に、一歩踏み出す勇気をくれる。


「それでは参りましょうか。レイチェル様」

「ええ」


 会食の場──新たな戦場へとダレンと共に向かった。


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