正しくあろうと思った。王子として誇れる生き方をしたいと、そう思って行動してきたし、そこに偽りも恥じる気持ちもない。ただ、今考えればアレは最適解ではなかったのだと思う。
昔から戦うのが得意だった。技も能力も十二歳で父を超えていたが、亜人族の大半は精神的成長が見られないと成人には至らない。
成人に至る際、進化あるいは進化覚醒となれば、さらなる強さと能力を得ることができる。だから俺は強くなるために体を磨き、《森羅万象の魔女》を殺すことで国の危機と、自分の限界を超えようと目論んだ。
一人でも、なんとかなると鷹を括っていたし、自信もあった。いや慢心だったのだろう。そのせいで呪詛が体を蝕んでいくのも自業自得、自分の不手際だと恥じた。浅慮なことをしなければ、国を追われることになることも、国民の多くが伝承を鵜呑みにして自分の死を望んでいることも──なかったんじゃないか、と後悔ばかりだ。
他国に逃れて、黴と埃だらけの不衛生な部屋で幕を閉じるのか。
ただあの時、《森羅万象の魔女》と立ち向かうと決めたのは、異母兄妹のランファを助けたかったからだ。その気持ちに嘘はなかったし、あの時はアレが最適解だと思っていた。視野が狭かったんだ。
ここで終わるのか……。何もなせないまま、何も残せないまま……。
『あなたたちの身柄は私が預かることになったのだから、衣食住はもちろん健康関係も補填するのは当然よ。それは亜人だろうと、魔導具だろうと異形種であっても変わらないわ』
俺の運命を変えたのは、たった一人の少女だった。
薄らと覚えている。武器商人の信用を勝ち取った少女と執事しかいないはずなのに、半透明な美女が浮遊しているのが見えた。
あれは──天使だろうか。
その美しい人は、少女の傍で何かと手助けをしているようで、側から見ていて微笑ましく思った。妹を心配する姉という感じだろうか。
きっとあの少女は、良い人なのだろう。自然と心を許してしまうような雰囲気を持っている。それを隙だと捉える者もいるかもしれないが、放って置けないと思わせるのは人柄なのだろうな。
体が重い。
体にこびり付いた泥が離れない。泥に引っ張られて、ずるずると奈落の底の落ちて行く感覚。
ああ、死の匂いがする。
ここまでか。そう諦めかけた時、青白い光が体中にこびりついた泥を溶かしていく。太陽とは異なり、宵闇を優しく照らす光。途端に体が急に軽くなって、その光に、綺羅星に手を伸ばす。
「──っ」
次に意識を取り戻した瞬間、見慣れない天井が飛び込んできた。黴や埃のない清潔感ある石鹸とお日様の匂い。
もう嗅ぐことすら許されないと思っていた、温かさのある室内。ふと先ほどの美女がベッドに腰掛けているのが目に飛び込んできた。黒髪に艶のある肌、瞳は生命力に溢れていて力強く、その横顔に心を奪われる。
彼女が俺を死の淵から救ったのだろうか?
「貴女は──」
『あら? あらら。レイチェルとダレン以外に私が見えるなんて。ちょっと驚きだわ』
会話ができるとは思わなかったし、それ以上に鈴を転がしたような声にドキリとした。口元を緩める仕草は、とても愛らしい。
「貴女は……天使、いや女神か?」
『ふふっ、レイチェルにも同じことを言われたけれど、違うわ。私は……レイチェルの守護者みたいなものかしら』
今にも消えそうな儚さがあるのに、目が合うとその生き生きとした力強さに気圧される。彼女は強い。肉体的な強さではなく、逆境を跳ね除ける心の強さがあった。なんて素敵な女性なのだろう。こんなにも美しく、芯のある女性を俺は見たことがない。
『貴方の《|状態異常《バッドステータス》》だった《悪夢侵食》、《魔女呪詛》は解呪しつつあるわ。今後は薬を服用する形で、肉体に負担の掛けずに完治するわ。これもレイチェルたちから改めて説明があると思うけれど』
「……感謝する」
『大人みたいな口調ね。それとも外見と精神年齢が噛み合っていないのかしら?』
「我ら亜人族は心の成長によって、成人に至る……俺はまだまだ未熟だった」
『ああ、生贄の件もあるけれど、《森羅万象の魔女》を倒そうとしたのは、自分の精神レベルをその戦いで上げられると思ったのね』
鋭い指摘に苦笑が漏れた。この人には気づかれたくなかったけれど、そう甘い相手ではないな。あの目はさまざまなことを見透かし、知っていた上で受け入れる強さを持つ瞳だ。聡明で、穏やかな水面のようであり、キラキラして人の心を大きく揺さぶる。こんな風な気持ちになるのは、初めてだ。
「推察の通り。見通しが甘く愚かだった」
『そう。……でも道を違えずに歩ける人間はほとんどいないわ。誰だって失敗や挫折を経験して道を歩む。大事なのは、失敗したあと。どう失敗と折り合いをつけて行くのか』
決して大きくない声なのに、彼女の言葉は自分の胸に突き刺さる。
『失敗を恥じるだけで、忘れようとするようでは同じことを繰り返すわ。失敗を恐れて挑むのを辞めてしまうのは勿体無いし、失敗を分析して、過去と向き合い、次に備える。自分と向き合うのは簡単そうで難しい。だって認めたくないもの。……でも自分の弱点を知り、理解することは何よりも大事だわ。「彼を知り己を知れば百戦殆からず」なんて孫子の中でも有名な言葉があるくらいだもの』
半分は何を言っているのか理解が追いつかなかったけれど、知識量やその在り方はとても素晴らしく思えた。尊敬いやそれ以上、自分の指針となる素晴らしい方だ。彼女の考えを、話をもっと聞きたい。不思議と迷いが吹っ切れて、夜明け前の空の下にいる爽快感があった。
「俺は……貴女を守る剣になりたい……」
『!?』
そう呟いた瞬間、心底驚いた顔をしている彼女がとても可愛らしく見えた。作り笑いとは違うけれど、大きな瞳が俺の心を射貫く。
『まあ、光栄だわ。……でも私ではなく、レイチェルを助けてあげると嬉しいわ。私は奇跡的にこの姿で、具現化できた過去そのもの。いつ消えるかも分からない不確定なものだから』
「例えそうだったとしても、少しでも長くこの地に留まって……貴女の役に立ちたい」
『そう? そこまで言って貰えるなんて嬉しいわ』
この方の傍に居れば今までにないくらい、とんでもない体験ができそうな──そんな気がした。戦士として、命を捧げても良いという主君に出会ったような高揚感で胸がいっぱいになる。
「俺はシリル。本名はシリウスノヴァ・ルイ・ヴィルティ。この本名は貴女に捧げたい。その上で、貴女が見守り慈しむ存在の剣と盾になることを誓う」
『私は
キラボシ・カノン。
聞き慣れない名前だが姓と名が逆に名乗るのか。何もかも不思議だ。ふと彼女は自分の名を告げた後で顎に手を置き、なにやら考えている。その仕草も知的で素敵だと思った。彼女の言動一つ一つから目が離せない。
『……そうね、貴方が本名を名乗るのなら、私の本名も教えないとフェアじゃないわね。私の本名は
そう告げた彼女は澄ました笑顔とは違って、どこか照れくさそうにしていた。それは反則だと十人中十人が言うだろう。
胸が熱い。灼熱のような熱量が全身に巡って行く。俺が成人に至らなかったのは、今日この日に自分の仕える主人と出会うためだったのかもしれない。