ダレンが助け舟を出してくれたのに、セイレン枢機卿の即答で張り詰めた空気が漂う。
ああ、「違う」とちゃんと言わなきゃいけないものの、喉が……上手く言葉がまとまらない。
早く、話さなきゃ……。とにかく気持ちを……ッ。
「貴女の目的は教会を自身の陣営に引き入れることなのでしょう? そのために様々な事業の提案、支援を言い出した。違いますか?」
「──ッ、『いいえ。それは違います。教会とは対等なビジネスパートナーとして、手を結びたいと考えてします』」
「びじね、ぱーと?」
カノン様!
カノン様が咄嗟に言葉を紡いでくれたおかげで、セイレン枢機卿は聞き覚えのない単語のほうに意識が向いたようだった。
「『仕事仲間としてですわ。私の目的は王位継承権ではありません。このカエルム領地を豊かにして、国を支える存在になること。私が目指しているのは、弱き者が理不尽に奪われない居場所を作り、私が民衆に必要とされる存在──
『私たち』と言い切ったカノン様の言葉に、なぜだか涙が出そうになった。独りじゃないと何度も実感しているけれど、それでもカノン様の言葉は胸に響く。
「聖女……ですか。王位継承権を有利にするための点数稼ぎではなく?」
「『私に王位継承の意思はありませんが、血筋的に両親とも王家の血を引いているというのは、それだけで厄介なのですわ。今は兄がいますが万が一倒れでもしたら、その次の標的は私となります。王位継承権を放棄しても狙われ続けるのであれば、おいそれと手出しができないほどの役割と実績が必要となる。民衆を味方に付けるためにも、教会とは適度な距離感でいたいのです。だからこそ書面を交わしビジ……信頼関係の構築を目的とした仕事仲間として提案したのですわ』……っ、セイレン枢機卿!」
カノン様ばかりに頼ったら駄目だわ。私も少しは自分の答えを、この方に認めてもらいたい……!
八回の死に戻りで何度も後悔して絶望した……あの胸の痛みを繰り返さないためにも、ここで教会の協力は必須!
「わ、……私は三食食事が出て、雨風が凌げる暖かい部屋で、誰もが『死にたくない』と言って伸ばしていた手を取りたいのです。……この一年後に疫病の予兆があります。今の設備のままではカエルム領地は瓦解します……。たくさんの人が亡くなり、苦しむ。……っ、私をすぐに信じられなくてもかまいません。それでも、今から動いて準備をすれば、救える人が増えるのです! だからどうか私たちに協力してください!」
途中で言わなくてよかったことを口走ってしまったが、それでも思いの丈を述べた。これが私の本音だ。
「なるほど。それで……色々と合点がいきました。こんなボロい部屋に案内しても平気な顔をしているから、胆力のある方だと思っていましたが貴女様は飢えと、病の恐れと、死と、孤独と、絶望を知っているのですね。……今までの王家の方がとは何もかも経験値が異なるようだ」
「経験……そんな、私は今まで何も、残せていなかったのです」
思わず過去の自分の言動を恥じた。諦めて耳や目を塞いで逃げて隠れて、先送りをしてきたのが私だ。そんな私に経験らしいものなんて……。
「苦しみと悲しみ、理不尽に押し潰されそうな経験をした者は復讐に心を燃やし、他者の同じような仕打ちをして憂さを晴らす。あるいは他者に対して、手を差し伸べる優しさと強さを持つかのどちらかだと思っています。レイチェル姫殿下、貴女は後者ですよ」
俯きつつあった顔を上げると、セイレン枢機卿は聖人のような穏やかな笑みを私に向けていた。後ろのシスターたちも涙ぐんでいる。私の声が……届いた?
『当然でしょう? あれだけ魂に震える声を気持ちを訴えられたら、心が揺さぶられない人間なんていないわよ。……頑張ったわね。……さあ、ここから締結まで一気に詰めるわよ!』
カノン様の「頑張ったわね」で一瞬、気が緩みそうになったけれど、私を焚き付けて奮起を促す。ああ、本当にカノン様が、ダレンがいてくれてよかった。
「ありがとうございます。改めて仕事内容のご相談ですが……」
「ええ、それではゆっくりと……お茶を入れながら、じっくりと話し合いましょう」
セイレン枢機卿は懐からベルを取り出し、涼やかな音色を鳴らした。次の瞬間、後ろの壁が荘厳な扉へと変わった。ぎいぃ、と重厚感のある扉の音と共に、開いた先には、華美すぎず、けれど王家の食卓の場とも違う清廉さがあった。
「レイチェル姫殿下、良き隣人であり、助け合う戦友として手を取れることを感謝します。この地に赴任したのが貴女で良かったと、私の選択が間違いでなかったと証明してください」
「……! もちろんですわ」
煽る発言をしつつも、仕事仲間を戦友と言ってくれた言葉選びに、胸がジンワリとした。
傘下でなくとも、繋がり方はたくさんある。それを今日強く実感したのだった。