アストラ商店通りを抜けた贅の限りを尽くした豪邸の前に、馬車は止まった。私の手配した廃墟同然の屋敷とは雲泥の差に衝撃を受けたが、当時はこんなにも侮られていたのかと思うと、沸々と怒りが湧き上がる。
「レイチェル様」
恭しく手を差し出したのはダレンだった。ほんの少し口角が上がっているのは、この後の展開を楽しんでいるからだろう。そうね。私だって王族の一員であり、人見知りで交渉が苦手だけれど──一人じゃないもの。覚悟は決まってよ。
馬車を降りると、恰幅のよい男があたふたと馬車の傍まで駆け寄ってきた。両手に様々な指輪を付けて、貴族服も新品のようだ。黒茶色の男は私の姿を見るやいなや目を見開いて固まっていた。
当然でしょうね。
不揃いに長い前髪に、みすぼらしいドレスで現れると思っていたのでしょうけれど、ダレンの用意してくれた服装と、カノン様の《めいくぅあっぷ》で美しくして貰ったのよ。それに装飾だって、耳に真珠のイヤリング、首にはダイヤのシンプルな首飾りに指輪は王家の明かりである紋章を付けている。ドレスはシャンパンゴールドの気品のある色合いと、きめ細やかな刺繍が施された──どうみてもオーダーメイド風でお金が掛かっている。
「これは、これは第五王女様。遙々カエルム領地にお越し頂き、誠にありがとうございます。起こしに来られるのを今か今かと──」
「ペテリウス伯、レイチェル様の訪れを待っていたというのなら、あの廃墟の屋敷はなんなのですか!? まさか王族であられるレイチェル様にあのような場所に住めと?」
「いや、あれは……」
マーサは挨拶をすっ飛ばして此度の非礼に対して憤慨していた。自分のために怒ってくれる人がいるって何だか嬉しいわ。ペテリウス伯は髭を弄りながら、目を泳がせた。そもそも私自身が屋敷に来ると思っていなかったのでしょうね。実際に死に戻る前はそうだったけれど、今度は違うわ。
「マーサ。あれはペテリウス伯の冗談だったのだと思うわ。アストラ商店通りのパレードの準備をするために、わざとあの場所から屋敷を指定したのでしょう?」
悪意に気付かぬフリをしてみたら、あっさりペテリウス伯は乗っかってきた。
「そ、その通りでございます。引き籠もりがちとおっしゃっておりましたので、少しでも気晴らしになればと思いまして!」
「そう。じゃあ、茶番はもう良いから、ペテリウス伯。貴方のカエルム領地権限を全て
「はひ!?」
素っ頓狂な声を上げるペテリウス伯に、私は畳みかける。
「この領地は、元々王家保有のもの。けれど管理する者がいなかったので有力貴族に代行という形で預けていたのですから、正当な持ち主が来たのなら返すのが当然でしょう?」
「え、あ、いや」
「今までご苦労様。ダレン、ペテリウス伯家の帳簿を確認して今まで代行していた分の賃金を支払って差し上げて」
「そんなこともあろうかと既に帳簿は確認しております。多少赤がありますが、この豪邸とペテリウス伯様の私財を差し引けばトントンになるでしょう」
流れるようにダレンは帳簿を片手に、ペテリウス伯の使用人たちに指示を飛ばす。ダレンが帳簿探しと計算するまでの時間を稼ぐために、できるだけ速度を緩めて馬車で移動したのだ。本当にそんなことを咄嗟に考えるカノン様の発想力と、それを実行してしまうダレンが凄いわ。本当に指示を出したらキッチリこなすんだもの。今まで気付かないなんて……。ううん、反省は後よ!
こんな短期間に畳みかけられるとは、思っていなかったのでしょうね。私も思わなかったけれど、『兵は
簡単にいうと速さこそ最大の武器だって、ソンシノヘイホーという書物らしい。ダレンも私も今回の一件が片付いたらその書物を閲覧して貰えるという。それは張り切るわよね。うん、未知なる本のため、未来のためにも!
「いや、しかし……!」
ペテリウス伯は顔を赤くしたと思ったら、次に青くなって忙しい人のようね。口をパクパク開けて感情を簡単に出してしまっている。そんなんじゃ王宮の社交界であっという間に餌にされてしまうわ。
「た、確かに王家保有の領地ですが、私はここを国王陛下よりお預かりしております。それを王女とはいえ、女性でなおかつ経営のなんたるかも分からぬ姫様には荷が重いでしょう。ご安心くださいませ、表向きは姫様が経営をしているということにしまして、私が裏で支えて差し上げますので」
ええ、そう言って飢饉や疫病になった途端、問題や責任は全て私に押し付けて逃亡してしたわよね。死に戻りの時間では、疫病がすでに深刻化しつつあったので後手に回っている間に、伯爵は亡命していましたっけ。
それを私が、カノン様が覚えていた。だからその抜け道も封じているのよ。
「その国王陛下から、この領地の最高責任者は、ローレンツお兄様になり私は補佐及び代行ですの。お兄様には有能な経営関係に強い方もいるので、ペテリウス伯が担う必要はなくてよ」
「な、なああああああ!?」
ペラリ、と国王陛下のサインと印を押した書類を見せた。これでローレンツお兄様とのパイプもできたし、恩を売ることもできたわ。取っ掛かりとしては上出来なはず。
自信満々な笑みを貼り付けつつ、内心では心臓がバクバクと煩い。カノン様のシナリオ通りでちょっと安心したけれど、やっぱり緊張するわ。
でも──。
『レイチェル。さあ、仕上げよ!』と、カノン様はノリノリで楽しそうだし、ダレンも生き生きとしている。本当に二人とも役者顔負けだわ。
「(とても楽しそうで何よりですわ。ふふっ、本当にカノン様たちを見ていると私も、と勇気が出る)……それともカエルム領地の税の横領、領地運営の中でも公共事業が進んでいないことを国王陛下に伝えて、捜査してもらったほうがいいかしら?」
「な、な、な、ななにを! 姫様もアストラ商店通りをご覧になったでしょう? みな豊かで明るく暮らしているのを見たはずです」
「(た、確かに。パレードの人々の服装は裕福そうだったし、笑顔もあったのは嘘じゃな──)……『確かにそうかもしれないけれど、でも路地裏で座り込んでいる子供や大人がいたけれど、彼らの衣食住の保障はしっかりしているのかしら? この国では給付金やら生活保護を行い、子供には平民でも勉学を学ぶようになっているけれど、その義務を怠っていることも国王陛下に進言しようかしら?』」
驚いたけれどなんのことはないカノン様が喋ったのだ。言葉に詰まった時にこういった手助けは有難いわ。
カノン様の発言でペテリウス伯は陥落。私以上にカノン様の迫力に気圧されたのはあると思う。だってカノン様には不思議とそれが正しいと思わせるような、言葉の、声の力がある。
本当にカエルム領地を一日で奪取してしまったわ。しかも矢面に立つのは、所有権を保有したローレンツお兄様! 私が責任者じゃない分、他の貴族からのやっかみなどは、お兄様の威光を隠れ蓑にするから、表立って馬鹿にできないはず。
こうしてたった一日でダレンとカノン様は、本当にカエルム領地の実権を奪取した。この時の私は、お二人がもっとずっと先を見据えていたなんて知らなかったし、シナリオを用意してもらったとはいえ緊張しっぱなしで、そんな余裕はなかった。
もしこの時にもっと注意深かったら、少しは二人の負担は減らせたのかしら?
***
ペテリウス伯の豪邸は最小限の人員を残して、私たちは離れの屋敷で暮らし始めた。もちろん、使用人たちが豪邸の家具や宝石を持ち逃げすれば即捕縛して吊し上げることも辞さなかったわ。ああいう人って王宮以外でも普通にいるのね。
ローレンツお兄様陣営の有能な文官と竜騎士団長を派遣してもらい諸々の手続きやら、引き継ぎなどを行ったけれど、本当に有効だったわ。皆お兄様の利益に繋げるために一生懸命だというのが伝わってきて、凄かったのよね。
同じ兄妹なのになんて、死に戻りする前の私だったら凹んでいたかもしれない。でも、それ以上に有能なダレンの活躍が素晴らしかった。特に交渉においても、うまく相手を翻弄していてお兄様の権利である所有権を9:1から7:3までもぎ取ったのだ。もっとも最終的には8:2に収めたらしいけれど、カノン様曰く『アレでいいのよ。変に利益追求して関係を悪くするほうが悪手だわ』と言っていて、確かに、と納得する。
今回私たちが欲しいのは、ローレンツお兄様陣営の後ろ盾があるように見せること。完全にお兄様の陣営に加わったとは明言していないけれど、そう周囲に見せて他の貴族たち、第二王女レジーナお姉様の意識をお兄様に向けておく必要がある。
その隙に私の陣営強化にあてる。人材も軍資金も武力も足りていないのだから。