アストラ商店街通り、ここカエルム領地の中でも、王侯貴族が避暑地として訪れることが多い観光地だわ。美術館や本、闘技場、歌劇場などの娯楽が多い。
そんな場所を王家の旗を掲げた馬車が通れば、確実に他の貴族たちの耳に入る。王侯貴族たちにとって情報は鮮度と正確さが命だもの。
ペテリウス伯が第五王女を歓迎しなければ、その噂は一瞬で王都まで駆け巡るわ。そしてその静養地を打診したレジーナ姉様の通達ミスあるいは、失態となる。すごいわ! たった一手でここまで一瞬で考えたの?
ふとカノン様が馬車で揺られている間、ずっと窓の外を眺めて見ていたのを思い出す。もしかしてあの時から? 窓の外を眺めていたのは照れていたとかじゃなくて、手を打つために思考を巡らせていたとしたら?
自分の脳天気さに眩暈がした。
『俯く必要はないわよ。今まで一人で頑張ってきたのだもの。自分で何とかしようという癖ができてしまっているのでしょう。でもこれからは私とダレンに少しずつ頼ればいいわ。それも難しいというのなら、頼ることに慣れさせるまでよ』
「カノン様……」
「レイチェル様。申し訳ありません、王家の旗なのですが用意がなかったようでして……」
私に声をかけてきたのは、いつの間にか姿を消していた護衛騎士の一人だった。騎士団に入って二、三年目の若そうな彼は申し訳なさそうに頭を下げている。
王侯貴族はそれぞれ御旗を持ち、遠征や使節団、視察などの公の移動の場合、御旗を掲げることが通例とされてきた。
王家に証とも呼べる身分証を忘れるなど、あり得ない。恐らくはわざと持たなかったのだろう。
ここまで作為的にされれば、舐められていたのだと私にでも分かる。王家の人間として御旗無しなど、自称王家だと疑われる可能性だってあるのに。初手の段階で、ここまでしていたのね。
何より私とお兄様だけが許された金と深紅の御旗は、王族の中でも特別製だ。
「そう。もっとも大事な物を確認もしないなんて……。旗は護衛騎士が掲げる物として管理していたはず。これは騎士団長に抗議文を出させて貰わないと」
「そ、それは……」
どうしようと困ると慌てると思っていたのか、護衛騎士は冷静に判断する私を見て一瞬で顔色を変えた。まあ、本当に忘れたとしたら護衛騎士たちの落ち度だし、誰かの指示であったとしても実際に忘れたのは彼らなのだ。首を切られるのなら彼らだとようやく気付いたのか、護衛騎士たちの顔色が悪い。あらあら、そんな簡単に表情を崩したらダメではないかしら。
魔物の巣窟に居続けていた私としては、この程度で表情が崩れていたら社交界で五分と持たないでしょうね。けれどどうすべきか。
ふと隣にいるカノン様に目配せをした。そしたら彼女は指先一つを動かして明後日のほうを指さす。その指先の向こうには──新品の燕尾服を着こなす執事が立っているではないか。それも御旗を片手にしていることにも衝撃を受けた。
「レイチェル様、お初にお目に掛かります。リスティラ侯爵の執事、ダレンと申します。この度には我が主人からの要請に、姫君の身の回りのことをせよと仰せつかっております。また王宮に寄ることがありまして、こんなこともあろうかとローレンツ王子から御旗をお借りしてきました」
「(そういえば死に戻る前に二人で設定がどうのって言っていたのは、これのことだったのね……。それにしても仕事が早すぎません!?)リスティラ侯爵から……」
「はい。リスティラ侯爵及び、このたび養子になりました次男のエドウィン様から、縁談の申し入れとドレスや贈物などもありますので、あとでご確認をお願いします」
「(縁談!? しかももう養子枠に入ったの!? いくらなんでも仕事が早すぎる)……ええ、わかったわ。手紙を書かせて貰うわ」
「我が主人も喜ぶかと」
リスティラ侯爵、カエルム領地に隣接する古くからある五大貴族の一角だわ。おそらくダレンが──色々手を回して味方に付けたのね。……殺してはない、わよね?
チラリとダレンに目配せすると、とびきりの笑顔を向けた。違う、そうじゃない。いや頬を染めて照れないでほしいわ。
「ご安心くださいませ。平和的かつ合理的に承諾を得ておりますので」と耳打ちするのは、反則過ぎません!? あと紳士かつ笑顔が眩しいキャラなんて……狡いですわ。
しかもとっても楽しそう。貴方そんなキャラだったかしら!?
護衛騎士たちは私を見くびっていたとようやく気付いたのか、誠心誠意謝罪してきた。にこやかに微笑みつつ、騎士団長にはしっかり報告はさせて頂く旨を伝えたらしょげていた。自分のしでかしたことをやっと気付いたのでしょうね。
「騎士団長には報告しますが、この先の行動次第では減刑できるように掛け合って挙げても良いですわ。ですが、次はありませんよ」
「レイチェル様!」
「俺たち全身全霊をかけてお守りします!」
「俺も!」
アッサリと陥落。これで暫くは言動を改めるでしょうね。もっとも見限られる可能性もあるのだから、言動には気をつけるべきだわ。
『そうね。でもまずは、カエルム領地を手中に治めてしまいましょう』
「ええ、…………………………え?」
またもやサラッと重大発言を言い出すカノン様。ちょっとはカノン様の突拍子のない発言に慣れたかと思ったけれど、全然そんなことなかったわ。
***
御旗と王家の紋章付きの馬車。これだけでもアストラ商店通りに入った瞬間、花びらが空に舞い、歓迎祝福モードでお祭り騒ぎだった。
老若男女、小さな子供たちまで集まってきて手を振ってきている。
今までとはまるで違うわ。王都を出るときだって関心をもたれたことなどなかったのに……。
馬車には私とカノン様だけにしてもらい、ダレンが用意した馬車にマーサたちを乗せて、白馬と装飾用の鞍と手綱、騎士服も豪華な正装に着替えて騎乗している。侯爵に言って手配するにしても、準備が良すぎる。
『手を振ってあげたら?』
「ええ。……カノン様がダレンに指示を出したのですか?」
『そうね。……でも元々、リスティラ侯爵はレイチェルのことを高く評価していたわ。ほら、四回目に疫病を何とかしようとしていた時、第二王女が聖女になっている裏で、奮闘していた貴女を見てリスティラ侯爵が支援すると手紙が来ていたでしょう?』
四回目、私とダレンだけしか知らない出来事。忘れていたけれど、カノン様も見ていたのだわ。だから冷静にその時の状況を把握していたのね。
「確かに支援の手紙が来ましたけど、結局リスティラ侯爵と会うことは一度もありませんでしたわ」
『リスティラ侯爵は古くから王家に仕えていた忠臣よ。であればレイチェルが王族としての務めを全うするのなら、こちら陣営に引き込むことだってできると思わない?』
「!」
ドキリとした。「王族として」と言うのなら、私ではなく第二王女レジーナ姉様の陣営に鞍替えするつもりもあるのではないか。貴族同士の付き合いは損得勘定で選ぶことも多い。それを死に戻りで私は何度も経験した。
『損得勘定で相手を選ぶ者も多いけれど、リスティラ侯爵は貴族の中の貴族、
「ノブレス・オブリージュ?」
聞いたことのない単語だわ。カノン様の言葉はいつだって刺激的で、心を揺れ動かしてワクワクさせてくださる。
『財力に権力、社会的地位を保持する者にはそれ相応の責任が伴うと言う意味で、貴族制度や階級文化があった国の道徳観のようなものよ。確か新約聖書にある「全て多く与えられた者は、多くを求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」ルカによる福音書12章48節に由来されていると言われているわ。慈善を施す美徳という社会的論理ね。もっともそんな崇高な貴族なんて一部だと思うけれどいるのよ。どの世界にも、目映いほどに自分の信念に基づき弱き者たちのために動ける傑物が』
「そうですわね。……少なくとも国ために動いてくださった素晴らしい方々はたくさんいましたわ」
みんな私より先に死んでしまったけれど。
ローレンツ兄様が亡くなった時に打算で近づく者もいたけれど、レジーナお姉様の言動に不安を覚えた人たちも居たわ。みな何らかの形で亡くなってしまった。
「……今度は殺されないように、私たちが先手を打って陣営を固めるのですわね」
カノン様はアーモンドのような大きな瞳をさらに見開いて、驚いていた。なにか変なことを言ったかしら?
『ふふっ……、ええ、そうね。分かっているじゃない』
「!」
カノン様の言葉は傷だらけだった私の心を優しく癒してくれる。本当にこんなに素敵な方が私の前世なのかしら?
『私の世界では、やったら数倍にしてやり返すのが主流だったのよ。ふふふっ』
怖い。一体どんな修羅の世界だったのでしょう。カノン様がどんな生き方をしてきたのか興味深いですが、それはまた落ち着いてから聞いてみましょう。もっとも私よりもダレンのほうが食いつきそうな気がするわ。少し先の楽しみを思い浮かべると、少しだけ気持ちが軽くなった。
馬車はゆっくりとした速度で王族の来訪を見せつけつつ、ペテリウス伯の屋敷に向かって進んだ。拍手と「第五王女様万歳」という歓声に慣れておらず、戸惑いつつも浮かれていた。
『ふぅん』
「カノン様?」
窓の外を興味深く見ていたが、私には何を見てその言葉が出たのか分からず、首を傾げた。
意味深に笑うカノン様は美しくて素敵だった。