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第6話 拠点となるカエルム領地で

 蘇る悪意と敵意。

 嘲笑と罵詈雑言、嫌がらせに、高笑いを浮かべる貴族たち。

 民衆に石を投げられて冤罪で処刑されたことだってあったわ。

 私の最期はいつだって誰かに怨まれて、憎まれて、蔑まれて終わった……。


「──っ」


 今だって信じていた相手に裏切られたことや、奪われたこと、騙された記憶が一気に蘇って、一歩足を踏み出せないでいる。

 体が竦み後退しそうになるのを、なんとか踏み止まれた。

 怖い、逃げ出したい、もう休んで忘れてしまいたい。でも、ここで足を止めて終わらせてしまったら、本当に終わってしまう。そんなのは嫌だ。

 今までの積み重ねの果てに、カノン様やダレンが味方になってくださった。その期待を裏切りたくない。

 一歩、踏み出す。

 薄暗かった空が白み始めた。

 夜明け──。

 目がくらむほどの目映さに私は目を閉じ、そこで意識が浮上するのを体感する。




 ***



 九回目の死に戻り。

 ガタン、と舗装されていない馬車の揺れに、意識が急激に浮上する。


「んっ……」


 次に目を覚ましたのは八回目とは異なり、私は王都から北方の静養地カエルム領地に向かう途中の馬車の中だった。なぜすぐに分かったのか、それは目を開けてすぐに栗色の髪の乳母であるマーサが心配そうに顔を覗き込んできたからだ。


 彼女は一年後の流行病で寝たきりになってしまう。だから王都からの帰りに馬車に乗っているのは、私が領地に向かう時だけ……。

 マーサは淑女の鑑と言われ、気品ある女性で母の親友であり、乳母でもあった。私の静養地にも付いて来てくれて……でも領地生活では苦労を掛けてしまったわ。


「マーサ」

「この先は舗装されていない道でしょうから、お辛いようならクッションを増やしましょうか?」

「……そうね」


 馬車の中を見渡すが、ダレンやカノン様の姿はない。ダレンと出会ったのは、一年後の屋敷内にある地下書庫だった。もしかしたら屋敷にいるかもしれないけれど、カノン様はどうなのだろう。そもそもあの不思議な空間だったからこそ、姿を表せたのだとしたら?

 そうだったとしても、カノン様は規格外な方だもの、何事もなく当たり前のように隣に座っていそうだわ。そう思うと彼女の非常さに口元が緩んだ。


『なにか良いことでもあったの?』

「不思議な夢だったのですが、そこで──!?」

『どうしたの?』


 本当になんの前触れもなくカノン様が隣の席に座っていた。王族としてそれなりに作法は身についていたけれど、思わず悲鳴を上げそうになったわ。だって唐突に現れたらびっくりするのは当たり前だもの。


「か、カノン様?」

『なに? ああ、ダレンなら馬車の上から護衛するって』

「それはそれで傍から見たらとても怖いのですが……」

『大丈夫よ。気配遮断、認識阻害のスキルもあったから気付かれないわ』

「(すきぅる? 何を言っているのか何となくは分かるけれど、カノン様の言葉は時々専門用語過ぎて分からない。詳しくメモを取って聞きたいけれど……)とりあえず王家の紋章のある馬車が奇異の目で見られなくて良かったですわ」


 安堵したのも束の間で、マーサが涙ぐんでいるのが視界に入った。ギョッとして彼女に声をかけようとしたのだが「ああ、なんて可愛そうな姫様。ついに心の病に……っ」と、変に解釈されてしまったわ。どうしましょう。


『良いんじゃない? 敵を騙すならまず味方。私が見えているのはレイチェルとダレンぐらいでしょうし、静養でカエルム領地に滞在するのなら心の病であったほうが敵も油断するでしょう』


 敵。カノン様の言葉に「そうだった」と軽く衝撃を受ける。九回目のやり直しの時間が一年ズレていることに驚いている場合じゃなかったわ。今なら一年後に起こる疫病や凶作の対策ができる。できることをすべきだとグッと両手を強く握りしめた。

 大丈夫、八回も死に戻りをしているんだから、時系列的に何があったのか思い出して、対処していけば大丈夫。大丈夫よ。

 大丈夫……。


『大丈夫よ。私とダレンが味方になったのだから』


 カノン様は窓を向きながらも手を重ねていて……半透明で透けて見えるけれど、その手は酷く温かく感じられた。ちょっと照れているのかカノン様はその後も窓の外をつぶさに見ていて、その姿がちょっぴりとだけ同じくらいの年の女の子だって思えて、親近感を覚えた。



 ***



『人を虚仮にするにも限度ってあると思うのよ』

「……ですね」


 静養地で、私が暮らす屋敷。

 元は豪華な屋敷だったのでしょうけれど、人が住まなくなって放置されて数年経っているのが、外観から見てもわかるわ。屋敷の門もかろうじてある程度で機能しているか分からない。この時間軸への死に戻りは初めて……前回はここで数ヵ月過ごした後、マーサたちが書庫付きの古い屋敷を見繕ってくれたのよね。


 私は王宮でのひりついた空気、虎視眈々と他人を蹴落とそうとする社交界、毒殺や暗殺に怯える毎日にすっかり神経がすり減ってしまって、ここに来た時は感情が消えかけて、人見知りの人間不信に陥っていた。そこから持ち直すまで二年かかったのよね。


 二年後その頃、王位継承争いは更に苛烈を極めていて、王太子筆頭候補の第二王子のお兄様と第二王女であるレジーナ姉様の二大勢力争いの真っ最中だった。私は完全に蚊帳の外というよりも存在そのものを忘れ去れていたけれど、状況が変わったのはお兄様が殺された後。


 一度目はお兄様陣営に着いていた宰相含む有力貴族たちは、私に正当な王家の血として御旗になってほしいと言い出したのだ。その結果、レジーナお姉様と正面衝突して公開処刑をされる。

 二度目以降はお兄様が亡くなってから暗殺、毒殺、事故死。私が王位継承権を放棄しても血筋を根絶やしにするまで、レジーナお姉様は安心しきれないようだった。徹底している。

 第一王女や他の兄様、姉様たちとは違って、正室の子として生まれた私とローレンツお兄様は恩情などないもの。だからどうあっても私と……ううん、私が生き残る為にはお兄様を王太子にすることが最低条件。

 そのためにもまずは拠点をなんとかしないと……。でもどうやって?

 静養地に付いてきた護衛騎士は、勤務年数が五年未満かつ五、六人。侍女は三人、従者はラグを含めて二人。今思えば、とても王女とは思えない扱いだわ。


「姫様が訪れたというのに、ペテリウス伯爵は何をしているのかしら! レイチェル様、申し訳ありません。先触れを三ヵ月前に出しておきながら……何らかの手違いがあったのかもしれませんわ。一度伯爵の元に向かいましょう」


 そう言ってくれたマーサに対して私は無気力で「ここでも大丈夫よ。それよりも、休みたいわ」と言ってしまったのだ。それが悪手だったのが今なら分かる。でもあの時は本当にいっぱいで、どこかに閉じこもりたかった。


「『マーサ、今回の静養地を打診したのはローレンツお兄様だったかしら、それともお父様が?』」


 ふと私の唇が勝手に言葉を紡いだ。ハッとなってカノンに視線だけ移す。人差し指を唇当てて「シーッ」と悪戯っぽく微笑んだ。今の言葉はカノン様が言わせたのね。


「ローレンツ様が手配するはずだったのですが、こういったことは同性のほうがよいでしょうと、第二王女レジーナ様が国王様に打診なされたそうです」

「『ふうん、そう』」


 初耳だわ。ううん、それ以前に誰が手配したなんてこの時の私は全く気にしていなかった。ローレンツお兄様は何かと私の記憶力や本の知識など期待してくれていたけれど、社交界や交渉の場であまり役に立たないと気付いてからは疎遠になっていたわ。

 ううん、今はお兄様のお役に立てるはず。


「『じゃあ、ペテリウス伯の屋敷に行きましょう。出迎えもないなんて何かあったのかもしれないわ。護衛騎士たちも王家の御旗を掲げて、速度を下げてゆっくり……そうね、アストラ商店街通りの道なりで行きましょう』」

「まあ! それは良い考えですわ。すぐにでも準備をします」


 マーサはカノン様の意図をすぐに理解したようで、素早く行動に移す。護衛兵たちはキビキビと動き出した。



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