「ローレンツ兄様。王太子授与式、お疲れ様でし──っ」
火薬の匂いに気付き、それが何を意味するのか察することができたものの、言葉にすることは叶わなかった。
直後、橙色の炎と共に爆音が轟く。床はもちろんシャンデリアが大きく揺らぎ、次いでパーティー会場のほうでも連続した爆音が響いた。
土煙と轟音でその場に蹲る。爆音が止んだところで顔を上げ、お兄様を探そうと壁に寄りかかろうとするが、脆く崩れてしまった。
「こほっ……ごほっ……お兄様」
バルコニーに出た瞬間、土煙とひしゃげた柵が薄らと見えた。床が真っ赤に染まっていて、その先には護衛騎士と兄が床に転がって──。
「──っ」
闇と土煙に乗じて黒い外套を羽織った男たちが、お兄様の心臓を突き刺したのが見えた。体が硬直してしまい駆け寄ることもできない。
暗殺者が姿を消した直後、縫い止められたように動けなかった足の呪縛が解けた。
「お兄様! シリル!!」
お兄様に駆け寄って体を揺らすが、息をしていない。脈も、心臓の音も止まっている。シリルも瞳に光がない。白銀の綺麗な髪が真っ赤に染まって、オオカミのケモ耳も片方が欠けてしまっている。
今回はここまで生き残って……今日だって嬉しそうに笑っていたのに……っ。
第二王女の手駒は全部捕らえたんじゃなかったの? 残党? それとも捕らえたことが偽情報だった?
ようやく、ここまで来たのに……。
心臓の音がうるさい。頭が真っ白になりかけたけれど、現実逃避するにはまだ早い。
背後から足音が数人ほど近づいてくるのが分かった。急いで内ポケットにしまっておいた小瓶を取り出す。それをお兄様とシリルに掛けて「早く来て!」と叫んだ。
叫んだ──はずだった。
「ごめん」
「え」
鈍い音がした。体が急に熱くて振り返ると、乳母兄妹のラグが私の背中に剣を突き立てていた。
護衛の彼がどうして?
絶望と共に視界が回転して、気付けば倒れていた。身体から力が抜けていく。パーティー会場は緋色の炎に包まれていて、お兄様の支持者たちも無事では済まないだろう。最後の最後で気を抜いてしまった……のね。
愚かで、浅はかで、短絡的で、どうして私は──っ。
「あああ……っ」
また失敗したのだと痛感する。何度も裏切られて、騙されて、それでも辿り着いた果てがこれ?
ラグ。私の唯一信頼できる味方。
貴方までも寝返っていたなんて……。それとも家族でも人質に取られた? あと一手、ううん、この分だと二手も三手も先を読まれていたわ。私の持てる全てを使って……ここまで……だなんて……。
「ひゅっ……ひゅ」
炎の中を暢気に闊歩する黒い影が私に近づく。途切れゆく意識の中で、美しい青年──魔導書の怪物が嬉しそうに笑った。
***
最初は息を潜めて、静かに生きていた。でも血筋がそれを許さない。黄金と、赤銅色の血飛沫と、どす黒い悪意の舞台に引きずり出される。
ローレンツお兄様と私が死ぬまで。
世界は第五王女の私が生きていることを許さない。一度目は、お兄様が亡くなった一年後の王家のパーティーで階段から突き落とされた。二度目と七度目は暗殺。三度目と六度目は毒殺、四度目と五度目は公開処刑。
そして今回八度目は混乱に乗じた虐殺。
母が滅亡した王家の血を引いている──たったそれだけの理由で、何度も殺される。時間を巻き戻して回避しても新たな問題と刺客が私を襲う。私が狙われる理由は、正室であるお兄様が亡くなってから。第五王女でありながら王位継承権第二位というのは、本当に厄介な立場だ。
鈍い音のあと体中が熱くて、呼吸もうまくできず意識を失うと、いつもの庭園に戻ってくる。円卓だというのに、私だけが座っていた。いつもの光景。
「いやあ、残念でしたね。
魔導書の怪物が声をかける。ずっと私を生かしていた怪物の声は最初に聞いた時と変わらず、感情のない淡々としたものだった。それが出会った頃を彷彿とさせて、少しだけ口元が綻んだ。
「
「盤上の駒があのような行動に出るとは、やはり人間は面白いですねぇ。予想もつきませんよ」
魔導書の怪物。
印象的な
悪魔でも天使でもない、古き神の残滓を取り込んだ異形種。魔導書を書き上げた大魔導士の魂を食らったことで派生したらしい。千年もの間、縦横無尽に様々な種族を食い、世界を書き換える力を得たことで、神々によって厳重に封印され、王家がその門番となった──とか。
その末裔である私が封印を解くなんて、祖先が知ったら卒倒するでしょうね。
味方のようで中立であり、時に敵にもなる厄介な存在。私が賭けをした怪物。主人に仕える
「八回目は手に汗を握る素晴らしい生存戦略でした。しかしながら相手が数段狡猾でしたね。もっと躊躇いなくやらないと。同じ土俵に上がらずして、どうやって相手を圧倒します?」
「それは……」
私に優位性があるとしたら知識の多さだ。幼い頃から王宮書庫に引き篭っていたし、王位継承権争いが面倒で「静養」と言って、辺境地の領地でも本を集めて読み耽っていたもの。私の半生は本と共にあると言っても良いくらいだわ。
そこで出会ったのが、魔導書の怪物であるダレンなのだけれど。
そんな彼が再び、問う。
「九回目は趣向を変えるべきだと思うのですが……。この空間内でのお喋りは、ここまで致しましょう」
「……っ」
庭園が歪み、泥のようなものが空間を蝕んでいく。これは魔導書の怪物が勝手に決めたタイムリミットだ。私が九回目の戦略を示さなければならない。
答えなきゃ、私は……死ぬ。
死にたくない。まだ読んだことのない本だって、やりたいことだってある。
シリルを助けたかった。ううん、彼だけじゃない。母の親友であり乳母のマーサ、私を庇って死んだランファ、カエルム領地の人たち、八回の死に戻りで立場や状況が異なっていても、何だかんだ私を助けてくれた人たちがいた。
その人たちが居たから私は、頑張れたのに……。
でもまた誰一人味方がいない世界で一手も間違えず、未来を変えて生き延びなければならないの? 人材もお金もない。味方だって……振り返れば皆死んでしまうか、裏切るか。心から私に忠誠を誓ってくれる人なんて、誰もいなかったわ。
助けてくれた人たちはいた。でも死に戻りして同じく私の陣営に入ってくれる人はマーサとラグぐらいだったかしら。
いっそこのまま死んだほうが、楽なんじゃない?
「さあ、時間がないですよ。死か挑戦か。どうします?
「……っ、私は」