さらさらと揺らめく新緑をくぐり抜けて
智也は事件現場である私立綿貫高校へ足を運んだ。
見覚えのある銅像が見えると、自分の学生時代の記憶が鮮明に流れ込んできた。
「……あの頃と変わらなねぇな。」
校門をくぐり抜けると正面玄関が出迎える。
玄関から入って左側には、学年ごと並んでいる一般校舎、一般校舎の奥に音楽室や、家庭科室などの特別校舎となっている。
右側は体育館となっており靴で床がこすれる音と男女の掛け声が聞こえていた。
玄関を入った先はガラスの扉となっており、その先は校庭だ。
同じ格好をした複数人が走っている様子が見て取れる。
智也は玄関を抜けると、とある一室へ向う。
例の事故の影響で休校となっているため、電灯が灯る音がジッと耳に入る。
頭の片隅にある賑やかさが見られないのは、些か寂しさを感じさせた。
目的の校舎に入ろうと、歩き始めた途端、
———ペタッ、ペタッ
粘性の者が張り付くような音が背後から聞こえた。
と思ったと同時に周囲から一切の音が消え、視界がゆがみ始める。
智也はまずいと思い、急いでその場から離れようとした刹那、背筋にひやりと何かが走った。
(ああ、懐かしい感覚だな)
まるで幼子が母親に抱かれるような心地と錯覚を起こす。
どう考えても異常事態が起こっているのだが、智也は拒む事をしなかった。
息を殺し、背後の感覚に意識を向けた。
ひやりとしたものは、後ろから包むこむように、
少しずつ、少しずつ這わせて、足元からゆっくりよじ登って来る
首元までまとわりつき始めたその時
「まだ、いるんだな」
ぽつりとつぶやくと、一瞬動きが止まった。
智也はじっとしていると、かすかな動きを感じるが首から先には動こうとしない。
まるで、躊躇っているかのよう、ゆるりと這わせていた。
「今は、駄目だ。今日は別の用事がある」
その物言いはあやすような柔らかさを持ち合わせていた。
智也変わらず動かない。
説得が出来るまで刺激を与えないように、心音と呼吸の鼓動を変えないようにしていた。
しばらくすると納得したのか、ひやりとしたものはゆっくりと智也から離れて行く。
気配が完全に後ろに下がったと感じた瞬間、
景色は元通りになっていた。
靴のこすれる音と、男女の掛け声が聞こえる。
智也は一度息を深く吐くと、再び歩き出した。
校舎に入りすぐ右に曲がると重厚感のある扉が右側に現れる。
上には「校長室」と書かれた表札があった。
扉の前に立ち、3回ノックをする。
「はい。どうぞ。」
と良い心地よい凛とした声が聞こえた。
智也はわずかに顔を綻ばせながら扉を開ける。
「失礼します。」
扉を開け入るとグレーの髪色をした初老の男性が机に座り、書類に書き入れる様子が伺えた。
男性は智也が入室して扉を閉める音が聞こえると、険しい表情で視線を智也に向けた。
「…椎名君?」
「はい。お久しぶりです。矢森先生。」
会釈をしながら挨拶をすると、男性の表情から険しさが消え、席を立ち智也の目の前まで駆けてくれた。
「久しぶりじゃないか!一体どうしたんだ?」
「ちょっと、お聞きしたい事がありまして、今お時間いただいてもよろしいでしょうか。」
「もちろんだよ!ささ、座って座って。」
智也がソファーに腰かけると、男性も向かい側に腰を下ろす。
男性の表情はとても快活であった。
「いやー、もう何年になる?」
「10年…は経ったかと。」
「もうそんなに経つか!時が過ぎるのは早いね」
ハハハと、笑うその姿は懐かしい心を擽る。
「年賀状見て驚きましたよ。まさかの校長ですか。」
「いやー、自分でも驚いてるよ。おかげで毎日、厄介ごとに四苦八苦だ」
「全然、余裕綽々に見えますけど?」
「ハハハ!椎名君は相変わらずだな。」
矢森先生、もとい、矢森校長は智也が2年生から卒業するまでの担任であった。
よく笑い、どんな生徒にも気さくに接する為、男女問わず、保護者からも人気だったため、他の学校からスカウトがやってきたとか噂もある。
特に人気だった理由が、会話の端に必ず四字熟語を混ぜる話術の巧みさであった。
軽妙に話すその様は知性を魅せたい学生の心をたちまち鷲掴みにし、
一時期は四字熟語の勉強が校内で大流行することとなった。
智也も矢森の事を尊敬していた一生徒であり、今も尊敬している。
そのため、卒業後は毎年年賀状のやり取りをしていたのである。
「で、何かあったのか?」
理由が理由でなければ、懐かしい話しに花を咲かせていたのであろう。
久しぶりの再会がこんな形なのは残念だと心にしまい
智也は口を開いた。
「先日起こった、この学校での崩落事件について調査をしに来たのです。」
言葉を聞いた瞬間、見る見るうちに矢森の顔が青くなっていくのが分かった。
「なっ!あ、いや、そうか。そうだよな。」
激しく動揺したのち、落胆してしまった矢森は、状況を整理するために頭を抱える。
うーんと唸った後に少し深呼吸をして落ち着かせると、
真剣な声でつぶやいた。
「そうか、君の所にも依頼が来ていたのか…。」
「も?依頼?誰か来たんですか?」
「い、いやこちらの話だ。気にしないでくれ。」
矢森は慌てて話を切り替えた。
動揺の様子からして何かを隠しているような口ぶりだ。
追求しようかと智也が口を開けた時、
「あれは、事故だった…とは私も言いずらいんだ。」
「と、言いますと?」
「うむ、実際見てもらった方が早いだろう。ついてきてくれ。」
返事をする間もなく、矢森は立ち上がる。
話してくれる様子はなさそうなため、
一旦、ついていくことにした。