目次
ブックマーク
応援する
4
コメント
シェア
通報
第一話 椎名智也




―ピピッ、ピピッ


『おはようございます、トモヤ様。5月15日、午前7時。本日の予報は、午前中から晴れる予定です。そしてー』


「…んん…。」


無機質な声が寝室に鳴り響く。春の柔らかな日差しがカーテンの隙間から溢れている。


しかし、トモヤと呼ばれた人物は安らかな時間を邪魔されたことに憤り、舌打ちをした。

ただ、朝が来たことや1日が始まる事に変わりはない。

動き出すためにゆっくりと現実に照準を合わせた。


『気温22.3°、湿度は50%となっております。』


「7時…。」


『朝のニュースでは、アメリカの企業、cancerが認知症に効果的なー』


「…もういい。ちょっと黙ってくれ」


『かしこまりました。』



ブツッー

まるでブラウン管テレビのような、いかにも電化製品の電気が切れた音を残しながら、黙れと命令された声は話すのを止めた。



「はぁ…朝から騒がしい…。」



朝から膨大な情報を流し込まれ、就寝前と同じような疲労が出始めた。

だが、このまま寝ていても始まらない為けだるい体を起こして、トモヤは台所へ向かう。

朝に一杯のコーヒーを飲み、思考のリセットから始めるのだ。



ポットでお湯を沸かし、ドリップさせる。

芳醇な豆の香りが鼻から全身に染み渡る。

コーヒーによって脳内の情報が整理されたら1日を始める準備をするのだ。



「よし…。覚めたな。」

「テット」



トモヤが呼びかけると目の前にどこからともなく現れた四角い光が集まり、1つの画面が作られる。


画面が作られた後、白かった映像が変わり、複数のサイバーチックな線が円不規則に回っている。



『お呼びでしょうか。智也様。』

「先日のサンケンの株はどうなった。」

『はい、先日のサンケン株式会社の移動平均線は上向きになりました。およそ10.34パーセントです』

「ふーん。Beクロスは?」

『はい、先日のサンケン株式会社の移動平均線は下向きになりました。およそ8.93パーセントです』

「下がったか。」

『グラフをまとめたものはご覧になりますか。』

「いや、いい。」

『承知しました。」


テットと呼ばれた画面は主人の要望を忠実に再現していく。

言葉の意味を正しく理解し、膨大なデーターから瞬時に打ち出していった。


テットの見解を予想通りと昂然する。

情報の動きと言うのは繊細で複雑な要素が絡みあう。

株という世界を揺るがすようなナマ物であれば、あらゆる想定を思いつかなければ、一手を打つことは容易ではない。

と言うのが、世間の見解なのだろう。


だが、彼にとって、その絡み合う要素がいつも通りだった。

予想がそのまま現実に表出されたため、面白みがない。

飲み終わったコーヒーを机に置き、肩を回し始める。



「次、三軒茶屋にある菓子の期間限定品。」

『菓子、お菓子と予測。23件該当します。』

「甘くないもの」

『トモヤ様がこれまでに召し上がった食品より、特徴が類似しているものを検索します。15件該当します。』

「多すぎる…。巷の女性たちが飛びつくだろうな。」



手際よくコーヒーを片付ける。

使い慣れた一式を片付けながら、1日の予定をインプットしていく。



「…。シャツに着替えとくか。」



予定は思うように進む事は少ない。気乗りはしないが何事にも備えておかなければ事態に対応が出来ないであろう。


気乗りはしないと思いつつ、支度を始める。


身支度を整えた後、応接室のドアから外に出る。

階段を下りた後、両開きの玄関ドアを開けるとすぐ右の場所に、掛札がかかっている。


準備中を営業中に切り替えた。


ドアの上には「椎名探偵事務所」と書かれた看板が設置されているが、見慣れた白い蜘蛛の糸が出迎えてくれた。



「また来たのか…。ご丁寧に螺旋状にまでしてもらってまあ。」



悪態をつきながらも糸の掃除を始める。蜘蛛が悪いわけではないが一般的にあまり評判は良くないのだ。



「うし、こんなもんか。」



外観を整え、応接室に戻る。

いつも寝ているソファに沈み、虚空を見つめる。

いつもと変わらない、平凡で静かな日常が始まるだけだった。



ーシュボッ



ライターの音が室内に響く。

揺らめく煙を見ながら、再び空間に話しかけた。


「テット」

『お呼びでしょうか。智也様』

「何か、面白いことある?」


口から出た言葉は気まぐれからか、退屈からか。


平和というのは素晴らしい、幾千の人々が願い、構築しようした全人類が求めるプログラムだ。

たった1つのシステムの為にどれ程の血潮が流されていったのだろう。

そのことを思えば、平和と言うのは奇跡と言っても過言ではない。

だが、人間の本能がそれを否定するように現れる。

血潮が煮えたぎるような、そんな刺激を求める。



『ニュースから抜粋しますと、私と同じ「人工知能」がトレンド入りしました。前日よりSNSでの検索数が10.472件増えており、5月14日に比べて10倍の件数になっております。』

「AIか。またお前の株でも上がったのか?」

『私ではありませんが、私のお友達の機能が注目されています。』

「ああ、お前は情報収集のみ特化されたものだったな。」

『恐縮です。』

「嫌味だ。」

『嫌味、わざと湾曲的に、皮肉交じりに、人が嫌がることを言う事。今、私は嫌味を言われたのですか。』

「覚えておけ。」

『承知しました。嫌味、言語データベースに登録中。』

「情報特化ねぇ、可視化がメインの癖に、大層なお名前をお持ちで。」

『申し訳ありません。更なる改良を施して参ります。』

「…ふん。」



人工知能

英語でArtificial Interigence

略称AIで親しまれているその発明は、

コンピューターを使って「知能」を研究する計算機科学の一分野を示す言葉だ。


1950年代には既にその研究開発は行われており、

2000年代に入ると飛躍的に活躍の場を広げ始めた。

初めは、囲碁や将棋と言ったいくつもの戦略パターンから勝率を導き出す演算を行い、名だたる棋士に勝利を重ねていった。


2020年以降から、一般企業の業務代行を行うだけでなく、イラストや小説等の文学の領域にまで発展を遂げる。


社会に認知と活用の幅が広がる一方、著作権の問題やAI使用者による倫理やモラルの低下が激しくなり、裁判沙汰に発展する事例が増えていく。


AIが学習し、生成されたものとはいえ、人間と同じような知能を有している以上、【人】に近しいものになるのだ。


つまり、「他者に盗作された」という結論になる。

この話が世に出るとたちまち大騒ぎに発展した。

特に芸術分野では様々な議論が錯綜し「歴史と価値への冒涜」と言われ、今も尚、激しい論争は止まらない。


だが、それでも人類はAIの進化を止めることは無かった。


それはなぜか。


答えは単純で、AIは無限の可能性を叶えてくれるからだ。


人生という限りある時間の中で得られる知識や経験は必ず上限がある。

だが、そこに【人間に近い機械】に【学習】をさせた事で、その上限はいともたやすく崩される。


幾千の人々が培ってきた知識を、たった「1」が新たに構築して産み直してしまったのだ。

AI生成による効率の良さと利便性は、人類の手をどこまでも伸ばす事が出来るようになった。


まるで、自分が神にでもなったかのように———

その【錯覚】による魅力と誘惑の暴力は、欲望の沼である人間が抗えない。抗う事など不可能なのだ。





「んで?どんな奴が来たんだ?」

『はい、名前は「狐狗狸」と言います。』

「こ、っくり?」

『漢字で狐、狗、狸と書きまして、狐狗狸です。』

「何だそりゃ。随分と古臭い名前だな。」

『創設者が、日本神話や動物にまつわるお話が好きとのことで、この名前になったと言われてます。』

「ふーん、酔狂なこった。どんな機能だ?」



すっかり短くなった吸殻を灰皿に置き、次の1本を付ける。

毎朝、最低でも3本は吸わないと、沈んだ腰は上がらない。



『どんな願いでも、叶えてくれるものです。』

「…は?」

『このAIは毎月、10人まで使用可能となっており、狐狗狸の公式サイトに応募した人が使えます。サイトに応募する際は、氏名、年齢、性別、生年月日、職業等を記入し、願い事を書きます。そして、抽選の後、狐狗狸のサイトにアクセスすることが出来、応募者は自分の望みを話せるというわけです。』

「んだその出鱈目は。」



今までいくつもの個性豊かなAIを見てきたが、ここまで胡散臭ささがあるものは初めてだ。

だが、人真似をしている機械に文句を言っても意味が無い。



『ですが先日、異次元仮装メイクで有名なインフルエンサー、シャドー・アイ様が、このAIの抽選に当たったことで、アロハ諸島へ旅行に行った事を自身のチャンネルで生放送していました。』

「やらせだろ。その企業の案件じゃないのか?」

『シャドー・アイ様は案件ではないという事をおっしゃってます。』

「でまかせはいくらでも言えるだろ。ったく…。ハァ、くだらねぇ。」



そう言いながら智也は火を消す。

上半身にたまった退屈を緩めようと、体を大きく伸ばした瞬間、



「ッ!」

『智也様?どうされました?』

「なんでもねぇ。ほっとけ…。」

『承知しました。』



フォン、と電子音が鳴り、画面が一筋の線になった後、姿を消した。

ようやく、部屋に静寂が訪れた。



「はあ、最近痛みが強いな。」


幼いころから定期的に襲ってくる目の痛みにはいまだに慣れない。

成人してからはある程度落ち着いていたのだが

数ヶ月前から痛みの頻度が増えていた。


「…。関係ない。何も。」


誰もいない部屋でぽつりとつぶやく。自分にそう言い聞かせる事で、ようやく頭も回るようになった為、

いつもと同じように、営業の準備を再開させるのであった。














コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?