私はそろそろ働かなければならない。
しかし私はどうも、世界が苦手である。
誰かの為に何かをする。というのが想像できない。
お金の為と割り切ろうにも、お金が無ければ死ぬという危機感は私にはない。
きっと世間的にいうならば、それは「舐めている」だとかに該当するのだろうが、しかし、価値観と言うのはそういうものである。
とはいえ、この社会という「普通生産工場」でしか、将来の安定などというチケットを貰えないのが、社会の構造であるのだ。
親も兄妹も友人も、全員がその普通の安定生産という社会に飲み込まれて行く。
それを見ていくたびに、何とも言えぬ孤独感が私の心に這い寄ってくるのだが、それも、きっと誰も共感してくれないのだろう。
「普通」に組み込まれる。その当たり前というものが怖い。当たり前が分からないから、当たり前が怖いのだ。
私はきっとこの世界に適していない。
社会に組するのは向いていないのだ。
きっとそれは普通ではないが。もうそういうものであるから、どうもできない。我慢して普通を演じようと、根底が普通でないなら普通にはなれないのだ。一般的な普通の人生というものは、やっぱり、怖いし、苦手である。
しかし、働かなければ、将来の保証という緑のチケットを発行してくれない。そんな社会が、よくできているとも思うし、嫌いだとも感じる。
ただ、我慢して生きていく生き地獄を味わうくらいなら。
そんなチケットどぶに捨ててしまえばいい。
私は学校を卒業し、自分の人生を歩む。なら自分で決めればいいのだ。
他者から決められた普通のレールに乗らず。自力で川を渡るために苦労してやろう。
大層な夢を持っていないが、生きる為に金が必要だと思える日がくるというのが世間の一般的な考えであるなら、お金を稼いで適当に生きてみようではないか。
では、どうするか。
私は私にできそうな、簡単な仕事を探すことにした。
そして、いくつかのサイトやアプリを転々とし、その仕事探しが一カ月に達したときに、一通のメールが届いた。それは私にとって、まるで夢の様な内容の募集であった。
ドアを開けないだけのバイト。
日給 百二万円。
その二行だけで、私はこの仕事を受けることを決めた。