ノックノックノック。
朝の十時に鳴ったのは、きっとそんな音だったと思う。
最近寝室に入れなくなってから、ソファで眠っていたのですが、そのせいかとても寝つきが悪く、リビングで毛布に巻かれながら悶々としていたのですが、そんな時に、それはやってきました。
私はクマを付けた目を擦り、ソファから立ち上がて、インターホンへ向かうと。
そこに写っていたのは、また本物の『お隣さん』でした。
また少し、ああ、人に会えた。という感動を一瞬覚えたけど、すぐこの写っている人は私の知っている『お隣さん』であるのか疑い、疲弊を感じながらも、インターホンを押しました。
「こんにちは、今日はどうされたんですか」
『お久しぶりです。最近調子はどうでしょう?』
なんて普通の顔をして、私を心配するような素振りを演じていた。
「まだ体調は芳しくはないです。なので、今日も、長くお話はできません。失礼します」
『いえ! 少しお待ちください!』
私は靄が掛かったような意識の中、その『お隣さん』の静止を振り切ってインターホンの通知を切ろうとした。でも、どうやらまだ相手は満足していない様で、『通信を切断することはできなかった』。
「…………」
『実は、体調が悪いなか、申し訳ないのですが』
と、私の事は構いなしの様子であったが、その態度は何か言いにくい事をいうような、歯切れが悪いような仕草を感じた。
『最近、このお家から物音が酷くて困っているんです。もう少しだけ、お静かには出来ないでしょうか?』
その言葉に私は身に覚えがなかった。
「ええっと……」
何か反論を言おうとして、止まった。それは間違いなく、あの恐怖心のせいであった。
もうそろそろ、掟を言い訳に何かを言えたあの時期とは、違った。
『それだけです』
私はそんなに音は出していない。ここ最近、睡眠すらまともに出来ていないし、テレビも見る元気がなくなっていたから、そもそもテレビをつけていない。だから、そういう騒音もないはずなのだ。でも彼がいうには、私の部屋はうるさいという。
分かっている。これは口実だ。
私の恐怖心を揺さぶって、この家から一歩でも出そうとしているんだ。『彼ら』はずっとそれだけを狙って行動している。だから、こんな脅しに屈しない。
「…………」
でもなんて答えればいいか分からなくなった。
否定すればいいのか? でもそれだと話しは早急に終わらせられない。このインターホンで話す時間は可能な限り短くしなければならないのだ。でも、適当に肯定だけ飛ばしても、それはもしかして、恐怖演出の始まりのスイッチなのかもしれない。最近、よく脳裏によぎってくるあの顔も、そろそろ忘れて生活したいというのに、本当に、いい迷惑だというのに。
「……そうですね。可能な限り気を付けて生活します。ご迷惑をおかけしました」
私がそう謝ると、『お隣さん』はそのまま玄関先から居なくなった。
「…………」
一連の会話を終え、私はのろのろとソファに戻る。
でも、今の一件で眠気がなくなっていたので、仕方なく重い体を起こし、キッチンへ向かって、蛇口を捻った。
出て来た冷水で洗顔し、冷蔵庫に『増えていた』野菜を取り出し、また『増えていた』お肉を取り出して、何か軽食でも食べながら、今日の夜ご飯の下準備だけでもしてしまおうかなと思い、野菜を水洗いし、まな板に置いた瞬間。
ノックノックノック。
……え?
二度目のノックが、部屋に響いた。
私は包丁をまな板において、インターホンへ向かうと、画面の中ではさっきの『お隣さん』が立っていて、それも少し周りを見回しているというか、ああ、多動な感じというか、落ち着きがない様子だった。とにもかくにも、私はインターホンのボタンを押すと。
『すみません、うるさいです』
「……は?」
『うるさいです』
「いや、なんにもしてないですけど……?」
『まな板置くと響くんですよ。やめてくださいね』
それだけ言い、彼は私の言葉を待たずにどこかへ消えた。
「…………」
うるさくはなかった筈だ。
でも、彼はうるさいと、近所迷惑だとクレームを入れてきた。それも明らかに不機嫌な態度で、語彙を強めて言ってきた。
私は理解した。これが『彼ら』の詰め方なんだと。
「……私を、壊すつもりなのね」
その日から一日5回以上は『お隣さん』の訪問が来るようになった。
その頃にはもう、寝ている時でも構わず文句を言いに来るようになったので、私はどんどんと身体的にも精神的にも弱っていった。寝ていてもノックで起こされ、そして怒られる。それもそのノック音を無視してはいけないという掟があったから、行きたくなくても、体の恐怖が作用して、私はその応対を余儀なくされた。
「…………」
私はこんな仕事を始めてしまった事を、大いに後悔した。