「魔の森に入ることができなかった?」
王宮の最上階、王の間。
玉座に座っているニクラス1世が苦い顔をしている。その視線は目の前でひざまづいているケプカ、そしてラケルに向けられている。
「はい。結界のようなものが貼られていて、私でも破ることはできませんでした。」
ケプカが丁寧な言葉遣いで説明し、「恐らく
「ちょー痛かったんだから!魔王様も行ってみればいいのに!」
「こら! ラケル!」
いつもと変わらない調子のラケルに、ケプカが横から注意を入れる。魔王様の機嫌が悪くなってしまったらどうするんだ! と恐る恐るニクラスの方を向くと、彼は特に機嫌を悪くする様子もなく何か考え事をしているようだった。ニクラスは眉間を人差し指で掻きながらケプカたちに尋ねた。
「洞窟を通った勇者たちはどうなった? 奴らも魔の森へは侵入できていないのか?」
「それ! 私たちもどうなったかわかんないの! だって慌てて魔王様に報告しなきゃって、急いできたんだもん!」
「恐らく結界に阻まれて、その場で立ち往生しているものかと……」
二人がそう返答していると、何やら下の広場がわいわいと騒がしくなった。
一体何事かとケプカが立ち上がり窓から下を眺めると、そこには先ほどの勇者たち千人が戻ってきていた。確かに、ついさっきイヴァル村の上空から見ていた勇者たちに間違いない。金銀銅に光る鎧を着た男たちが嫌でも目立つので、すぐにわかった。
「魔王様、今話をしていた勇者たち……なぜかそこの広場に戻ってきております」
ケプカが言うと、ニクラスはしばらく考えてからラケルに指示を出した。
「ふむ……ラケルよ、勇者たちをこの王都へ留めておいてくれ。そうだな……今日の夕方くらいまででいい」
「了解しましたぁ、あ、そうだ。魔法で作ったお金を配るってのでもいいかなぁ?」
「……好きにしろ」
返事を聞くと、ラケルは歩きながらレイチェルの姿に変身してベランダへ出て行った。
ニクラスは立ち上がって窓に近づき、下の広場に集まっている勇者たちを見ながら呟いた。
「やはり人間では
◇◆◇
「みなさんー! 聞こえますかぁ。勇者の間担当のレイチェルですぅ!」
宮殿二階のベランダに、広場に集まっている勇者に向かってレイチェルが手を振りながら現れた。
レイチェルのことを知っている勇者たちは、「レイチェルちゃーん」と、デレデレした顔で手を振りかえす。その言葉を聞いたレイチェルが、再びそちらの方に向かって笑顔で手を振るものだから勇者たちは興奮が止まらなかった。
レイチェルは勇者のあいだで大人気だった。可愛らしい顔に加えて、どんな話をしても「すごいですねぇ!」と褒めてくれる聞き上手でもあり、さらにはレベルアップの報酬も「おまけですぅ!」と言ってこっそり増やしてくれる。戦いばかりで疲れた勇者たちを癒してくれるアイドルのような存在だった。
興奮冷めやらぬ勇者たちに向かって、彼女が「しーっ」と人差し指を立てて口に当てると、面白いくらいに一瞬で勇者たちが静かになった。
ちなみに、「孤高の槍使い」神速のウルフは、広場の一番後ろ辺りで柱にもたれかかり、腕組みをしたまま表情を崩していなかった。
「国王様からのお言葉を申し上げますぅ」
そう言ってレイチェルは懐から小さく折り畳まれた紙を取り出し、広げていく。丁寧に広げ終えると、そこに書いてある内容――本当は白紙で、中身はレイチェルのアドリブだが――を読み上げた。
「『勇者諸君。調査の結果、今回は
それを聞いた勇者たちがざわついた。金貨三千枚といえば、かなりの贅沢ができる金額だ。王都の武器屋に売っている最高金額の炎の剣で金貨千五百枚である。宿でどれほど飲み食いをしても数ヶ月は過ごせるだろう。
あちらこちらから、「マジかよ!」とか「俺たち特別何もしてないけどいいのかな?」とか「何に使う?」といった声が聞こえてくる。
「うおおおお、ニクラス王! 万歳!」
興奮した誰かが大声を出した。それにつられて多くの勇者たちから「ニクラス王! 万歳!」と声が上がった。
レイチェルは目先の金に喜ぶそんな勇者たちの様子を軽蔑するような目で見ていた。残念ながら勇者たちは興奮したり喜んだりしているので、彼女のその様子を見ていたものは「あの男」を除いて、誰もいなかった。
「じゃあ、また夕暮れにこの場所に来てくださいねぇ。そうそう、今日は勇者の間はお休みでーす」
レイチェルはそう言って勇者たちみんなに手を振りながら、部屋に戻っていった。
◇◆◇
しばらくすると、勇者たちは三々五々広場を後にしていった。
「なあ、ウルフの旦那、あんたは夕暮れまでどこで過ごすんだい?」
相変わらずコミュニケーション力の高いアダムが、広場から去るウルフに話しかけた。すると彼は、「……俺は今から自分の村に帰ろうと思う」と歩きながら答えた。
「えぇ? 夕方に金貨三千枚貰えるんだぜ、それを貰わずに今から帰るのかい?」
「……
ウルフはそう言って早足に宮殿を出ようとする。それになんとか着いていきながら、アダムは話を続ける。
「そうだけどさ! せっかくだから貰えるものは貰っておいた方が……」
すると、ウルフは足を止めて真っ直ぐにアダムを見据えて言った。
「お前はレイチェルというあの女の目を見たか? 笑顔の奥に何か我々を見下したような、蔑んだような感情が潜んでいた。きっと何か裏がある。」
気軽に話しかけて仲良くなろうと思っていたアダムだったが、ウルフは思っている以上に冷静で鋭い男だった。何も言い返せずに黙って立っていると、ウルフがアダムの肩にそっと手を置いて言った。
「別に金貨をもらうことを否定しているのではない。ただ、気をつけてくれよ。私の思い過ごしならいいのだが……」
ウルフは王都を去っていった。振り返らずに手をあげて、彼はアダムに別れの挨拶をした。その後ろ姿はとても大きかった。
そして、アダムにとってそれが最後に見たウルフの姿だった。
◇◆◇
「……ちょっと……通してくれないか」
せっかく渋い別れをした後だというのに、彼は城門付近でウルフファンに囲まれて身動きが取れなくなってしまった。なんとかファンを説得させて王都を抜け出したのは夕暮れが近づく頃だった。