「うわ、お城の外って薄暗くて……お化けとか出そうな雰囲気ですね」冥界を初めて見たリディアが言った言葉である。
冥王城の大きな正門を出ると、薄暗い世界が広がっていた。
今五人が立っている場所は第1層と言うらしい。
冥王城は冥界の中心に位置していて、そこから世界が層のように重なって永遠に広がっている。中心から1層、2層……と時期ごとに区切られていて、中心から離れるほど数字が大きくなっていく。最近亡くなった魂は第1層に送られることとなる。
しばらくすると(これは何年と決まっているわけではなく、死者の数によって変わるようだ)冥王城の周りに新しい層ができて、これまで第1層だったところが第2層へ、第2層だったところが第3層へと数字が一つずつ増えていく。
一番遠くにあるのが第何層なのかは冥王でも正確に把握できていないという。それほど冥界の歴史は古い。この層の概念については、冥王が場所をある程度把握するためだけにつけたものであり、そこにいる死者たちは自分が何層にいるなどという感覚は持っておらず、また、死者たちは層をまたいだ移動はできないと大臣が教えてくれた。
「それなのに、そういう法則を無視して好き勝手やってる人間がいるんだよ」
大臣の説明が終わると、ハデスが遠くを見ながら愚痴をこぼす。
「大臣、あいつは今第何層にいるんだ?」
彼女の問いに対して、「お待ちください」と大臣が目を閉じ、ツノをアンテナがわりにして何か情報を探り始めた。しばらくして大臣が言った。
「えっと、第22層で拳聖テオゲネスと戦ってます」
「またか! 今すぐ転移魔法で連れ戻せ!」
ハデスの命令に、大臣が両手を空中に向けて黒い渦を作り出す。転移魔法の魔法陣だ。
空中に浮かんだその渦の中心から、「コラ! まだ戦っている途中だ! 戻しやがれ!」という叫び声とともに、バタバタと振られた足が姿を表した。アーノルド一人分くらいありそうな太さの足だった。続いて割れた腹筋が輝く胴体、血管が浮き出た丸太のような腕、額に大きな傷のある坊主頭……と徐々に体全体が現れた。汗だくの体がじたばたしているので、周囲に大量の汗が飛び散る。
ハデスたちはそれを嫌がって魔法陣から離れる。大臣はヒィ! と言いながらも両手を広げ、男から飛び散る汗を受けながら転移魔法を唱え続け、全身が渦から完全に出たところで詠唱を終えた。
リディアは一目見てすぐにわかった。勇者の間で自分から腕輪を身につけて嵐のように去っていった男……。
「ガルシア!」
思わずリディアはその名を口にしてしまった。
「ああん? 誰だ、俺の名前を呼ぶのは?」
ガルシアは不機嫌そうに周囲を見回し、ハデスや大臣、リディアの姿を確認する。
「おっ、あんたは勇者の間にいた嬢ちゃんじゃねぇか。どうしてここにいるんだ? 死んだのか?」
リディアは返事をせずに逆に聞き返した。
「そういうあなたこそ、どうしてここに? あなたも死んでしまったの?」
その問いには大臣が答えをくれた。
「リディア様、この男が偽物の魔王に“生きたまま冥界送りにされたもう一人の人間”でございます」
「そう言うこった。それで、俺はこの世界にいる強い奴らと片っ端から戦ってたってわけよ!」
なんだかガルシアの雰囲気が違う……とリディアは思った。勇者の間で会ったときはそこにいるだけで圧倒的な威圧感というか恐怖じみたものを感じていたが、今はそんなことない……。むしろ爽やかさすら感じるのはなぜだろう? リディアがガルシアを全体的に眺めて「あっ!」と気づいた。
「斧と首がないんだ!」
現在のガルシアはズボンと革靴、そして勇者の腕輪のみというシンプルないで立ちだった。以前腰から下げていた人間の頭三つはなくなっていた。
「あん? ああ、あの斧は化け物と戦うときに置いてきちまった。首はよ……本気の戦いをすると邪魔でしかたなくて捨てちまった。」
「こいつは冥界に来てからずっと強い奴と戦いたいとばかり言ってな、この世界の法則を完全無視していろんな層に行って強そうな奴に喧嘩売ってやがるんだ」
ハデスがガルシアの坊主頭をパシッと叩きながら言った。ひっ! そんなことしたら殺されちゃいますよ、冥王様! とリディアが肝を冷やしたが、意外にもガルシアはハデスの行為をただ受け入れた。
「おかげでいろんな奴と拳を交えて強くなったぜ、さあハデス様よ……もう一度勝負させてくれや!」
「無駄無駄。どうやったって私に勝てるわけない……」
とハデスが喋っている最中に、ガルシアが思いっきり右手を振り上げ、顔面目がけて殴りつけた。
「うわ!」
「ハデス様!」
リディアと大臣が同時に声を上げる。さっき爽やかなんて感じたのは取り消します! だってハデス様が話している途中に攻撃を仕掛けるなんて、最低! と思っていると、どうやらサーシャも同じようだった。
「何じゃこいつは……不意打ちなんて最低じゃ」
サーシャはガルシアに対してニクラスと同じような印象を持ったのだろう。眉間にしわを寄せて、嫌そうな顔をしていた。
しかしハデスもなかなかのやり手だった。不意を突かれたとはいえ、ガルシアの拳をしっかりと左手で防いでいた。しかも相当な勢いで放たれた攻撃だったのにもかかわらず,殴られた場所から一歩も動いていない。それにはガルシアも驚いた表情を見せ、そして嬉しそうに笑った。
「おっ! ついに本気を出してくれ」
ガルシアがそう言おうとしたときに、ハデスの右の拳がガルシアの腹にめり込んだ。ドゴン! というまるで巨大な岩が破壊されたときのような強烈な音が冥界中に響き、周囲の空気が揺れた。
「る……」
言葉を言い終える前に、ガルシアは白目を剥きそのまま前に崩れ落ちて動かなくなった。
「まさか! 本気を出したら死んでしまうわ。」
拳についたガルシアの汗をパッと振り払い、大臣にガルシアの処置を任せる。そして、真面目な顔から一転、目をキラキラさせてサーシャの目の前に走ってきて言った。
「どうだった、さーたん! 私強かった? ねぇ,どうだった?」
サーシャは両手を握って自分に迫ってくるハデスを、流石に無視するわけにはいかなかった。
「……相変わらずおそろしい強さじゃ。ところで、顔は大丈夫かの?」
「えっ、心配してくれてるの? お姉さん嬉しい! 顔は全然大丈夫だよ! だってあの程度の攻撃、大したことないもん!」
てへっ! と可愛いポーズをとるハデスを見て、リディアは改めて彼女の強さに驚いた。だって、あのガルシアが不意打ちで放った攻撃を防いで、しかもたった一撃で気絶させるなんて……これは、偽魔王ですら簡単に倒せてしまうんじゃないだろうかと頼もしさを感じた。
「なんてね。あいつもなかなか強くなったよ。最初ここに来たときよりも心も綺麗になってるし……もう、人間の中でも最強に近いんじゃないかな」
ハデスが,倒れているガルシアを見て優しい顔をして言った。「絶対に直接は言わないけどな」と付け加えて。
「最初来た頃は冥界中に敵意を振り撒いてましたからね。数百回にわたる強者との戦いの中で悪いものが削ぎ落とされていったのでしょう」
処置を終えた大臣が言った。
「ガルシアも一緒に戦ってもらおうか。戦いに飢えてるから喜んで協力してくれるさ」
ハデスの言葉に、リディアとサーシャは「ええ!?」と苦い顔をした。