深い深い闇の中をただひたすらに落ちていく。
やっぱり国王は父上ではなかった。まさか魔王が化けていたとは……サーシャの言う通りだった。
そして手も足も出なかった。
リディアとサーシャは無事だろうか。せめて生き延びてほしい。
僕は何もできずに……ただ渦の中に吸い込まれて……
そんなことを考えていると、アーノルドは全てが薄暗い世界に辿り着いた。周りを見回しても薄暗くてよく見えない。かろうじて自分の姿はなんとか確認することができる。いつもと同じ服装に、皮の胸当て。腰にはナイフと道具袋が下がっている。いつも通りの格好だった。
ああ、ここは死後の世界なのか……とアーノルドは思った。以前ケプカの炎に焼かれたときとはちょっと違う感じがした。
匂いは何もしない、お腹も空いていない。声を出してみると……「ああ……」声は出せた。
意識もはっきりとしている。手足も自由に動く。試しに数歩歩いてみたら……これまでと同じように歩くことができた。どうやら死後の世界というのは、自分の意思を持って自由に動き回れるようだった。
薄暗い世界の遠くに、光が見えた。何もない世界にたった一か所だけ輝いている場所がある。アーノルドは直感的にそこにいかなければいけない気がして、自然と光に向かって歩き出した。
近づくたびにだんだんと光が大きく、はっきりしてきた。その光が周囲を照らしているが、本当にここは何もない世界のようだった。後ろを振り返ってみると、どこを通ってきたかわからないほど、ただただ薄暗い何もない世界が広がっていた。
「ああ! また生きた人間が迷い込んできた!」
突然どこからかそんな声が聞こえてきた。アーノルドが周りを見渡すが当然の如く誰もいない。すると光の中から、アーノルドの半分くらいの背の子供が現れた。見た目は普通の人間だが……額から一本の角が生えていた。
「君は……?」
「オイラはただの案内人。ようこそ、冥界へ! ……って言いたいところだけど、どうやってここにやってきたのさ。ここに来るのは死んだ人だけだよ!」
そう言って彼は腰に手を当て、ぷんぷん怒っているようだった。
「……冥界って? そして僕は死んでいないのかい?」
アーノルドが不思議になって案内人に尋ねるが、どうやら答える気はなさそうだった。
「とにかく、生きた人間が来ると手続きがめんどくさいんだよ。冥王様に会って直接話をしてくれる?」
「わかった。冥王様っていうのはこの光の向こうにいるのかな?」
アーノルドが光の中に入ろうとすると、案内人に腕を掴まれて止められた。子供の姿をしているというのにすごい力だった。
「だめだめ! ここは死者が通る道だよ。生きたまま通ったら元の世界に帰れなくなっちゃうよ。」
じゃあどうすれば……という顔をしたアーノルドに、案内人が続ける。
「転移魔法で直接冥王様のもとへ連れて行くから。いい? これからも光の中に入ったらだめだからね。」
◇◆◇
「アーノルド様!」
リディアが目を覚ますと、そこは魔の森にあるサーシャの別荘の一室だった。ん? と困惑したリディアだったが、何が起きたのかを頭の中で整理する。
国王陛下は魔王が化けていた姿だった……そして私は魔王の一撃をお腹にくらって倒れて……アーノルド様は……黒い渦の中に吸い込まれて……あれ? そのあとは……?
「大丈夫かの、リディア?」
寝ているリディアをサーシャが真上から覗き込んだ。彼女はリディアのお腹あ
たりに手をかざし、暖かい白い光を当て続けてくれていた。おかげでリディアの痛みは完全に治まっていた。
「さーちゃん! どうして私たちここへ……?」
リディアがゆっくりと起き上がる。
「まあ、ちょっと落ち着くのじゃ」
サーシャがコップに飲み物を入れて渡してくれた。「ありがとう」とリディアが受け取り、一口飲む。あ、これは魔の森のお茶だ……ラームの家でご馳走になったときと同じ味がしてホッとした。
落ち着いたリディアを見てほっとして、だけども少し申し訳なさそうな表情をしてサーシャが言った。
「あの魔王を名乗るやつから、転移魔法でここに逃げてきたのじゃ。あのままでは二人ともやられておった。」
「ありがとう、さーちゃん……二人ともってことは、アーノルド様は……」
「黒い渦に体が飲み込まれて……手遅れじゃった。……われに任せよとか偉そうな口を聞いて……すまん」
それを聞いてリディアの顔が一気に曇る。そんなリディアの両手を、サーシャが包み込むようにして握る。
「じゃがの、あの黒い渦は転移魔法の魔法陣なのじゃ。だから、きっとアーノルドは何処かへ飛ばされただけで生きているはずじゃ」
そういえば、ポンボールの洞窟でもラケルが同じような渦の中に入って消えていったのを見たのを思い出した。そうだ、渦の中に吸い込まれたからって死んでしまったとは限らないんだ。アーノルド様が生きている……かもしれない! たとえわずかな希望でもリディアはそれを信じたかった。
「もし転移魔法だとしたら、魔王はアーノルド様をどこへ移動させたのでしょう?」
リディアが尋ねると、「今から魔法で探してみるでの。待っておれ」とサーシャは両手に魔力を集めて何かを念じ始めた。……お願いします。アーノルド様が無事にどこかで見つかりますように! リディアも両手を合わせて心の中で願った。
ふう、と一息ついてサーシャが言った。
「なんと、アーノルドはこの世界におらぬ」
「え? この国じゃなくて、この世界?」
「うむ。生命反応があれば世界中どこにいてもわかるんじゃが……」
サーシャが苦虫を噛み潰したような顔をして考え込む。
「まさか……アーノルド様……亡くなってたりしませんよね?」
リディアは、サーシャに否定してもらうつもりでそう言ったのだが……
「もしかすると……そうかもしれんな」
と、返されて「ええ!?」と大きな声を出してしまった。
「リディア、体はもう大丈夫じゃろ? 出かける準備をしておれ!」
サーシャはそう告げると、慌てた様子で部屋の外へ出て行った。訳がわからないまま、リディアは布団から出て、床に綺麗に並べてあった自分の装備を身につけた。
しばらくすると、サーシャはいつもと違う落ち着いた雰囲気の服装に着替え、赤い宝石が施された首飾りと腕輪を身につけて戻ってきた。そして、
「リディアよ。冥界に行くぞ。アーノルドはきっとそこにおる!」
と彼女の手を掴んで言った。
「めいかい?」
リディアが聞きなれない言葉をもう一度口にすると、サーシャが別の言葉で言い換えてくれた。
「そう……死後の世界じゃ」