番外編です。
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王都の宮殿最上階。
王の間には、ニクラス一世とガルシアが向かい合って一触即発の状態にあった。宰相も護衛の兵士も王の命令で席を外している。今、ここにいるのは二人だけである。
「負けるわけがなかろう……か。ナメられたモンだぜ!」
ガルシアが腰にぶら下げた斧に手をかけ、構える。その大きさは大人一人分ぐらいで相当な重さと思われるが、それを難なく両手で持ってぐるぐると回す。
そして体の前で大きく一度振った。強烈な風が国王のマントをバサバサっと震わせる。普通の人間はそれを見ただけで圧倒的な力の差を感じて萎縮してしまうものだが……国王は特に驚くこともなく拳を握って構えてみせた。
「あぁん? 武器はどうした、武器は?」
「いらんよ。たかが人間……この拳で十分だ」
その言い方が気に入らなかった。ガルシアは斧を後方へ放り投げた。ズゥン! と音を立て、床に大きくひびが入る。
「じゃあ、俺も拳だ」
ガルシアも両手を握りしめて構えをとる。
「……大した自信だな。……それともただの馬鹿なのか?」
国王がその言葉を言い終わった瞬間だった。
「ふん!」
ゴツッ! という鈍い音とともに、ガルシアの拳がニクラスの右頬を捉えた。強烈な一撃が入り、ニクラスは側方の壁近くまで吹き飛ばされた。床を何度か跳ね、数回転して止まった。常人ならこれで生きている者はいない。
しかしニクラスがゆっくりと起き上がる。右頬が青く腫れ上がっているが、彼は痛がるそぶりも見せずに言った。
「なかなかやるな。今のは見えなかった」
「だろ? 図体がでかいから動きが遅い、なんて思うなよ」
「じゃあ次は私の番だ」
そんなに離れた場所から、何が私の番だ! ガルシアは気を抜かずに、ニクラスから目を離さない。
が、一瞬の瞬きの後ニクラスが視界から消えた。
「!?」
空気が揺れた。あんな離れた場所から瞬きをした一秒にも満たない時間で、ニクラスはガルシアの懐に入り込んでいた。下から右の拳を振り上げて、腹に一撃をお見舞いする。
バチィッ! ニクラスの拳が腹筋で弾かれた。ガルシアのはちきれんばかりの筋肉は飾りじゃない。実際、ニクラスの拳はガルシアに全く効いていなかった。
「……ほぉ」
ニクラスは感心して笑顔を見せた。一旦距離を離して仕切り直す。さあ、もっと楽しませてくれよ……とニクラスが次の手を考えていると、突然ガルシアが力を抜いて
「……やめだ。やめ」
と言って、戦いをやめた。ニクラスは驚いて尋ねた。
「どうした? お互い実力を確かめ合うには早すぎるだろう?」
「んー……」とガルシアは首を左右に倒し、ポキポキと鳴らして言った。
「お前……誰だ? 国王じゃないだろう……人間のふりをした魔物か?」
ニクラスが目を見開いてガルシアを見つめる。そして、自身も戦いの構えを解いて自然体になる。
「ハハハ、図星か」
「どこで気づいた?」
静かな口調でニクラスが尋ねる。それに対して「理由は3つ」と、ガルシアが自信たっぷりに答えた。
「まず、俺様のパンチをモロに喰らって生きている奴を見たことがないってのが一つ。あれ、首の骨折れるぜ普通」
「それと、そのパンチを受けた頬の腫れが一瞬で元に戻っているってのが二つ」
ニクラスが右頬を触って、しまったと気づいたが遅かった。ガルシアの攻撃が想像以上だったので、腫れた頬を
さらにガルシアがニヤリとして
「あと、カマかけて適当に言ってみたのにどうやら本当らしいってのが最後の理由だな」
と付け加えた。
「私としたことが……人間風情に見抜かれてしまうとはな」
ニクラスの体から黒い気が沸き立ってきた。そして目が赤く輝きだした。先程までと全く違う雰囲気を感じて、ガルシアが身構える。おいおいおい、さっきと比べ物にならないじゃねぇか……おもしれぇ。魔物に俺様の力が通じるかどうか、力比べといくか! そう思った矢先のことだった。
「う、動かねぇ!」
いつの間にか、ガルシアの足元に黒い渦のようなものが出来上がっていた。その渦はガルシアの足に吸い付いて離れない。
「おっ、何だこれ」
ニクラスは表情を変えずに、両手をガルシアの方へ伸ばした。
「残念だよ。お前の様な強い人間、ぜひ私の人形にしたかったが……どうも性格が合わないらしい」
危険を感じてガルシアが精一杯足を動かそうとするが、黒い渦はびくともしない。それを拳で殴りつけても、まるで効果がなかった。
「死ね」
ニクラスがそう言うと、ガルシアの足からだんだんと黒い渦の中へ吸い込まれていく。もう抵抗はしなかった。どうせ無駄だろうと覚悟を決めた。
「フハハ、俺は死なねぇよ! 地獄から這い戻ってきて、必ずお前を倒す! 覚えとけよ!」
「……それは楽しみだ」
ガルシアは最後まで強がった態度のまま、床に現れた黒い渦に吸い込まれていって、消えた。ニクラスが両手を合わせて念じると、そのまま黒い渦も消え、跡形も無くなった。
無言のまま、ニクラスは床に落ちたガルシアの斧に手を向けた。斧はまるで高熱を浴びたかのように赤く変色し、音も立てずに消滅した。さらに手を振りかざすと、ひびの入った床などがきれいに元通りになった。
この部屋には誰もきていない。戦いも何も起こっていない。そのくらい完全な状態に戻った。
「もしかしたら、人間の中にも気づいている者が現れているかもしれんな……」
ニクラスが窓に近づき、そこから見える王都を見ながら呟いた。
「王子と、シスターと……ついでに受付嬢も消しておくか」