「はじめましてーの人が多いよね?」
ラケルと名乗ったその女性は魔物と呼ぶには艶っぽく、また親しげであった。すでに数名の勇者は突然現れた美しい女性に鼻の下が伸びている。いつの間にか構えていたはずの剣がだらんと下に落ちて、戦意すら失われていた。
その様子を見て、ゴルドが叫ぶ。
「諸君! 惑わされてはいかん! こいつは闇の中から現れた魔物だ……ぞっ!」
次の瞬間、ラケルはゴルドの目の前に立っていた。右手の人差し指で彼の顎をクイッと持ち上げて、
「そんなぁ、魔物だなんて失礼な言い方しないで。私は……ま・ぞ・く。」
と言って、ふうっと口に息を吹きかけた。「おおっ!」とゴルドは満更でもないような顔をして後ろへ数歩ふらつく。そしてそのままうつ伏せに倒れた。
「隊長!」
「ちょっと眠らせただけ。私に意地悪言うから大人しくしておいてもらおうと思って」
ラケルがそう言って微笑んだ。
勇者たちは何が起きたかわからないと言った表情をしていた。しかしすぐに危険な敵だと認識し直し、改めてラケルに向けて武器を構える。
そんな勇者たちの姿を見て、ラケルはつまらなさそうに頬を膨らます。
「もうちょっと私とお話ししましょうよー。戦いなんて意味ないよ? ね?」
ラケルが一人の勇者に向かってウインクをする。目があってしまった勇者は目がハートになり、剣を落としてしまった。その勇者に近づこうとするラケルに、別の勇者が阻止しようと剣を振りかざした。きゃっ! と言ってラケルはその太刀を避ける。
「もう! 邪魔しないでよね!」
避けた勢いを利用して、そのまま剣を振り下ろした勇者を掴んで地面に叩きつける。その動きは、他の勇者たちからは「剣がラケルの体をすり抜けて、いつの間にか勇者が地面に仰向けになっていた」ようにしか見えなかった。
「ね、意味ないって言ったでしょ!」
ラケルは、呆気にとられて天を見上げている勇者にウインクして見せる。
「どうせ戦ったら私が圧倒的に勝つってわかってるんだもん!」
そこからはラケル対勇者五十人の壮絶なる戦いだった。
正確には一名睡眠中、二名は目がハートになり戦闘不能、王子様は何もできずに突っ立っていて、姫様はその護衛……なので、実際に戦っているのは四十五名。
勇者の一人が正面から斬りかかる。ラケルがそれを下がって躱す。するとそこを狙いすまして左右から同時に勇者たちが攻撃する。二本の剣がラケルの両脇腹に刺さった、と思ったら姿が消えた。
「ざーんねん。私はこっち。」
気がつけば数メートル離れた場所で他の勇者たちの兜をコンコン! と軽く叩いて、そしてまた他の場所へ魔法のように飛び移っていく。
このようにして全ての攻撃を紙一重で交わし、ラケルは勇者たちに軽い打撃を加え続けている。
……このラケルという魔族はまるでダンスを踊って遊んでいるようだ。アーノルドの目にはそのように映った。ケプカのように炎の魔法のようなものを使って一気に人間を蹴散らそうと思えばできるはずだ。それなのに、勇者たちとの戦いを楽しんでいるようにも見える。この魔族は一体何が目的なんだ?
「ねえ、あなたの首飾りは無くなっちゃったの?」
突然,ラケルがアーノルドの目の前に現れて、指で首元を撫でる。そのまま唇を近づけようとしたとき、リディアが「ぎゃー!」と叫び声を上げて飛びかかる。
「!!」
ラケルはそれを避けようとしたが、リディアが飛びついたのはアーノルドだった。二人はもつれるようにして地面に飛び込んだ。
「いてて……」「ア、アーノルド様、申し訳ありません!」そんな二人の様子を見ながらラケルはニヤニヤしていた。しかしそれも束の間。すぐに他の勇者たちがラケルを狙って襲いかかってくる。
「もう,いいところだったのに!」
勇者たち四十五人が連携をとりながら、絶えず攻撃を繰り返す。時に連携がうまく取れず、勇者同士がぶつかってしまうことがあると、ラケルは「あはははは、ぶつかってるし!」と笑っている。
勇者たちの攻撃はまず当たらない。かと言って致命的な打撃を喰らうわけでもない。
ただただ時間だけが過ぎていった。