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第46話

 アーノルドに手渡された剣は重く、剣先が地面についてしまう。持ち上げようにも彼の力ではそのままの体制を保つのが精一杯だった。


 とどめを刺す……物理的にも、精神的にも彼にできるわけがない。


 まず非力なアーノルドはニクラスから渡された剣を持ち上げることができない。仮に持ち上げることができたとしても、わずかな時間ではあるが一緒に過ごし、命を賭してケプカから自分を守ってくれたラームの命を断つことなどできるわけがなかった。


「……」


 何も言えず、何もできず、ただアーノルドはその場に立ち尽くしていた。

 リディアもなんと声をかけていいかわからなかった。命の恩人でもあるラームさんにとどめを刺すなんて。でも、今目の前にいるラームさんはどう見ても魔物そのもので、敵意をもってこちらを睨んでいる。どうすればいいのだろう。



「甘い! 甘いぞ、アーノルド!」



 痺れを切らしたニクラスがアーノルドの手を握り、一緒に剣を持ち上げる。


 そしてラームの首を目掛けて振り下ろす……が、アーノルドの力があまりにも弱く剣がぐらつく。狙いが外れて肩のあたりを打ち付けた。


「ギャアアアアアッ」


 地面に伏せたままのラームが苦痛に歪んで声を上げる。


「それで魔王を倒すなど、夢のまた夢。」


 ニクラスはアーノルドの手を握りしめたまま、何度も何度もラームに向かって剣を振り下ろす。

 その度に黒色の血が飛び散り、地面に広がっていく。アーノルドは涙が止まらなかった。命の恩人に向かって自分の意思ではないとしても、その命を断とうとしている……。


 しばらくすると、ラームの声が聞こえなくなった。ニクラスも握っていた手を離し攻撃をやめる。

 二人の足元には黒い血の池ができていて、ブクブクと微かではあるが泡立ち、音を立てていた。その中心でラームが……ラームだったものが動かなくなっていた。



「おえええええええっ!!」



 アーノルドはその姿を見て膝をつき、盛大に吐いた。



「……」

 ニクラスは黙って後ろを向き、涙を流して立ち尽くしているリディアの横を通り過ぎ、部屋の扉の前に立った。


「……二人とも後で私の部屋に来なさい」

 ニクラスは振り向かずにそう言って、その場を後にした。


 しばらく静寂が部屋を支配した。



 耳を凝らすと、しんとした空気の中にコポコポと黒い血の池から微かな泡立ちの音が聞こえてくるくらいだ。


 シスターは病気で命を落とし、彼女に会うためにやってきたラームも暴走し、命が尽きた。せっかく出会えた二人なのに同じ場所で命がなくなるなんて……どうして、どうしてこんなことになってしまったんだろう。そんなことを思いながら、リディアはアーノルドのもとへふらふらと近く。


「……アーノルド様……」


 リディアが肩に手を触れると、おええっと嗚咽をあげながらアーノルドが言った。


「……僕が……ラームさんを……こ……殺してしまった……なんてことを……」


 再び泣き崩れるアーノルドを、リディアが優しく抱きしめた。


「アーノルド様……アーノルド様に非はございません……どうか自分を責めないでください」


「でも……」


「大丈夫です。アーノルド様、言ったではありませんか。『相手が自分の命を狙ってくるのなら、覚悟をもって臨む』と……。こうしていないと、アーノルド様が命を落としていました」


「……ありがとう……リディア……」


 その一言で救われたのか、アーノルドは大人しくなりリディアの胸の中で目を閉じ、体を預けた。



 一方、冷静になったリディアは表情こそ変えなかったが、内心ドキドキしていた。……私ったら普通にアーノルド様を抱きしめてしまった! これって失礼じゃなかったかしら……え、不敬罪? まさか……って、アーノルド様、今、私にもたれかかっている……きゃーどうすればいいのこれ! 私の心臓の音がアーノルド様に聞こえていたらどうしましょう!


 ブクブク、ブクブクってそう、こんな心臓の音が……あれ、心臓の音ってブクブクだっけ? ドクドクじゃ……このブクブクって音はなんの音?


 どこかで聞いたことがあるような……そうだ、リースの街でケプカとかいう魔族が自身を回復させる時の音と似ている……ん?



 アーノルドを抱きしめたことでときめいたのは一瞬。

 リディアが向こうを見やると、なんと先ほどまでラームだった肉塊から泡が溢れ出し、その体が元に戻ろうとしているではないか。さっきから聞こえていたブクブクという音は体を回復させるためのものだったのか!


「グアァアアアアアアアァ!!」


 顔だけが元に戻ったラームが二人に向かって吠える。リディアはアーノルドをそっと床に下ろし、立ち上がって両手で剣を持って構える。


 今なら……体が完全に元に戻っていない今なら、私にもとどめを刺すことができそう……だけど……ラームさんを切るなんて……私にはできない。


 先ほどはアーノルドに偉そうなことを言っておきながら、いざ自分がその立場になると手が出ない。目の前の魔物は、ラームの形をしていないが、ラームなのだ。


 リディアがためらっている間に、ニクラスに切り落とされたラームの右腕がゆっくりと動いていた。それが突然飛び上がり、剣を握っているリディアの両手を掴んだ。


「!!」


 このまま刺されてしまう! 剣を離さないとと思い左手を離したが、右手の方は圧倒的な力で掴まれている。リディアは懸命にもがいたが、自分の力では振り払うことはできなかった。


 ラームの手がリディアの腕を持ち上げて大きく振りかぶる。観念してリディアは目を閉じた。ブシュッと肉を突き刺す鈍い音が部屋に響いた。



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