「シャール様も、もしもっと勉強したいなら隣国の学園に通ってもいいんですよ。ゴートロート様も許してくれるはずです。そこでもっとちゃんと学べば今後薬師で生計を立てることも可能です」
それはこの先のことを思うとシャールにとっても魅力的な話だった。アルジャーノンが迎えに来るまでの間だけでも手に職をつけるのは悪くない。
「考えてみます」
そう答えたところでゴートロートがこちらに向かって来るのが見えた。
「あ、大叔父様!」
シャールはゴートロートに駆け寄って今日の成果を報告する。新しい薬の話を優しい顔で聞いている彼は本当にこの子を溺愛しているのだろうとヤンは思った。
「何やらわたしの元からシャールを取り上げようとする話が聞こえたがどういうことかな?ヤン」
ゴートロートはからかうようにヤンを睨むマネをして慌てるヤンを見て笑う。
「大叔父様、ヤン先生をいじめるのはやめてください」
「わはははそうだな、すまないなヤン。それに彼の言うことは一理ある。シャールがやりたいのなら環境はすべて整えてやろう……ただし護衛の数はこちらに任せてもらうがね」
ヤンの脳裏に一個師団の姿が浮かぶ。これはかなり大変なことになりそうだ。
「ありがとうございます、大叔父様。前向きに考えます。でもそれまではヤンに引き続き教えて貰ってもいいですか?」
「もちろんだ。かまわないか?ヤン」
「はい、光栄です。シャール様、せっかくだから草ばかりではなく花についても学んでみませんか?ちょっと泥だらけになりますけど」
「はい!是非!どうせ毎日泥だらけで新しい草を探してますから」
「うむ。確かにな」
ゴートロートが笑うのでシャールもつられて大笑いした。こんなこと、皇太子妃教育の先生に見られたら大目玉だろう。
けれどシャールはここに来て初めて自由に生きることを知った。ドレスのサイズを気にせず美味しいものを食べ、汚れるのも構わず地面に転がって草を調べ、大きな声で笑う。
それがこんなに楽しいなんて!
「さあそろそろ客が来る時間だ。シャールは風呂に入らないとそんなに泥だらけだと驚かせてしまうぞ」
「あ、そうだ今日は父上が来るんでしたね」
あまり頻繁に行き来をすると周りに怪しまれるため、アルバトロスがここを訪れるのは数ヶ月に一度だ。しかも今日は初めてリリーナが一緒に来るという。
シャールは母を驚かせないように公爵邸にいた時のようなドレスを来てきちんとお化粧やアクセサリーをつけて公爵邸の馬車を迎えた。
「シャール!!本当に貴方なの?!」
「はい、母上、お久しぶりです」
「もう!貴方が亡くなったとお父様に聞いてどれだけ驚いたと思ってるの!母親なのに遺体も見せてもらえないし、毎日お墓で泣きながら祈ることしか出来なかったのよ!本当にみんな酷い!」
ボロボロ泣きながらリリーナがシャールを抱きしめる。
「すまなかった。君に話したらルーカや他の者に知られる可能性があったから言えなかったんだ」
愛妻家のアルバトロスがこんな重要なことを妻に内緒にするのはかなり精神が削られただろう。毎日泣き暮らす妻をどんな思いで見ていたかと思うと胸が塞ぐ。
「いいえ、あなた。分かってます。私が全部悪いの」
「……リリーナ」
「ルーカがシャールに毒を飲ませようとしたことや、シャールが死んでしまったと思ったことで色々と考えたわ。今までの私なら確かにルーカに聞かれたら「内緒よ」って言いながらシャールは実は生きてるって話してしまったかもしれない」
「母上……」
内緒にしておいてよかった~。
シャールは心から思う。
「でも私は変わったと思ったからあなたはここに連れてきてくれたんでしょう?アルバトロス」
「ああ、そうだ」
二人はそっと抱き合った。
(父上と母上はもしかすると今ようやく本当に分かり合えたのかもしれない)
シャールはそう思いながらのんびりと話の出来る客間に二人を案内した。
「叔父上はどこだ?」
「膝が痛むと仰って湯を使っておられます」
「そうか」
「ゴートロート公にもしっかりお礼を言わないと。あんな状態のシャールをここまで面倒見てくださったんだから」
「うん、大叔父様は本当に暖かくて優しい方だよ」
「……恥ずかしいわ。自分のして来たことを思うと貴方の顔をまともに見られない」
リリーナは涙ぐみ顔を伏せる。
「いえ、母上は優しかったです。……ただその……公平で優しすぎたんだと思います」
「……シャール、私はね正義は一つだと思っていたの」
「どういう意味だ?」
アルバトロスが優しくリリーナの顔を覗き込んだ。
「悪いことをする人はそれが悪いことだ知らないから、正しいことを教えてあげたら理解できると思ってたの。……でも」
「シャールが死んだと聞かされてからルーカと話をしたの。考えてみたら私はいつも『こうしなさい』だとか『ああすればいいのよ』なんて自分の考えを押し付けるだけで相手の話を聞いてなかった。それに気付いたからルーカに聞いてみたの」
「なんて?」
「どうしてシャールに毒なんて盛ろうと思ったの?って。そしたらあの子、自分が幸せになるためにシャールが邪魔だったって言ったの。あの子の中では毒を盛るという行為は正義だったのよ」
(ああ~言いそう~)
「それを聞いて目が覚めたわ。この世界には理解できない人もいるんだって。いい悪いは別にしても皆が同じ倫理観で生きてるわけじゃないのよね」
アルバトロスが「そうだよ」と言うようにリリーナの手を優しく握って微笑む。
「シャール、本当にごめんなさい。今まで貴方には随分我慢をさせたと思うわ」
「ううん、もういいんだ」
「こうして謝ることができて本当に良かった。貴方が生きててくれて本当に良かったわ」
そう言うとリリーナはまた泣き始めた。
しばらくしてアルバトロスとリリーナは、戻って来たゴートロートにお礼を言い食事を共にしてから公爵邸に帰って行った。
今までリリーナのその考え方に辟易していたのは事実だけど、人は幾つになっても変われるのだと初めて知った。生まれてからずっと彼女の中に根付いたものはそう簡単に覆すことは出来ないかもしれない。でもその時はアルバトロスが手を差し伸べるだろう。
そうやって二人で足りない部分を補いながら生きていく。そんな彼らこそ理想の夫婦なのかもしれない。
いつか僕もアルジャーノンとそんな風に生きていきたいとシャールは遠くにいる愛しい人を思った。