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第49話 失われた命

「ねえってば!赤ちゃんどうしたの?!」


「うるさいわね。……始めて」


「はい」


 今まで椅子に座っていた白衣の男がルーカに近付いていきなり腕に注射を刺した。


「痛いっ!なに?!」


「すぐ終わりますからね」


「なにが?!やめて!!」


 ルーカは必死で抵抗するも、尋常ではない眠気で瞼はあっという間に塞がってしまった。


「本当によろしいんですか?」


「ええ、さっさと堕して。ベータの子供なんていらないのよ」


「はい……では始めます」


 冷たい医療器具が並び処置が始まる。そうしてセスとルーカの初めての子供は闇から闇へと葬り去られることとなったのだ。






 アルバトロスは領地での仕事があると翌日すぐに帰ったが、アルジャーノンは一ヶ月の休暇を取ったらしく翌日からもずっとシャールと一緒にいてくれた。


 二人でゆっくりと散歩をしたり川で水遊びをしたり、シャールは花を摘んで生まれて初めて花冠を作ったりもした。

 こんな贅沢な時間がずっと続けばいいと願ったのはシャールだけではないだろう。


「シャール様!湯に浸かる時間ですよ」


 アミルが呼びに来ても戻りたくなくて珍しく駄々をこねる可愛らしい様子に、アルジャーノンの恋心はますます膨らんでいく。

 そして一緒に過ごすようになって半月経つ頃にははっきりと互いの気持ちを分かり合えるようになっていた。


「シャール様、俺は騎士団を退団してあなたのそばにいたい」


「え?本当に?」


 シャールは夢をみているのではないかと思った。


「次のリーダーを育てるのに二年ほどかかります。待ってて貰えますか?」


「それは待つけど……本当にずっと一緒にいてくれるの?僕は死んだことになってる人間なのに……」


「はい、あなたとこれから先も生きていきたいです」


「嬉しい!」


大叔父はシャールがずっとここで暮らすことを望んでいる。ゴートロートとアルジャーノン、皆で一緒に暮らせたらどんなに楽しいだろう。

この素晴らしい自然の中で働き、そして結婚してそのうち子供ができて。アミルが言っていたような幸せな家庭が作れるかもしれないのだ。


シャールは前生でのことを思い出す。

未来は大きく変わった。このまま王都に戻らなければシャールを貶めた者たちと一生関わることはない。それならば……

今生は以前の分まで幸せになってもいいんじゃないだろうか。



この人と夢物語のような人生を。







「セス!新しいドレスが欲しいの。サロンまで連れていって」


大食堂の端と端に腰掛け、朝食を摂っていたルーカは肉を頬張りながらセスにねだる。


「好きに行けばいいだろう。どうしてわざわざ俺が連れていかないといけないんだ」


「なんだよその言い方!いいよ、もう。勝手に行って山ほど無駄使いしてやる」


 ふんと鼻を鳴らして席を立ち、大食堂を飛び出すルーカにセスはほとほと呆れて大きなため息をついた。


 半年前、ルーカは子供を亡くした。皇后の話だと神父が確認した時にはお腹の中で死んでいたらしい。当時は酷く落ち込んでずっと寝たきりになっていたのだが、皇后ベラにせっつかれて再び子を成したところすっかり気持ちも回復して、元の礼儀知らずで自由奔放な状態に戻っている。


「あまり辛気臭いのも面倒だがわがまま放題なのも手がつけられないな」


 昔はあれを可愛いと思っていたのだが……。


病がちな父上の病状も最近特に思わしくない。身罷られてしまうのも時間の問題だろう。そうなるとセスはこの国の国王とならなければならない。

まだ皇太子でしかない今でさえ洪水だの日照りだの、果ては隣国との小競り合いまで。あちこちの領地から指示を仰ぐ連絡が多く寄せられている。これで本当に陛下が亡くなったらどうなることか。


「はあ……面倒なことばかりだ……」


セスはすっかり食欲が無くなってしまい、フォークを皿の上に置くとティーカップを持ち上げる。


「政治なんて面倒なことやりたくないんだけどな」


家臣に聞かれていたら大騒ぎになるような独り言をつぶやき更に大きなため息をついた。


 それもそのはず、セスはまともに皇太子教育を受けていない。将来王になるからには……と考えていた時期もあったが、母親であるベラが必要ないと言ったのだ。上に立つ者は威厳を保ち指示さえしておけばいい。細かな采配は皇后の仕事だ、と。

そのつもりでこの年まで生きてきたのにルーカと来たら出来ることなんて着飾るか使用人に当たり散らすことだけで政治についてなど興味がないどころの話ではない。

何しろまだ読めない字もあるくらいで初めて知った時は驚いて気を失うところだった。


「その点シャールは優秀だったな。あの賢さ、あの美貌。本当にどうして死んでしまったんだろうか。あのくらいの怪我で死ぬなんて体が弱かったんだろうか」


セスは、自分がシャールを盾にしたためにシャールが負った傷を簡単に考えていた。よもや死んでしまうような怪我だなどと夢にも思っていなかったのだ。


目の前であの惨状を見ておきながら……。


「シャールさえ生きていてくれたら今頃はすべてうまくいっていたはずなのに。惜しい者を亡くした」


カップに角砂糖を落としながらシャールは甘い飲み物が好きだったなと思い出して感傷に浸っていると、ドアの方からまたしてもルーカの声がする。


「セス!」


「なんだ?買い物に行ったのではなかったのか?」


「……考えたら前の赤ちゃんちょうど今ぐらいで死んじゃったから。何かあると困るからちゃんとエスコートして欲しいと思って。早く行こ!」


 どうでもいいよ。一人で行けよと言いたいのをセスはグッと堪える。めんどくさいが確かに大事な時期だ。そういえば新しい恋人のビビアンがネックレスを欲しいと言っていた。買い物のついでに買えばいい。いや、ルーカの買い物の方がついでだな。


「待ってろすぐ支度する」


「早くしてね」


 そんなことを言うルーカに舌打ちしながらセスは身支度を整えるために部屋に戻った。


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