「もうっ!!!出て行って!」
ルーカはテーブルの上のティーポットを侍女に向かって投げつける。
間一髪でドアから逃げ出した侍女は事なきを得たが、大きな音がして粉々になったポットはオレンジの液体を撒き散らして部屋に飛び散った。
「セス!どうして婚約式も結婚式もしてくれないの?!」
ここにはいないお腹の子供の父親に向かって不満をわめき散らすが、本人はすっかりルーカから足が遠のいてこの部屋には何ヶ月も来てくれていない。
「シャールさえ死ねば幸せになれると思ったのに!セスがちゃんとしてくれないから僕は侍女やメイドにまで軽く見られてあいつら僕の言うことなんて何も聞かないんだよ!!」
何をしても陰で笑われ、マナーがなってないと皇后には叱られ、挙句にセスからは冷たくされてルーカは気が狂いそうだった。
「でも、子供が生まれたらちゃんと認めてくれるよね」
子供さえ生まれればセスも優しくなるし国母として誰もルーカに逆らえなくなる。
もうルーカに残された道はそれだけ。自分はいずれ国王となる子供を産むのだと、それだけをよすがにつらい王宮生活を耐え忍んでいた。
「あーつまんない。気分転換に散歩でも行こっと」
そう呟くと、ルーカはいつものようにお気に入りの騎士を護衛に付けて庭を散策しようと騎士団の訓練所まで出向いた。
彼らは数少ないルーカを軽視しない人たちなのだ。
さすがの騎士道精神だと感心する。
「あれ?アルジャーノンは?」
「長期休暇をとっております」
「休暇?僕を守るのが仕事なのに?」
「……他の者がおりますので本日のお供をお選び下さい」
「なんだよもう!ベータばっかりしかいない中で唯一アルファっぽい人なのに!」
「恐れながら……リーダーもベータですが」
「分かってるよ!アルファは皇族にしかいないんだから当たり前だろ。それでもあの人はなんか特別なんだよ。あーもうめんどくさい。お前でいいや」
どうせアルジャーノンがいたって一人じゃ護衛に付いてくれない。彼は必ず二人体制で少し離れて護衛をする。そして何故かルーカのフェロモンはアルジャーノンには効かないのだ。
(それはそれで難攻不落って感じで落としがいがあるんだけど)
ルーカは騎士団の中でも若くて見目のいい騎士を一人連れて散歩にでかけた。そして温室まで来ると騎士を中に入れる。
ガチャリと鍵をかける音がして騎士は目を見開いた。
「……ルーカ様?」
「本当ならベータなんて相手にしないんだけどね」
「え?」
「まあいいよ。僕のフェロモンはベータにだって効くから」
「それはどう言う……あっ?!」
「静かにして。バレたら騎士をクビになっちゃうよ?」
悪魔のような微笑みでルーカは騎士を翻弄する。
「お待ちください!ルーカ様!それは……」
騎士は逃げようとするが、うっかり怪我でもさせたらそれこそ家門もろとも打首だ。
どうすればいいか分からずただおろおろと距離を取ろうとするばかりだ。
「何も考えないで。僕を見て?」
「……あ」
ルーカの紅い唇が弧を描く。騎士はその色から目が離せず段々と意識が混濁し始めた。そして吸い込まれるようルーカの前に跪いた。
「誰にも言わないから大丈夫だよ。赤ちゃんがいるから優しくしてね」
「…………はい」
そしてまた一人、ルーカの魔力に魅せられた男が絶望の縁に追いやられて行くのだ。
「ルーカはまだなの?!せっかく神官が来てくれたのに!」
皇后が自室で苛々とルーカを待っていた。
呼びに行かせてはや一時間、自分をこんなに待たせるのはルーカくらいしかいないとベラは怒りをあらわにする。
「皇后陛下、我々は大丈夫ですので……」
あまりの剣幕に同席していた教会の神官たちが居心地悪そうに身じろぎする。
「ああ、ごめんなさいね。こんなに待たせて」
「いえいえ、皇后陛下のためならいつでも参りますよ」
「あら嬉しいことを。もう少し献金を弾もうかしら」
「いつもありがとうございます」
広い部屋にはベラと神官が二人、それに顔色を悪くしている医者が一人、ルーカを待っていた。
「それにしてもほんっとにあのオメガ、シャールが生きてたら八つ裂きにしてやるのに」
小さい声だが皆が聞き取るには十分で、医者に至ってはその言葉でさらに顔色が悪くなった。
そのうち侍女がルーカを見つけて無理やり引っ張って来るまでベラの怒りは収まらなかった。
「なにしてたの?!呼んだらすぐ来なさい!」
いきなり怒鳴りつけられてルーカは騎士たちとの火遊びがバレたのかと背中に冷や汗をかいた。
「お腹の子供の様子を見るためにわざわざ神官に来て貰ったのに!さっさとソファに横になりなさい!」
「なんだ。そんなことか」
「そんなこととはなんなの?!」
「そんなに怒らなくてもいいでしょ。はい、横になったよ」
「まったく!!」
ルーカが目を閉じると二人の神官がお腹に手をかざしてなにやら神妙な顔をしている。しばらくするとその手から光が放たれ、お腹に吸い込まれていった。
「わあ、今のなに?僕の赤ちゃん元気だった?男の子?女の子?」
だが、ルーカの問いには答えず、二人の神官はベラに向かって首を横に振る。
「そう。まあ最初だしね、そう上手くは行くわけないわね」
「……え?なに?赤ちゃん大丈夫なの?」
皇后の浮かない様子にルーカの胸は突然不安で一杯になった。