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第44話 静かな古城

 開け放した窓からは爽やかな風が吹き、暖かい日差しが部屋中に降り注ぐ。

かつてここで暮らしていた人はこの部屋をとても愛していた。


 マロルーはそんな主のいなくなった部屋を丁寧に掃除していた。


「あら?」


 マロルーが拭き掃除をしようと動かした小さな本棚の下からキラキラと光るものが出て来た。


「これはシャール様が無くしたとおっしゃっていた髪留めだわ」


 リリーナ様がシャール様の誕生日に特別に細工師に作らせたルビーの髪留め。見つかったと知ったらどれだけ喜ばれるだろう。マロルーはそれをぎゅっと胸に抱いて空を見上げる。


「シャール様……会いたいです」


 その瞳に浮かんだ涙は痩せた頬を伝い、白いエプロンの胸元まで落ちた。


「マロルー様」


 後ろにいたアミルがため息をついて手にしていた箒を壁に立てかけた。


「マロルー様?またそんな感傷に浸って!ほんとうにシャール様が死んじゃったみたいだからやめて下さいって何回も言ってるのに!」


 その声に我に返ったマロルーは涙を拭う。


「ごめんなさいね。だってシャール様とこんなに離れるのは初めてなんですもの。もう心配で心配で……」   


「だからこれから私たちがシャール様の元に向かうんでしょう?もう直ぐなんですから早くこっちの片付けをして、必要なものを荷物にまとめましょう。そうじゃなきゃ、いつまで経ってもシャール様に会えませんよ!」


「そうね、それは困るわ。ごめんなさいねアミル」


 マロルーは遠い空の下にいるシャールに思いを馳せて、手にしていた髪留めをスーツケースにしまった。





 公爵家から馬車で三日ほど離れた場所にその古城はあった。元々は由緒正しい王家の血族が住んでいたものだが、主人がいなくなり荒れるがままになっていたところを物好きな侯爵家の当主が買い取ったのだ。


 その当主こそアルバトロスの叔父に当たるゴートロート侯爵で、シャールは今彼の下で静養しながら暮らしていた。


「シャール、あまり外に出ていると体に障る。そろそろ戻ったほうがいいぞ」


「はい、大叔父様」


 草原で暖かい風を楽しんでいたシャールはゴートロートの声に振り向いた。

 シャールにとって大叔父である彼は齢七十を過ぎた一人者で、元々資産家だったこともあり、骨董品を集めたり目の前の池で釣りを楽しんだりと自由気ままに暮らす好々爺だった。


 そこに突然、疎遠になっていたゴートロートの長兄の息子、甥であるアルバトロスがやってきて会ったこともなかった又甥のシャールの世話を頼むと頭を下げたのだ。その時のシャールは意識もなく、もう既に死んでしまっているんではないかと思うくらい酷い状態だったらしい。最初は戸惑ったゴートロートも「このまま公爵邸にいれば殺される」というアルバトロスの言葉に覚悟を決めてシャールを受け入れてくれたのだ。


 手間もかかるし厄介事に巻き込まれるかもしれない。けれどゴートロートはシャールを献身的に看病し、細やかに世話をしてくれた。シャールのために新しいメイドを何人も雇ってくれたゴートロートにシャールは心から感謝と愛情を感じていた。


「シャール、今日はアルバトロスたちが会いにくる日だな。楽しみか?」


「そうですね。僕のこんな元気な姿を見たらきっと驚くでしょうね。その顔を見るのが楽しみです」


 シャールは美しい緑の宝石眼を細めてゴートロートに微笑んだ。


「おいで、先に食事にしよう」


「はい、大叔父様」


 草原に座り込んでいたシャールはゆっくりと立ち上がる。まだ少しふらつきが残るし、首元から腹にかけて無惨な傷は残ったままだが、すっかり食欲も戻って少しずつ日常生活を送れるようになっている。


「食事が済んだらもう一度湯に浸かってくるといい。その後で傷の具合を見てガーゼを張り替えさせよう」


「はい。ありがとうございます」


 シャールはゴートロートと城に戻るべく、彼の差し出した細い腕にそっと掴まった。


 実はゴートロートはただの酔狂でこの城を買ったわけではない。彼がこの城を気に入り、手に入れたいと思ったのはこの城の中庭にある池が最大の理由だった。

 他所の人間には知られてはいないが、実はこの池には湯が湧いていて、この湯に浸かると傷の治りが驚くほど早いのだ。

ゴートロートはこの池の周りに小さな家のように壁のある東屋を作り、外から見えないようにして体力が許す限りこの湯にシャールを入れ続けた。

 お陰で深い傷も数ヶ月ですっかり塞がり、傷跡も薄くなった。後数年もすれば近づかないと分からないくらいに薄くなるに違いない。その日を楽しみにしているゴートロートは自分の死後、この城をシャールに譲ると遺言書まで書いていて、それを知ったシャールを驚かせた。


「さあ今日の夕食のメインは何かな?


「僕は魚だと思います。料理長のバンスが釣り竿を持って池の方に行きましたから」


「そうか。釣りたての魚は美味いから楽しみだな。デザートも用意してたぞ?お前の好きなアップルパイだと言っておった」


「わあ、楽しみです」


 そんな話をしながらまるで直系の祖父と孫のように二人は仲睦まじく城に戻って行った。




 その夜、約束通りアルバトロスがマロルーとアミルを連れて古城を訪れた。

 アルバトロスは二ヶ月ぶり、マロルーとアミルに至っては公爵邸を出て以来なので約半年ぶりに会うことになる。


「シャール様!!!」


「マロルー!アミル!会いたかった!」


 三人は泣きながら固い抱擁を交わし再会を喜びあう。

 それを微笑ましそうに見ていたゴートロートの側にアルバトロスが挨拶に来た。


「叔父上、本当にお世話をおかけしております」


「いや、シャールは手がかからないので問題ない。本当に賢いいい子だ」


「そう言っていただけて良かった」


「今夜は泊まっていくだろう?城自慢の熱い湯に浸かって旅の疲れを癒すといい」


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