何が彼や彼女の庇護欲を掻き立てるのかシャールはさっぱり分からなかった。
一つしか違わないのに幼稚な話し方も馬鹿みたいだし、無邪気な仕草も全て計算ずくだとどうして気付かないんだろうか。
「それよりお腹すいた。ご飯食べよ?」
「……え?ああ、分かった」
もともとシャールと二人のつもりだったのだろう。慌ててメイドに追加の料理を指示しているセスは皇太子の威厳などカケラもない。
(いや、待って?!まずい!)
セスの前でルーカに食事をさせてはいけない!
「おいしー!」
……遅かった。
ルーカは大きなバゲットサンドにかぶりつき、口の周りをソースだらけにしていた
パンを切ろうとナイフを構えていたシェフが顔色を悪くしている。
けれどその様子がセスはいたく気に入ったようで大笑いを始めたから分からないものだ。
(不敬罪で処罰されてもおかしくない失礼な態度なのに)
セスはルーカに甲斐甲斐しく果物を食べさせたり口元を拭ったりと世話を焼き始めた。
(僕にとってのミルキーみたいなもんなんだろうか。もちろんあんなに可愛くもないし純粋でもないけれど)
シャールは段々と馬鹿らしくなってきたので、楽しそうな二人を捨て置いて勝手に食事を開始した。
何一つ楽しくないランチ会を終え、午後の授業もこなしたシャールはもう帰ろうと庭を歩いていた。その時、ルーカの声がしたような気がしてふと振り向くと、そこには楽しそうにはしゃいで走り回るルーカがいた。
そしてセスはベンチに座り本当の兄のように笑っている。
(気のせいじゃなかった。というよりあの二人まだやってたのか。……え?待って?ルーカ裸足じゃない?さっさとルーカを置いて帰ろうと思ったのに)
このままセスに迷惑をかけるのも憚られる。……というよりもこんな暇があるならセスに皇太子教育に専念してほしいと思いつつ、シャールは二人に近寄る。
「殿下!」
「ああ、シャール」
シャールの姿を見て嬉しそうに手を振るセス。その隣であからさまに顔を歪めるルーカ。
(ああもう疲れた)
「ルーカ、帰るよ」
「えーやだー!」
(本当にこいつは……)
「もうちょっとだけ遊ぶ」
「遊ぶ?中庭で?なにして?」
「王子様に花冠作ってあげる!」
ルーカはそう言って庭の花をむしり出した。
「ああっ!ダメだって!」
けれどセスはそれを笑って見ているのだ。
(頭おかしいんじゃない?庭師が丹精込めて世話した花々なんだけどね)
「構わないよ。じゃあそれが終わったら帰るんだぞ」
「わーい!」
「シャール、もう少し待っててやってくれ」
「……承知しました」
そう返事だけしてシャールは踵を返し、中庭を後にする。
どこに行くという訳でもないが、これ以上二人を見ていると怒りでどうにかなりそうだった。
ルーカの嬌声が聞こえないところまで……そう思いどんどん歩いていると、前からアルジャーノンがやってくるのが見えた。
(しまった……会っちゃった……。でも偶然だから仕方ない。哀れな僕に神様からの贈り物だと思うことにしよう)
アルジャーノンがシャールに気付き頭を下げる。顔を上げると柔らかく破顔していて、シャールはドキリと胸が高鳴った。
「今日はミルキーは一緒じゃないんですね」
「一日中一緒にはいませんよ?ちゃんと私も働いていますから」
時折吹く強い風が向かい合い見つめあう二人の間をすり抜けて、互いに互いの香りを届けた。
落ち着く。
ずっと嗅いでいたいような、慌てて逃げたしたくなるような。
シャールはミルキーがそうするように鼻をクンクンと動かして香りを含んだ空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
「みゃうん」
「あ、シャール様の声に誘われたみたいですよ」
「ミルキー!」
シャールは足元に擦り寄って来たミルキーを抱き上げて鼻先にキスをした。
子猫特有の甘い匂いが心をほぐして癒してくれる。
いつまでもこうしていたいが、そうもいかないのでシャールはミルキーをアルジャーノンの腕に預けた。
「また遊びに来ていいですか?」
「もちろんです」
ちょうどいいタイミングでシャールを探す侍女の声が聞こえて来たので、シャールは丁寧にお辞儀をしてその場を去った。
誰もいなくなった庭にアルジャーノンはいつまでも佇んでいた。
どうしてシャール様に会うとこんなに胸が騒ぐのだろう。アルジャーノンはシャールの温もりを宿した小さな命を優しく抱きしめた。
最初にその美しい姿を見たのはミッドフォード公爵邸だった。皇室から下賜されたネックレスが盗難に遭ったらしく、皇太子の指揮のもと護衛に出向いたのだ。
初めて会ったその人は銀の髪に緑の目をした宝石のような人だった。
……オメガというのはこんなにも綺麗で心を奪われるものなのか。
そう衝撃を受けたのを覚えている。
だが、後日会ったもう一人のオメガ姫であるルーカ様には嫌悪感しか感じず、皇后陛下は言わずもがなだった。
そもそもあの人はその高飛車な態度から騎士団中で嫌われているのだ。
……これはオメガ姫が特別という訳ではなく、シャール様が私にとって特別な存在だということなんだろうか。
アルジャーノンは考えたが、その答えを出すのはとても恐ろしいことだった。
だってそんなことがあっていいはずがないのだから。
あの人はこの国の月となる運命の人だ。
私はこの先、あの宝石のような姫のために一生尽くすのだ。
……そう思っていたはずなのに。
猫が縁となり、期せずして二人で話す時間を賜ってしまった。あの人は心まで清廉で完璧で、時折見せる素の笑顔がたまらなく可愛らしかった。
藪の中に頭を突っ込んで、行くも戻るも出来ずにいた姿を思い出してアルジャーノンは思い出し笑いをする。
あんな美しのに可愛らしい天使ような人がこの世に存在するなんて。
シャール様が幸せであれば他はどうでもいい。自分の人生さえも捧げられる。
アルジャーノンは暮れゆく空の下でずっとそんな風にシャールのことだけを考えていた。