(だって仕方ないよな。この子の飼い主はアルジャーノンだもん)
仕方ない。猫と遊ぼうと思ったら飼い主の許可が必要なのだから。
午前の稽古が終わり、隊員たちは各々食事を摂りに行く。以前はよそよそしかった彼らも最近では気軽に話しかけてくれるので、シャールの居た堪れなさも少しはマシになっている。
……ただあまり長く会話していると割って入ったアルジャーノンが隊員を叱るのでそこはちゃんとわきまえないといけない。
彼らの訓練を邪魔してしまうのはシャールにとっても本意ではないのだから。
「今日も来てたんですね」
背後から聞き慣れた声がした。
「すいません、いつも邪魔ばかりして」
「とんでもない。シャール様がいらっしゃるだけでみんないい所を見せようと士気が上がるんです」
「そんな……」
(ああ、気を使わせてしまった。僕の馬鹿)
シャールは自分の不甲斐なさに暗い気持ちになる。そんなシャールの隣に腰掛けたアルジャーノンは、ミルキーを撫でながら「私もその中の一人です」と優しく笑った。
「!!」
アルジャーノンに腹を撫でられた子猫がゴロゴロと喉を鳴らしている。
もし自分の体にこの機能がついていたら同じような音が鳴っただろうとシャールは思う。
「揶揄わないでください」
聞こえるかどうかの小声でそう言ったシャールにアルジャーノンは急に姿勢を正して「失礼いたしました」と頭を下げた。
(違うよ。失礼だと怒ったんじゃないのに)
けれど正直にそう伝えるのは憚られた。
シャールはどうしたって皇太子妃になる予定のオメガ姫なんだから。
……だから距離感が寂しいと思ったのはきっと正しい。
猫を撫でるアルジャーノンを見つめるシャール。彼からは不思議な匂いがしてとても心が落ち着いた。
夕刻になりシャールが公爵邸に戻ると謹慎を命じられたはずのルーカがエントランスで待っていた。
「何してるの?」
「シャールを待ってた。お願いがあるの」
(……また新しいドレスを着ている。お母様にも謹慎の意味を伝え直さなくては)
ルーカの話を聞く気分ではないが、どう跳ねつけても彼は最終的に自分のしたいようにしかしない。それならさっさと聞いて退場願おう。
「お願いって?」
ルーカの方に顔も向けず歩きながらそう聞くシャール。それでもルーカにしては珍しく文句も言わず小走りで後をついて来る。
(……普段ならもっとちゃんと聞いて!と地団駄踏んで怒るのに。これは余程のお願いに違いない)
「あのね、王子様に会いたいから明日お城に連れて行ってほしいの」
「……え?」
その作られた表情と声がシャールの神経を逆撫でする。何のために?と聞いても王子様に会いたいからとしか言わないルーカに我慢の限界は早かった。
「いい加減にして!あんまりしつこいと父上に言って家から叩き出すよ!」
「……ひどい!だから連れていってくれたらいいだけの話でしょ!」
負けじと怒鳴り返すルーカに「うるさい!」と怒鳴ったシャールは彼の鼻先でバタンと乱暴にドアを閉めた。
翌日も妃殿下教育をこなしたシャールは休憩時間にぼんやりと外を見ていた。
……これ以上アルジャーノンに会わないほうがいい。
そろそろ妃殿下教育を終わりにしてもらおうか……。
もう城に来なくていいように。
近づいちゃいけない人なのに。
もう二度と僕のせいで傷つくなんてあってはならない人だから。
「ミルキー元気かな」
ふわふわとした柔らかい体温を思い出してふるっと震えた。
ここは寒いよ。ミルキー……。
トントン
ドアを叩く音がしてシャールは慌てて居住まいを正す。
「どうぞ」
「失礼します」
入ってきたのは皇太子付きの侍女で手には何やらバスケットを持っている。
「皇太子殿下がお庭で食事をご一緒するようにとのことでございます。ご案内いたします」
「……はい、お願いします」
(お腹空いてないんだけどな)
それでも皇太子からの誘いを断るわけにも行かない。
シャールは仕方なく従った。
「よくきたなシャール」
テーブルの上には既にサンドイッチやケーキまで美味しそうな料理が所狭しと並んでいる。
「殿下お招きに預かり……えっ?ルーカ??」
セスの後ろからそろそろと出てきたのは紛う方なきルーカの姿だった。
「どうしてここに?あれほど言ったのに!」
シャールが声を尖らせるとルーカはビクッと体を竦めてセスの後ろに隠れた。
「ほらね?王子様。シャールは僕に冷たいでしょ?いつもいつも怒られてるんだ」
「……ルーカ!」
それはルーカが怒られるようなことをするからだ。
「まあまあシャール。今日は家に誰もいなくて寂しくなってシャールを追いかけて来たそうだ。まあいいじゃないか。たまには」
「殿下……」
この人も母上と同じ。無責任に人を甘やかしてダメにするタイプだ。
「わーい!王子様大好き!」
ルーカはそう言いながらセスの首に手を回してキスする勢いで頬ずりしている。
セスは以前の蛇のようなドレスを思い出したのか、顔を引き攣らせて固まってしまった。
「ルーカ!離れなさい!」
「はぁい」
渋々体を離し、セスに向かってニコッと微笑む。
セスはほっとしたようにルーカを見て微笑み返す。
「シャールと結婚したらルーカは弟になるんだから仲良くしないとな」
その言葉に更に笑顔を見せ、腕にしなだれかかり甘えるルーカ。
「違うよ王子様。僕は妹だよ」
「はは、そうか、これは失礼したな」
「いいよ、許してあげる。だからケーキ食べさせて。あーん」
「……ルーカ」
(……ああ、あの口を引きちぎってやりたい)
セスは律儀にルーカの口に向かってケーキを差し出しながら「もう勝手にここに来ちゃいけないよ」と諭している。
「どうして?」
「ルーカがいなくなったらみんなが心配するだろう?どうしてもの時はちゃんと誰かに連れてきて貰えばいい」
「……誰に?」
ルーカはチラリとこちらを見るが、シャールはあえて目を合わせなかった。
不穏な空気を感じ取ったのか、セスは「迎えを寄越すから連絡しておいで」とこれまた不必要に甘やかすことを言う。
(母上が二人いるよ!勘弁して!)